ペトラのお母さん

 とりあえず、これから野の日はお菓子を作りに調理場に行くことにして、ペトラにはその時に声をかけてもらうことにした。だけど、それでわたしの心が晴れるわけではない。グズグズ考えて、結局ほとんど眠れずに朝を迎えた。


「うむ。顔の腫れは引いたな」

「うん。良かった。あのまま仕事に行ったらフレーチェ様に怒られちゃうし」


 まぁ、ラウレンス様なら仕事に支障が出なければ良いとか言いそうだけど。あと神呪師のみんなもあんまり気にしなさそう。


 ……あれ、じゃあ、あんまり気にしなくていいんじゃない?


「フレーチェ様には野の日まで会わないしなぁ」

「そういえば、教育係が明日から来るみたいだよ」

「あ、もう隣片付いたんだ」


 これで、わたしには夕方から朝にかけて付きっきりで礼儀作法の家庭教師が付くことになる。


「あれ?じゃあ、野の日のお茶の時間はいらないんじゃない?」

「その辺りは聞いて見なければ分からんな」

「……ハァ」


 そう簡単にはなくならないらしい。なんだか忙しすぎる気がする。神呪三昧とかなら忙しくてもいいんだけどね。


「仕事に行くのに支障がないようなら、食事に行くぞ」

「はぁーい」


 なんだかいろんなことが上手く行ってない気はするんだけど、お仕事はちゃんとやらないといけないと思う。それに神呪のことを考えてる方が、今は楽だ。他のことを考えずに済む。


 ……しかも、あのラウレンス様に、何となく上手く行ってないから仕事休みますとか言えないよね。


 動具を使えなくする動具とか使われたら、わたし、生きていけないんじゃないだろうか。


 食堂に着くと、ペッレルヴォ様が先に席に着いてスープを飲んでいた。

 ペッレルヴォ様の食事はパンが多い。スープに付けてジュワジュワになったものを食べている。ご飯は顎が疲れるんだそうだ。でも、そう言いながら、時々干し肉を食べてたりするのでよく分からない。干し肉って硬くて疲れると思うんだけど……。


「王族以外はみんな同じ立場のはずなのに、どうして上とか下とかの関係ができるのでしょうか?」


 使用人によって目の前に食事が並べられて行くのを見つめながら、なんとなく呟く。質問というより独り言に近かった。


「……ふむ。それは使用人と自分ということかね?」


 ペッレルヴォ様にはいろいろお見通しみたいだ。


「そもそもは役割が違うだけなんじゃがの。人は己ができることとできないことを見失うと、他者の有り難味が分からなくなる。有難いと思えない相手を下に見るんじゃの」

「できることと、できないこと?」

「そうじゃ。アンドレアス様も昔はそれが分からなくてひどい態度を取ったりしておったのう」


 フォッフォッフォッとおかしそうに笑う。


「え……アンドレアス様?」


 どうしてここでアンドレアス様が出て来るのか分からない。アンドレアス様は王族だ。そもそもわたしたちとは立場が違う。


「王族と言うても、王の仕事も領主の仕事もしなければただの人じゃ」


 なるほど。そう言われてみればそうかもしれない。でも、その発言を他の人が言うと不敬とか言われるかもしれない。気を付けよう。


「アンドレアス様は、偉そうにしてるけどわたしを下に見てる感じはしませんよ?」


 王族として無茶な命令はされたが、それでも、最初は普通に説得しようとしていたと思う。


「うむ。アレはなかなか言うことを聞かんでの。少々荒療治をやったのじゃ」

「荒療治?」


 そういえば、ペッレルヴォ様はアンドレアス様の家庭教師だったとラウレンス様が言っていた。


「アキ殿、そろそろ食べ終わらなければ間に合わんぞ」

「え?あっホントだ!」

「ふむ。では話の続きはまた今度じゃの」

「はい」


 パンをスープに浸して柔らかくする間にサラダを食べる。庶民の料理には野菜が少ないなと感じていたが、さすがにここでは野菜も豊富に出る。なんだか最近、職人階級と上流階級の違いに目が行きがちで、ちょっと嫌になる。


 ……ペトラにあんな偉そうなこと言って。


 自分が今まで、その違いに気付いていなかったことが、恥ずかしくて嫌になる。






 夕方、仕事が終わるとちょっと久しぶりに図書館へ行った。


「ん?心臓の資料?」

「そう。心臓から血が全身に巡って心臓に戻るでしょ?その仕組みが知りたいの」

「ハハハ。ずいぶん手を広げるね。神呪師を辞めてお医者さんでも目指すのかい?」


 図書館のおじさんが笑いながら案内してくれる。


「ううん。それを神呪に使えないかと思って」

「えっ?神呪に?」


 おじさんが目を真ん丸にして振り返るが、そんなにおかしなことだろうか。


「神呪師ってのは神呪だけ知ってればいいってわけじゃないんだねぇ」

「それが役に立つかは調べてみないと分からないけどね。でも、何かのヒントになるかも知れないでしょ?」

「すごいなぁ。私には付いて行けない世界だよ」


 おじさんは朗らかに笑いながら言うが、それは謙遜だと思う。だって、この図書館の本を大まかにでも全部把握しているのだ。付いて行けないどころか、知識量は先頭集団で走っていると思う。


「この辺りかな?血が巡ることが知りたいのかい?それとも、心臓の機能そのもの?」

「うーん……どっちかっていうと機能かな」

「じゃあ、こっちだね。これなんかは図解が分かり易くてお薦めだよ」


 図解の分かり易さまで把握してるなんて、おじさんの頭の中はどんなことになっているんだろう。さすがは官僚採用試験に合格した人だ。


 それからしばらく借りる本を物色して、図書館を出た。ちょっと遅くなったが、いろいろ厳選してとりあえず3冊借りてきた。隅々まで読む気はないので、大事なところだけサッと読めば、1日か2日くらいで読めるだろう。


 ペッレルヴォ様の邸の近くまで行くと、洗濯物を抱えた洗濯女中とハンナが話しているとのが見えた。


「ああ、お嬢様、このヘリナはペトラの母親なんですよ。ヘリナ、ペトラが世話になったってのはこの方だよ」

「え?ペトラの?」


 ペトラのお母さんは、ペトラと同じ金色の髪のキレイな人だった。なんとなくペトラと似ているが、茶色い目がペトラと少し違う。ペトラは灰色の目だ。では、あれはお父さん似なのだろうか。


「はじめまして。お嬢様。ペトラの母のヘリナと申します」

「あ、はじめまして。アキです」

「お嬢様。使用人に礼を取る必要はありませんよ。言葉だけで結構ですから」


 お互いに軽く膝を落として挨拶すると、ハンナさんにやんわり注意された。


「うん…………」


 いくら、職人の娘だと言っても、ここではペッレルヴォ様の客人の立場だ。わたしがしっかり立場を自覚しなければ、相手も困ってしまうだろう。それこそ、礼儀作法を共有できなくなる。


「ありがとうございます。お嬢様。娘が、上着がとても暖かいのだとそれは嬉しそうに申しておりました」

「あ……そっか。わたし、ペトラに喜んでもらえたんだね」

「はい。アキ様は上の立場なのに自分を慮ってくれるとずいぶん興奮しておりました」


 ヘリナさんが思い出したようにクスクス笑う。その姿に少しホッとする。なんとなく、娘のことではお母さんには喜んでいてもらいたい。


「良かった。ペトラもだけど、お母さんにも喜んでもらえて」

「まぁ、あたくしもですか?」

「わたし、両親を亡くしてからずっと養父に育てられてきたから。お母さんって、なんだか特別な感じがするの」

「まぁ……大変でしたね」


 ヘリナさんが同情するような表情で言う。もしかして、不必要にしんみりさせてしまったかもしれない。


「ううん。ダンはわたしにいろんなことを教えてくれるし優しいから、全然大変じゃなかったの。でも、やっぱり男の人がお母さんにはならないでしょ?だから特別に感じるだけなの」

「あら、まぁ、そうですね。男性はお母さんにはなりませんね」

「でしょ?」


 フフフと笑うハンナとヘリナさんと別れて邸に入る。


「ペトラのお母さん、キレイな人だったね」

「うむ。洗濯女中には珍しいな」

「そうなの?」

「見た目が良い人は家の中の仕事を割り振られることが多いんだよ。給仕とか、みんな整った顔立ちをしてるだろう?」


 そう言われてみればそんな気がする。


「だからペトラは家女中なのかな」

「どうだろう?親と違う仕事って珍しいからね。何か事情があったか、本人が希望したか」


 本人が希望したという可能性があって、少しホッとする。ペトラはわたしから見て、今の仕事に満足しているようには見えない。誰かの下という立場に苛立ちを感じているんじゃないだろうか。使用人である以上は必ず誰かの下ではあるのだが、家政婦や料理人になれば、使用人の中では最上位だ。ペトラがそれを希望している可能性は高い気がする。


「お母さんは洗濯女中を希望したのかな」

「……洗濯女中はきつい仕事だと聞く。自ら望む者がそういるとは思えんのだが……」


 ヒューベルトさんが、なんだか考え込みながら答える。それにしても、ヒューベルトさんは女中の仕事に詳しいのだろうか。以前は詳しくないのかなと感じた気がするのだが。


「ヒューベルトさん、詳しいね。女中さんの恋人でもできたの?」

「できるか!」

「あれ?そういえば、ヒューベルトさんて結婚してるの?」

「…………いや」


 なるほど。結婚もしていなくて恋人もいないのか。なるほどなるほど。


「…………なぜ、納得している」

「……なんとなく?」


 唸るように呟くヒューベルトさんから目を逸らす。目が合ったらかわいそうな視線を送ってしまいそうだ。


「アキちゃんでもそういう話するんだね」


 ……「でも」ってなんだろう、「でも」って。


「だって気になるでしょ?ずっとわたしの傍にいるんだもん。たまには離れて伸び伸びしたいんじゃないかなって」

「いらん世話だ」

「うん。お仕事一筋で頑張ってね!」

「いらん世話だ!」


 ヒューベルトさんに恋人ができたら護衛の仕事がお願いし辛くなるから、とりあえず3月までは我慢してもらおう。まぁ、3月以降に恋人ができるかは分からないけど。


「リニュスさんは?結婚してないの?」

「うん。でも、王都に婚約者がいるよ」

「えっ!?」


 何気なく聞いたけど、実はリニュスさんにもそういう人はいないだろうと思っていたので驚いた。


「ええー……?そんなに驚くこと?」

「だって全然そんな様子なかったから……。こんなに長く離れてて平気なの?」

「仕事だからね。それに親によって決められた婚約だから、向こうもそんなに気にしてないと思うよ」

「……それって、政略結婚ってこと?」


 リニュスさんは子どもの頃に養子に入ったと言ってた。もしかして、家族に逆らえないのだろうか。


「まぁ、そうだけど、近所に住んでた子でよく知ってるからね。気心は知れてるんだよ。両親もいろいろ考えてくれたみたいだね」


 なるほど。親子の関係は悪くはないみたいだ。わたしはどうだろうと考えかけて、ヴィルネルミナさんとのことが頭に浮かぶ。


 ……ダメダメ。まだ落ち着いて考えられない。もう少し時間をかけないと。


 無理矢理考えを中断して、早足で歩く。早く借りてきた本を読みたい。


「今日は借りてきた本を読みたいから、食後のお茶は遠慮しますって、ペッレルヴォ様に伝えてくれる?」

「いいけど、もう夕飯の時間だよ。自分で言ったら?」

「え!?もうそんな時間だっけ?」


 図書館に寄った時間を計算してなかった。


「本を選ぶのに集中してたからね。鐘の音、聞こえてなかったでしょ」

「うん……全然聞こえてなかった……」


 苦笑気味のリニュスさんに答えながら、足を速める。


「じゃあ、本を置いたらすぐ夕食だね」


 ペッレルヴォ様に食後のお茶の辞退を伝えると、今やろうとしていることが落ち着くまではそちらに集中して良いと言われた。しばらくは来客も断ってくれるそうだ。神呪に集中できそうでホッとした。






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