ダンとヴィルネルミナさん①

 先日言い合いになってから、まだペトラとは顔を合わせていない。

 そもそも、未成年の使用人が家主の目に触れるところに出てくることなどそうそうない。先日のあれも、わたしが地下の調理場まで行かなければ有り得なかったのだ。家主は客人にはきちんと整えられた場所しか見せたくないのが普通だし、客の分際で相手方の内側までズカズカ入っていくなど無礼な振る舞いだ。わたしだって、ちゃんとダメ元でペッレルヴォ様にお伺いを立てている。


「アキちゃん、明日は帰るんだよね」


 野の日の夜、いつものように、午後のお茶会でフレーチェ様にしごかれ、夜のマリアンヌ様の訪問で本番環境での試験を終えたところで、リニュスさんに聞かれた。


「もっちろんだよ!送り迎えお願いね」


 ダンに聞いて欲しいことがいっぱいあるのだ。明日の帰省は譲れない。


「分かった。じゃあ、一応、初めの4の鐘で出る予定にしておくから、そのつもりで準備しておいてね」


 冬は特に納品や出店もないので、明後日まで家でのんびり過ごすつもりだ。今、外が明るいので、もしかしたら明日の朝には境光が落ちて出られないかもしれないが、まぁ、焦らなくてもいいかなと思う。

 この場所に着て、もう2ヶ月以上経つ。生活にもだいぶ慣れてきて、以前ほど帰りたくてたまらないということはなくなってきている。まぁ、それでも早く3月にならないかなとは思うけど。






「ただいまー」


 結局、家に帰りついたのは、お昼過ぎだった。どうやら、始めの1の鐘くらいに境光が落ちたらしい。3の鐘で起きたが、部屋も外も真っ暗だった。

 ペッレルヴォ様に頼まれて作った机上ランプの明かりは、まだ部屋全体を照らせるほどではないので、元々あった、油のランプと併用した。そして、それを見たイルマタルさんに、是非全部屋分作って欲しいと頼まれた。火事防止にもなるが、何より油の節約ができるのが嬉しいらしい。残念ながら、このランプは手を離すとだんだん光が消えていてしまうので、本当に机上で作業する時しか使えないのだけれど。しかも、このランプを買うとなると結構高いと思うんだけどね。


「あ、今日は買い出しかぁ」


 家に荷物を置いて炭やき小屋まで来たが、少しだけ開けてある窯の下の方から煙が出ているだけで、人の姿はなかった。


「じゃあ、町まで行く?」

「ううん。そのうち帰ってくるだろうから家で待つよ。お茶入れるね」


 家の鉄板は、まだ力の加減で温度調節するタイプだ。この休みの間に改良しなければ。


「じゃあ、私は先に町に向かう。リニュスはダン殿にアキ殿を引き渡してから来るように」

「了解」


 ヒューベルトさんはそう言うと、お茶が入るのを待たずに出て行った。何か急いでいるのだろうか。


「今週も報告することがたくさんだからね」


 リニュスさんが苦笑する。まぁ、たしかに、いろんなことがあった。わたしの周囲にも人がたくさん増えたので、きっと細かく報告するのだろう。特に使用人の素性に気を配るのだと聞いた。


「あのペトラって子も注意が必要だからね」

「ケンカしたから?」

「それもあるけど、そもそも父親が罪人というのが気にかかるんだ。罪状を詳しく聞き出せなかったんだよ。まぁ、自領の汚点になる部分は隠すのが普通と言えばそうなんだけどね。ただ、その娘がアキちゃんの近くにいる以上はもう少し詳しく調べとかないとね」

「大変だねぇ」

「……完全に他人事だよね」


 わたしが狙われているんだと言われても、ここ数日を思い返すと全くピンと来ない。


「だって、わたしより狙われそうな人がいっぱいなんだもん……」

「ああ……たしかに……」


 わたしがちょっと遠い目で思い返していると、リニュスさんもなんだか遠い目になった。


「あの家に来ている間に何かあると、オレらが疑われることにもなりかねないから気を遣うんだよね。ハッキリ言っちゃうと、ちょっと迷惑だよね……」

「うん……。でも、考えてみたら、あの山全体が王族の家と庭みたいなもんだもんね。来るなって言えないし、言われるなんて思ってもいないだろうね」

「いや、思ってるとは思うよ?こちらの事情は知ってるんだし。ただ気にしてないんだよ。マリアンヌ様だし」


 そういえば、マリアンヌ様がとても苦手だと言っていた気がする。


「リニュスさんはどこでマリアンヌ様と会ったの?」

「ナリタカ様と王宮にいると、たまに現れるんだよ。数年に一回くらい。そしていろいろと引っ掻き回して行く」


 ……引っ掻き回す?


「去年は、まだアンドレアス様が領主を継ぐことを隠してる時に突然現れてね。嫁をもらう宣言して、弟……つまり王弟にアンドレアス様のことバラしちゃったんだ」

「へ!?」


 ……それって、苦手とかそういう問題ではないんじゃない!?


「それって……」

「ああ、大丈夫大丈夫。マリアンヌ様の弟君は火山領の領主なんだ。それを取り込みに来たらしいんだよ」


 お家騒動とかにならないのかと若干青ざめるわたしに、リニュスさんがパタパタと手を振って軽く答える。


「今、ちょっと政局が揺れててね。マリアンヌ様はそれを動かそうとしたわけだ」

「じゃあ、いいことだったんだよね?」

「結果的にはね。でも、勝手にやっちゃうから全然連携取れなくてさ、こっちは散々振り回されたよ」

「……マリアンヌ様、強いね」

「うん。独自の情報網を持ってるからね。今のところは味方だけど、侮れない方なんだ。だから、あの方がいるところではオレ、極力しゃべらないことにしてるの」


 なるほど。リニュスさんは護衛に徹してるのかと思っていたが、どうやらマリアンヌ様を避けるのが目的で無口になっていたようだ。


「……わたしは大丈夫かな」

「うん。もう冷や冷やだよね、ヒューベルトさん。報告書が何枚になるのか、オレ、怖くて聞けないもん」


 ……今度、ヒューベルトさんに謝っておこう。


 リニュスさんとしゃべっていると、ダンたちが帰って来たので、わたしは炭やき小屋に移動して、リニュスさんは町へ向かった。

 久しぶりにヴィルネルミナさんやクリストフさんとおしゃべりしながら夕食を食べて、後の4の鐘で就寝する。お城では後の5の鐘で寝て、朝は使用人たちの掃除が終わってから起きるので、こんなに早く寝るのは久しぶりだ。






 次の日は、始めの4の鐘が鳴ってしばらく経ってから境光が出た。お城にはランプがあって、油を遠慮なく使うので、境光によって一日の流れが変わることはほとんどないが、森での生活は境光があるかないかでガラッと変わる。先週戻った時は、二日ぶりに境光が出たのでダンもクリストフさんも慌ただしく買い出しに行ったり木ごしらえをしたりしていた。本来なら休みの予定だったが、仕事が繰越になっていたらしい。わたしも微力ながらお手伝いをした。久しぶりの体力仕事だった。


 ダンは先に仕事に出たので、鉄板の改良を始める。それほど大変な作業ではないので、これが終わってから小屋に向かえば、ちょうどお昼ご飯の時間になるだろう。ハンナが作るのも家庭料理だが、やっぱりいろんな材料を使ってちょっと凝っている。ヴィルネルミナさんが作る料理は質素だが、その分素材の味が大事にされている。それぞれ美味しい。それにしても、同じメニューを作っても違う味に仕上がるのが不思議だ。


 ……あれ?


 水を汲んで来ようと外に出ると、ちょうど、森の奥に分け入っていくダンが見えた。森に用事があるのかとも思ったが、今は雪が積もっていて、木の実や薪の材料なんかも落ちていない。

 なんだろうと、ダンの後を追おうとしたら、ダンが森に入って行った場所から、今度はヴィルネルミナさんも森に入って行くのが見えた。


 ……何があるんだろう。


 ヴィルネルミナさんは耳が悪いので、あまり外を出歩かない。動物の足音が聞こえないので危険なのだと以前聞いたことがある。もし、何かを採集とかするのであれば、わたしが代わった方がいいかもしれない。


 急いで桶を部屋の中にしまって、ランプと白い布を取って来ると、もうヴィルネルミナさんは見えなくなっていた。


 ……マズイ、見失っちゃう。


 今は境光が出ているが、いつ落ちるか分からない。ランプは消したまま、紐で腰にぶら下げて布をかぶって急いで歩く。白い布は、万が一、森で迷子になって境光が落ちてしまった場合の動物対策だ。周囲が白いので、白い布をかぶっていると防寒と擬態の両方を兼ねることができる。


 ダンとヴィルネルミナさんが森に入って行った場所に行くと、幸い二人の足跡が残っていたので、慎重に追跡することにする。ここでわたしが迷子になんてなったら、それこそ大事になる。

 ヒューベルトさんとリニュスさんは、今日は来ていない。雪の中を出歩くのは困難だし、わたしが今の状況で逃げ出すことも考え辛いので、放っておいてくれているのだ。だが、今の状況では、どちらかでもいてもらえば良かったなと思ってしまう。そう思って、いつの間にか自分があの二人をとても頼りにしていたのだと考え至って少し驚く。なんだか新鮮な感じだ。


 ダンみたいに、何があっても絶対大丈夫と思えるほどのものではないが、それでも、わたしはあの二人がわたしに何か不利益をもたらすとは疑っていない。ナリタカ様が絡むと、もしかしたらそれも有り得るのかもしれないが、それもちゃんと分かった上で、それでも現状で信頼できると感じている。そんな風に感じられるようになった自分がちょっと誇らしい。


 ……成人したらダン離れするんだもん。こうして少しずつ他人に慣れていくのは大事なことだよね。


 森の中をしばらく進むと、前方に少し開けた場所があって、そこにヴィルネルミナさんがいるのが、雪の白の中にチラチラ見える鮮やかな色で分かった。


「あ、ヴィルネルミナさ…………」


 声をかけかけて、途中で止める。ヴィルネルミナさんの向こうにダンが見えた。


 ……え?ダン?と、ヴィルネルミナさん?


 どうして二人して、こんな森の中にいるのだろう。


 向こうはわたしには気付いていない。何となく、声をかけるタイミングを失って、そのまま立ち尽くす。二人とも何かを採集する様子ではなく、立ったまま何かを話し合っている。すると、突然ヴィルネルミナさんが俯いて、顔を両手で覆うのが見えた。


「ええっ!?」


 何を話しているのかは遠すぎて分からないが、なんだかヴィルネルミナさんが泣き出したように見える。


 ……いやいやいや、待って、ダンが泣かせたの!?ヴィルネルミナさんを!?


 ダンの方がヴィルネルミナさんよりは何歳か年上だが、それでも二人はそれほど年が違わないはずだ。仲も良いので良いお友達だったと思うのだが、ケンカでもしたのだろうか。

 よく分からないが、クリストフさんがいない以上わたしが仲裁しなくてはと、一歩踏み出したところで、思わず足が止まる。


「………………え?」


 心臓がドクンと大きく脈打つ。


 ダンが、俯いているヴィルネルミナさんに近づき、抱きしめるのが見えた。





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