調理動具があるといいな

 わたしは今、開発室で使う調理道具を水の膜で覆える仕様にしようとしている。洗うのが面倒くさいというのと、膜自体の実験のためだ。


 ……いや、やっぱり、洗うのが面倒だからだな。


「あー……。やっぱり熱には弱いわね。蒸発しちゃうのよ」

「作動し続ければ連続的に張り直せませんか?」

「難しいわね~。どうしても一瞬間が空いちゃうわよ」


 避難所の水の膜は、分厚い膜を幾重にも重ねられているので、街灯の熱にも負けず張り続けていられるが、お玉やトングにそんなに分厚い膜を張るのは現実的ではない。そもそも地面に接して設置されている街灯は、絶えず水を供給できるようにできているが、お玉や包丁では難しい。


「うーん……汚れなくなれば、ここでの調理も出店での調理もずっと楽になるんだけどなぁ」


 なにせ、出店は店舗と違って水場や排水口を共同で使う人数が多い。水を使う作業はできるだけ減らしたい。


「いっそ、金属自体を加工してみようかなぁ」

「それはいいけど、アキちゃ~ん。オレの神呪、これで合ってるよねぇ?合ってるよねぇ!?」


 もう、半月も格闘しているのになんの反応も示さない神呪相手に泣きそうな声を上げるサウリさんに、ラウナさんが苦笑する。向こうでは、こちらの話が聞こえたのか、マルックさんたちが憐れむような表情で、しきりに頷いている。

 昨日、ラウレンス様がフラッと現れて、「まだできないのか」と呟いた後、これ見よがしに丸い輪っかを弄びながらゆったりと去って行ったのだ。

 どうやら、頭に着ける動具のようで、嘘を吐くと頭をギューッと締め付けて苦しめるものらしい。わざわざ遠回りしてマルックさんの前を通り過ぎるのだから、絶対に確信犯だ。


「ええ~っと……、あ、ここが繋がってないです。ていうか、これ最初から始まってないです」

「ええっ!?始まってないってどういうこと!?どの部分が何!?てゆーか、オレの神呪、赤ん坊!?」

「いえ、まだ始まってないので胎児ですね」

「大事なのはそこじゃないわよ、マティルダ」


 わたしの言葉によく分からない早口で悲鳴を上げるサウリさんも面白いが、冷静に指摘するマティルダさんも面白いと思う。ラウナさんの班はこの二人の個性をラウナさんが上手くまとめることで、面白く仕上がってると思う。


 ……もしかして、わざとかな。


 ラウレンス様がこの班編成を決めたという。マルックさんの議論大好きチームといい、グループのメンバーがとても合っているのは、それだけラウレンス様がみんなのことを見ているということだろう。


「……ラウレンス様って、人が好きなのかもなぁ……」


 なんとなく呟いた瞬間、そこにいた全ての視線がわたしに一点集中され、室内から一切の物音が消えた。






「で?結局どうなったわけ?」

「うん。まだ全然だね」


 わたしの返事にペトラがため息を吐く。


「冬の水場は寒いのよね……」

「うーん……。あ、じゃあ、桶に神呪を描いて、水がお湯になるようにできればいいね」

「…………そんなこと、できるの?」


 ペトラがひどく驚いた顔をする。目を見開いて、マジマジとこちらを見つめる、その信じられないとでもいうような表情に少し違和感を覚える。


「えっと……簡単じゃないよ?研究して新しく作るものだから何ヶ月とかかかかると思うし……」

「あ……そう、そうよね。簡単じゃないわよね」


 ペトラはまるで、簡単にはできないことにホッとしているように見える。予想と違う反応に、何かペトラにしか分からない事情があるのだろうなと思う。


 ……コスティはどうしてるかな。


 冬の間は出店を出さないし納品もしていなかったので、いつも再開するのは春になってからだった。特に会いたいと思ったことはなかったけれど、今は、コスティとペトラと3人で話してみたいなと思った。まぁ、それぞれ言いたくない事情を抱えてるみたいだから、実際には大した話はしないんだろうけれど。


「まぁ、新しい動具なんてそう簡単にはできないから地道にやるしかないね。洗い物は一緒にやろう?」

「…………うん」


 一緒にやろうという言葉に、ちょっと照れたような、嬉しそうな、でもそれを隠そうとするように顔を背けて返事をするペトラはとってもおもしろいと思う。


「ニヤニヤしてないで、やるわよ!昨日とは違うのを作るんでしょ!」

「うん。じゃあ、ちょっと野菜を選びに行こうか」

「野菜?」

「うん。ハンナが行ってたでしょ?野菜をいろいろ一緒に煮込むと味が深くなるって」

「あ、ああ。そうね…………」


 ペトラがなんだか、ちょっと怯えるように身を竦めて付いてくる。


「どうしたの?」

「……食品貯蔵庫って、勝手に入ると普通怒られるのよ。料理長に」

「へ?どうして?」

「だって、大事な食糧やらお菓子やらを保管してるのよ。何かあったら大変じゃない。本邸だと台所女中ですら、命令なく入れてはもらえてなかったわよ」


 なるほど。初めて聞いたけど、言われてみれば納得できる。もしかしたら、その辺りは食事処とお屋敷の違いかもしれない。カレルヴォおじさんからそんな話は聞いたことがないし、たしかゾーラさんの所でも、わたしは結構勝手に入って納品していた。


「ハンナは食事処でお料理を覚えたって言ってたから、そっちの感覚なのかもしれないね」

「……ああ、そっか。町にいたんだっけ」


 ペトラがホッとしたように呟く。もしかして、勝手に入って怒られたことでもあるのだろうか。


「ダメって言われてないから大丈夫だよ。だって、勝手に使っていいって言われたんだもん。行こ」

「うん」


 素直にコクンと頷くペトラは、ちょっと懐いてきた野生の小動物みたいだ。


「おお~。さすがにいろいろあるね~。よく分かんないものばっかりだけど」

「あたしも、料理になったものは見たことあるけど、材料のままなのはあんまり見たことないのよね」

「……適当に何か持ってっちゃう?」

「はぁ?適当って……」


 ペトラは眉を顰めるが、しょうがないと思う。だって、全然分からないのだ。


「一応、臭いとかは嗅いでみるけどさ、臭いと思っても実は火を通すと美味しい物だってあるじゃない?」

「そんなもの、ある?」


 ペトラがますます眉を顰める。


「穀倉領の調味料って、割とそうだったと思う。エルノさんも、臭いだけだとちょっと抵抗があったって言ってたし」

「ふーん」


 ペトラが一応納得したので、二人で適当に野菜を取って調理場に戻る。


「柔らかくなるまで煮込んで、汁がなくなったら味が濃くなってちょうど良くなると思うんだよ」

「じゃあ、あたしはそこまで濃くなる前に味見するから」


 そうして、今日もペトラとのお料理教室が始まった。後でやってきたハンナが味を見て、他に入れた方が良いものとか、野菜の切り方なんかをアドバイスしてくれる。

 初めは緊張して全くしゃべらなかったペトラだが、料理を覚えられるチャンスと見るや目の色を変えて熱心に質問をしていた。ハンナも気にする様子はないので、このまま教われば、ペトラの希望も叶うかもしれない。


「ねぇ、ハンナ。どうして焦げるのかな?」


 そしてわたしは、鉄板の表面の焦げ付きをガリガリ落としながら聞く。鉄板は便利なのだがお手入れが大変だ。


「ああ、鉄板は表面が平らですからね。肉がべったり付いちゃうんですよねぇ」


 なるほど。食べ物がべったり付くから焦げる。当たり前と言えば当たり前だ。


「べったり付かないようにできればいいのかぁ……」

「アハハ。そうですねぇ。お鍋なんかもくっ付かないようになると便利ですねぇ」


 ハンナは冗談を言うような口調で笑うが、わたしは本気だ。ペトラがお料理をがんばっているのだから、わたしは料理動具作りをがんばろうと思う。






「……ペッレルヴォ様、このガラスの板って、同じようなガラスの上に置くと取りにくくなりますよね?」

「そうじゃの。まぁ、端までずらせば取れるが」

「それはどうしてですか?」


 どうしてくっ付くのか、どうしてずらすと取れるのか。


「ふむ。そもそも、物と物が離れるというのはどういう状態じゃろうの」

「え……?くっ付いていない……間に別の物がある……離れている……?」

「そうじゃの。空中で距離を自在に取ろうと思うと、その間に必要な物は空気じゃ。間に何かがあると物が挟まっていると表現されるが、空気が挟まっていても無視される。くっ付いていないという状態になるの」

「空気……」


 なるほど。逆に、間に空気が入っていないとくっ付いている状態なのか。


「このガラスの表面は真っ平じゃからの。空気が入る余地がない。だが、端に持って行って斜めにすれば、間に空気が入るわけじゃの」

「……間に空気………………」


 鉄板の表面は真っ平だ。そこに真っ平な食べ物が乗ったらピッタリくっ付くだろう。それで焦げ付くというのなら、鉄板が真っ平じゃなければ良いのだろうか。


「分かりました。ありがとうございます。ペッレルヴォ様」


 そうして夕食を終えると、調理場に行ってハンナを探す。


「あ、ハンナ!」

「はいはい。何でしょうかね?お嬢様」


 ハンナは調理場の後片付けをしていた。洗い物は洗い場女中がするため、調理場には、もうほとんど汚れたものは残っていない。ハンナは、鍋や食器を磨く手を止めてこちらを見る。


「ハンナ。わたし、ちょっと鍋で実験をしたいのだけど、要らない鍋はないかなぁ?」

「は……?要らない……鍋?」


 まさか、家主の客人が不要になった物、平たく言うと、ゴミを欲しがるとは思わなかったのだろう。さすがのハンナも目が点になっている。


「うん。それか、同じ素材で作られてた金属の板とかでもいいんだけど」

「はぁ…………。あの、今すぐは難しいので、明日まで待って頂けますか?本邸の料理長にも聞いてみますので…………」

「あ、じゃあ、いいや。わたし、明日自分で聞いてくる。じゃあ、ありがとう。お休みなさい」


 まだポカンとしているハンナを置いて、部屋に戻りながらヒューベルトさんを伺う。


「……やっぱり、アーシュさんに言わなきゃダメだよね」

「何か思いついたのだろう?材料が必要なら報告する時に頼めば良いのではないか?」

「うー……。だって、アーシュさん待ってると、遅くなるんだもん…………」

「ふむ。だが、報告はする約束だろう。報告と並行で材料を手に入れて研究を始めておけば良いのではないか?だが、アーシュ様より先に森林領の者に知られることがあってはならない」


 そういえば、わたしが森林領で動具を作り過ぎないかが心配なのだと言っていた気がする。たしかに、どこかから漏れて王都の研究所に報告が行くのは困る。


「分かった。じゃあ、鍋の開発は部屋でだけすることにするよ」


 アーシュさんは、ダンが近くにいない今、わたしがもっとも信頼する人だ。小さい頃からお世話になっていたという安心感もあるが、何より、ダンがわたしを預けると判断したことが、わたしの中で信頼できる大きな理由になっている。


 ……ダンから離れたら、自分で判断しなくちゃいけないんだ。


 その時が訪れるのが、もう間もなくなのかもしれないと思うと、心と体が強張るのが分かる。いつまでも避けてはいられないけれど、せめてもう少し、自分自身を整理する時間が欲しいと思う。






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