ペトラとお料理

「一昨日は、大変申し訳ございませんでした」


 昨夜戻って来なかったアリーサ先生が今朝は戻っていて、部屋に入るなり謝られた。


「……どうしてアリーサ先生が謝るのですか?」

「わたくしはフレーチェ様に雇われた家庭教師です。アキ様の健康状態を管理して報告するのもわたくしの役目でございます」

「……でも、それはフレーチェ様に頼まれたことですよね?そしてそれをフレーチェ様に謝られたのなら、それでいいと思います。わたしにとっては、わたしの健康を管理するのはわたしの役目です」


 そう言うと、アリーサ先生は一瞬寂しいような憐れむような顔して頷いた。


「…………そうですわね。でも、やはりわたくしの心情としては、あのように苦しい思いをする前に気付いて差し上げたかったと思います。これから気を付けますわ」

「はい、ありがとうございます、アリーサ先生。わたしも気を付けます」


 そう言うと、着替えを用意してきたアリーサ先生の前に立つ。特に手伝いが必要な服ではないので、自分でさっさと着替えた。アリーサ先生は特に注意するでもなく、着替えが終わるのを待っていた。わたしがあまり上流階級の生活に馴染みたくないと思っていることを知ったせいか、今までほどいろいろと口は出されない。


「……今日のお買い物はまた今度に致しましょう」

「はい。あ、お買い物に出るときに、お友達を誘っても良いですか?」

「お友達?」


 アリーサ先生が不思議そうな顔をする。


「はい。ペトラっていう家女中の子です」

「………………アキ様、それは止めておいた方が良いと思いますわ」


 アリーサ先生がしばらく迷って口にする。


「アキ様は領都に服を買いに行かれるのです。アキ様はあまりそういったことに興味を持たれないようですが、女の子の多くは、新しい服を買うことを羨ましく感じます。家女中では、一緒に買うことはできないでしょう?アキ様だけ、新しい高価な服を買うのを見て、そのお友達はどう思うでしょう?」


 ……え、羨ましいの?


 ちょっとポケッとしてしまう。わたしにとっては、服を買うのは仕方ないことで、実はあまり楽しいことではない。嫌と思うほどではないが、面倒くさいと思ってしまう。だが、なにせわたしには、同じ年頃の女の子の知り合いがいない。そういうものだと言われれば、そうなのかと納得するしかない。しっかり覚えておこう。


「どうしてそのお友達と行きたいと思われたのですか?」

「……ペトラはたぶん、料理人になりたいんです。だけど、ここでは修行なんてできないでしょう?だから、領都の知り合いの料理人に紹介して、ここでもできる修行がないか相談しようと思ったんです」

「ああ、なるほど……」


 わたしの言葉を聞いて、アリーサ先生が考え込む。


「では、それはまた別の日になさいませ。使用人の休みは都の日とは限りませんので、お互いに調整する必要がございますわ」


 わたしは都の日と火の日を休みとしてもらっている。いつもは都の日に帰って、火の日はグランゼルムでコスティと出店を出すのだが、今は冬で出店はお休みしている。休みを合わせようと思えば、そのどちらかしかない。


「そうですね。分かりました、そうします」


 わたしの言葉にアリーサ先生がホッとした顔をする。なんだか気を使わせているようで申し訳ないとも思うが、それでも前言を撤回する気にはなれないし、あまり口を出されないならその方が嬉しい。


 それから食事に向かったが、食事の作法についてはしっかり指摘された。どんな立場であっても、食事の仕方が美しいことに越したことはありませんよ、とのことだ。たしかに、それはそうだなと思うので、わたしもがんばった。






 その夜、調理場に行くとまだペトラは来ていなかった。仕事がまだ終わっていないのだろう。家女中の仕事は家の中全般で、いろんな使用人に使われる立場なので忙しいのだそうだ。

 ちなみに、泊まり込みのアリーサ先生だが、このお料理の時間は礼儀作法は免除されている。作るのが庶民の料理だからね。


 ……わたしだって、アンドレアス様にここに来るように命令された時は反感を覚えたんだもん。いろんな人に命令されるのが嫌なのは当たり前だろうな。


 ペトラの現状を聞くと、改めて自分が恵まれていたことが分かる。宿でも家でも当然だと思っていた、部屋全体に敷かれた絨毯は、実はぜいたく品だったなんて知らなかった。使用人の部屋には、ベッドの脇に、毛皮のラグがあるだけなのだそうだ。木の床が剥き出しなのは冬は寒いだろうなと思う。

 わたしは、自分は職人の娘だと言いながら、普通の職人よりずっと贅沢な暮らしをしていたのかもしれない。たぶん、クリストフさん仕様だとそうなるのだろう。


「…………ハァ」


 クリストフさんを思い出すとヴィルヘルミナさんも思い出されてため息が出る。


 ……ヴィルヘルミナさんは優しいし美人だし、大好きだったのに。


 今は、ヴィルヘルミナさんを嫌だと思ってしまう。それが理不尽なことだと分かっているのに気持ちを切り替えられない。何をどう考えていいのか分からない。そもそもあの光景は見間違いだったとか、わたしの思い違いだったのかもとも考えたのだが、じゃあ、なんなのかという疑問にぶち当たる。そうだと言われてしまうのが怖くて、確認もできない。


「…………ハァ」

「……なによ。止めてよ、ため息なんて吐かれるとこっちまで暗くなるでしょ」


 暗い気持ちでジメジメと食材を漁っているとペトラの声がする。


「あ、ペトラ。食材、勝手に使っていいって。ペトラと一緒に考えるって言ったら、ペトラも使っていいって言われたよ。だからペトラ、ちゃんとご飯食べて大丈夫だよ」

「そんなに食べたら太っちゃうわよ」

「……太っちゃダメなの?」


 わたしの答えに、ペトラが呆れた顔をして、ため息を吐きながら頭を横に振る。もう否定の言葉も出てこない。それにしても、さっきわたしにはため息を吐くなって言ったのに。ペトラは理不尽だと思う。


「で?何するわけ?」

「あ、えーっとね、わたし、出店でクレープ作ってるの。だからその種類を増やしたいんだよ」

「クレープの種類?お茶菓子よね?」


 ……ああ、そうか。お城だとクレープはお茶の時に出されるお菓子っていう位置づけなんだ。


「ううん。出店では軽食として売ってるの。だから甘いのもあれば、おかずみたいに辛い味付けのものもあるよ」

「……辛いクレープ?」


 ペトラがよく分からないと言ったように首をかしげる。


「うーん……じゃあ、今からちょっと作ってみるね」


 そして、先日入れてもらった鉄板を作動させる。鉄板が温まっている間に中に包む具を作る。


「肉をそんなに小さく切るの?」

「うん。町のお肉屋さんに行くとね、大きいお肉を切り分けた端の部分とかが安く売ってあったりするの。それを使うと安くていいよね。しかもクレープだとお肉が大きいと食べづらいし」


おしゃべりしながら手早く具を作る。


「ペトラ、クレープ焼ける?」

「……食べたことないから分からないわ」


 ……そっか、クレープはお茶会のお菓子として出されるだけだから……。


 使用人にそんなものが出されるわけがない。


「じゃあ、わたしが作るから見てて」


 部屋から持って来た米粉を出して、食品貯蔵庫から卵と牛乳と砂糖を持ってくる。


「材料はこれだけ。あ、この粉は普通は小麦粉なんだけどこれはちょっと違ってて企業秘密なの」

「企業秘密?」

「うん。わたしと、一緒に出店やってる子だけの秘密なんだ」

「ふーん……」


 ペトラに説明しながら、鉄板でクレープを薄く焼く。お皿に生地を広げて上にさっきの具を乗せたら出来上がりだ。


「はい」

「……あたしが知ってるクレープとは違うわよ」

「そりゃあ、領主様や王族に出される物とは違うよ。ていうか、ホント、いきなり王族用に作れとか無茶言うよね。はい。このまま手で持って食べるんだよ」


 クレープを手早く包んでペトラに渡す。


「……手で?」


 ペトラが手を伸ばして渋ってを2回繰り返して、3回目でクレープに触れる。


「……あ、おいしい」

「でしょ?」


 そう言って、自分の分のクレープを作って食べる。


「うん。これも美味しい。あとは甘いのがあるの」


 今度は、部屋から持って来た木の実のハチミツ漬けをクレープに包む。料理に使うハチミツは、貯蔵室にあったものを使わせてもらった。


「あ、甘い!美味しい!」


 ペトラが目を輝かせて顔をほころばせる。


「うーん、やっぱり女性は甘い方が好きなのかなぁ」

「そうなの?」

「うん。出店で売れ行きを見てるとね、買う人の大半が女性なの。で、やっぱり甘いのが多い。ただ、これは時間帯によって少しバラつきもあるけどね。反対に、あんまり買わない男性が選ぶのはほぼ辛いやつ。男の人で甘いのを買う人ってあんまりいないんだよね」


 お昼に買いに来る人はほとんどが女性だ。そして、食事として買うことが多いからか、この時間帯の女性には辛い方も結構売れる。そして、おやつの時間帯になると、断然女性が甘いものを買いに来る。そして、男性が来るのもこの時間帯だ。ちょっと小腹に入れる感覚なのかもしれない。


「へぇ……、そんなに違うんだ……」


 ペトラが驚いた顔で言う。ペトラはこのお城で生まれ育ったと聞いている。もしかしたら、お城から出たことはほとんどないのかもしれない。


「男の人に、お昼ご飯にもなるなって思ってもらいたいの」

「じゃあ、普段食べてるおかずを一通り試してみたらいいんじゃない?」

「うん。ただ材料費も考えないとね。あんまり高い物って出店じゃ売れないんだよ」

「へぇ……」


 それから、ペトラと二人でおかずを作ってみる。わたしは家でも食事を作っていたので、調理自体はできるがレパートリーが少ない。逆にペトラは、さすがにお城で育っただけあっていろんな料理を知っていた。だが、作り方が分からないし、作ったことがほとんどないので包丁を握るのも危なっかしい。ペトラに、入っていた材料や味を教えてもらいながら、味を想像して調味料を加える。包丁の使い方を教えながらなので、結局味見までこぎつけたのは1つのメニューだけだった。予想した味付けを3通り用意して、試食をする。


「あ、この味近い気がする」

「これとこれを使ったやつだね。これ、何だろう」

「一つはいつも使うやつだけど……」

「ローレルとタイムですね」


 2種類の葉っぱを手にペトラと二人で唸っていると、入り口から笑いを含んだ声をかけられる。


「あ、ハンナ」

「肉料理を作っているんですか?」

「そう。クレープに包んでご飯として食べられるようにしたいの」

「ふーん、なるほどねぇ。それならこのハーブと……あと、これも使えるかな」


 鍋に残っていた具材を少し味見して、ハンナが貯蔵室から野菜や葉っぱを持ってくる。


「ハーブはクセが強いから注意が必要ですが、野菜はいろいろなものを一緒に煮込むといいですよ。味わい深くなる」

「へぇ~。ハンナはどうやってそういう知識を身に付けたの?」


 ハンナが入ってきた途端、ペトラが端によって全くしゃべらなくなる。同じ使用人なのに、そんなにも立場が違うのかと驚く。


「あたしは昔、領都に住んでた時に食事処で働いてたことがあるんですよ。ここに来てからは台所女中をやって、その間に料理長に教えてもらったんです。実は家政婦より料理人の方が長いんですよ」


 ハンナがアハハと大らかに笑う。ペトラのことを気にかける風には見えないが、少なくとも邪険にしているようにも見えない。


「あとは……クレープを少し厚めに焼いてもいいかも知れないですね」

「生地の方?」

「ええ。その方がお腹にたまりそうでしょう?」


 なるほど。さすが料理人だ。わたしは具材の方にばかり意識が行っていたが、たしかに生地にも工夫が必要かも知れない。


「分かった!ありがとう、ちょっとやってみる!」

「はいはい。でも、続きはまたにしてくださいよ。もう見回りはここが最後ですからね」


 ハンナがやってきたのは見回りのためだったようだ。いつの間にか後の5の鐘が鳴っていたらしい。全然気づかなかった。


「そっか……。じゃあ、ペトラ。また明日ね」


 ペトラは口を横に引き結んで硬い表情をしているが、それでも頷いてくれた。きっと明日も来てくれるだろう。


「ペトラはお嬢様がケガをしないように、ちゃんと見張ってるんだよ」

「え?」


 ペトラが驚いたように顔をあげてハンナを見る。何に驚いたのかは分からなかったが、わたしが言いたいことは一つハッキリしている。

 

「見張ってなくたって、そんなひどいケガなんてしないよ。わたしだって家では料理してたんだから」


 少なくとも、ペトラよりは慣れているはずだ。


「お嬢様、一つ聞きますがね」

「何?」

「鉄板の角に少し触れてしまって、これくらい赤くなって少しだけ痛む場合ってのは、どれくらいのケガに入るんですかね?」


 ハンナが親指と人差し指を曲げて小指の太さくらいの幅を示す。


「それくらいならちょっと冷やせば、あとは放っといて大丈夫でしょ?痛みなんて次の日には治まってるよ」


 ハンナとペトラが同じタイミングで呆れたような表情をし、更に同じタイミングで顔を見合わせる。


「ね。見張ってないとダメだろ?」

「分かりました。気を付けます」

「まぁ、何かあってもあんたのせいじゃなさそうだってのは、今の言葉を聞いて分かったからね。何かあったらすぐ呼びな」


 さっきまでハンナに緊張していたように見えたペトラが、何だか仲良くハンナと話している。なんだかよく分からないけれど、ペトラの緊張がとれて上司と意気投合できたのなら良かったと思う。




 

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