ダンとヴィルネルミナさん②
……なんだろう。
状況が、よく分からない。
呆然と立ち尽くすわたしの視線の先で、ダンとヴィルネルミナさんが抱き合っている。
……抱き合っている?え?何?
頭の中で言葉にしてみて、余計に混乱する。どういうことなのか、全く分からない。何があったのか、二人のところに行って聞いてみればいいと思うのに、何故か足が動かない。
「あ……」
足が動かないと意識した途端、自分が小刻みに震えていることに気が付いた。
猛ダッシュした後のように心臓がバクバクと音を立てている。息も荒い。
……なんで?わたし、おかしい。
心臓が苦しくて、頭の奥がジンジンと疼く。まるで何かを怖がっているかのように、頭と体が固くなって震えている。
…………戻らなきゃ。
戻って、動具を作らなければ。
体がなんだか異様に冷たく感じる。全身の血が凍ってしまったみたいだ。
……何、作るんだっけ……。何かあったはず。
とにかく戻って作らないと。
ぎこちなく足を動かして、一歩踏み出す。
その後のことはあまり覚えていない。何かに急かされるように無我夢中で足を動かした感覚は残っているが、周囲の景色も覚えていないし、家に戻った自分が何をどうして自室にいるのかも記憶にない。
……神呪。神呪、描かなきゃ。
冷え切った室内で、地面に座り込んで、とりあえず神呪具を持ち出す。
部屋がこんなに冷えているとダンに不審に思われる。部屋を暖めるような神呪を描かなければ。
神呪具を構えるが、冷えてかじかんだ指先では思うように神呪が描けない。
……温めるやつ、床を温めるやつ。落ち着いて。落ち着いて。落ち着いて。
目を閉じて、深く息を吸って吐いて、指先に集中する。頭の中に、神呪と力の流れをイメージする。
……鉄板じゃない。部屋。空気。温めるやつ。
目を開くと、もう頭がマヒしたように集中して、神呪のこと以外考えられなくなっていた。
ガチャリとドアが開く音がしたことを認識して、一気に意識が浮上する。
「…………何やってんだ?」
聞こえてきたダンの声に心臓が跳ねて息を飲む。
ダンを振り返ろうと途中まで首を捻じ曲げて、でも、ダンの顔を見るのを躊躇って視線だけを床に描き散らした神呪に向ける。
「熱の神呪の研究。神力を貯められないかと思って」
強張った体で、強張った声で短く答える。
「貯める?………………まぁ、いいが、研究するんなら、床じゃなくてちゃんと紙に描いて保存できるようにしろよ」
「分かってるよ」
ダンの声が妙にうるさく聞こえる。早く出て行って欲しい。
……わたしは今日は神呪を描いて過ごすんだから。
ドアが閉まって、階段を降りていく音がした。玄関のドアが開閉する音が聞こえて、家の中から人の気配が消えると大きく息を吐く。なんだか力が抜けた。だらりと下げた手から神呪具が転がり落ちる。
しばらくぼんやりと神呪を眺めていると、不意に涙がポロポロと零れて来た。本当に、大粒の涙が突然ポロポロ落ちてきて驚く。
心臓が痛い。なんでかすごく泣きたくなる。大声で泣き喚きたいけど、そんなことをして万が一にもダンに聞こえたらと思うと、やっぱりできない。理由を聞かれたくない。というか、自分でもよく分からない。頭の中がグチャグチャで、整理ができない。
「ううぅぅっ……うっうっく……うっ」
その場に蹲って、上着に顔を埋めて泣き続けた後、疲れてそのまま寝てしまった。
「アキ殿。アキ殿」
「ん……んん~?」
「……なぜ、床で寝ているのだ?」
「んん~?」
話しかけられたので、答えるために目を開けようと思うのだが、なんだか目が開きにくい。瞼に力を入れると少し視界が開けるのだが、瞼がすごく重い感じがする。わたしの目はちゃんと開いているのだろうか。
「……ヒューベルトさん?」
「………………」
顔を上げて狭い視界でなんとか確認すると、当のヒューベルトさんは何とも言えない奇妙な表情をしていた。口を開けて目が半眼なので、たぶん呆れているのだと思う。
「……その顔はどうするのだ?」
質問の意図がいまいち掴めない。どうにかできるものなのだろうか。
「……持って生まれたものはしょうがないから、このまま生きていくしかないと思う」
「違う!」
違うらしい。何がどう違うのか分からないけど。
「とりあえず、雪を取ってくるから包むための布を用意していろ」
そう言うと、ヒューベルトさんは部屋から出て行った。
「持って来たぞ」
布を探していると、ヒューベルトさんが戻ってきた。速い。さすが護衛なだけある。
そして、わたしが布を探すまでもなく、ヒューベルトさんが自分のハンカチに雪を包んでくれていた。
……ヒューベルトお母さん。
「これで目を冷やせ。何があったか知らんが腫らし過ぎだ。ダン殿はどうした?」
「…………さぁ、仕事じゃない?」
なんとなく、ダンのことを考えたくなくて目を逸らして答える。
「……もう城に戻る時間だ。準備はできているか?」
小さい声で答えたわたしをヒューベルトさんがチラリと見たが、特にそれ以上ダンの話には触れない。
「……準備…………まだ……」
「戻る時間は言ってあっただろう!」
そう言うと、ヒューベルトさんが手早く荷物をまとめる。そういえば、初日もこうしてヒューベルトさんが荷造りしてくれた気がする。
「ありがとうヒューベルトさん。ヒューベルトさんはもうお母さんって名乗っていいと思う」
「誰の母だ、誰の!」
「え……そう言われてみれば、誰のだろう…………」
……ていうか、お母さんて呼ばれるのは受け入れちゃうんだ。
ヒューベルトさんて心が広いなと思う。
荷物をまとめると、ヒューベルトさんはわたしに上着を着せ、その上から自分の荷物から引っ張り出したフード付きのコートをかぶせてきた。
「……ヒューベルトさん。これだと前が見えないんだけど……」
袖もぶかぶかで、前に突き出した両手の先から余った袖がだらんと垂れている。
「そうだろうな」
わたしに答えながら、両肩に自分の荷物とわたしの荷物を背負い、更にぶかぶかコートにくるまれたわたしを片腕で持ち上げる。
「えっ!?……わっ、わっ、わっ」
「暴れるな。落とすぞ」
「落とさないで!ていうか、危ない!落ちる!」
「暴れなければ落とさない。しっかり掴まっていろ」
「高い、高い!怖いって!」
どこに捕まればいいか分からなくて、とりあえずヒューベルトさんの肩をガシリと掴む。ヒューベルトさんがわたしの頭を押さえて、肩に伏せさせるようにする。
そのまま炭やき小屋に行き、ダンとクリストフさんに声をかけた。
「それでは、我々はこれで戻る。アキ殿は疲れているようなので、寝かせたままで失礼する」
「………………」
どうやら、わたしは寝ていることになっているらしい。大きいフード付きのコートは顔を隠すためのものだったのかと納得する。まぁ、たしかに、さっきまで寝ていたしね。
「分かった。…………くれぐれも、よろしく頼む。アキ、ちゃんと挨拶するんだぞ」
「………………」
わたしが寝たふりをしていることなんて、ダンにはお見通しだったようだ。挨拶とは、寝る前のおやすみ通信のことだろう。だが、今更答えるわけにもいかず、そのまま少しだけ俯く。
ダンの声を聞くと、一瞬ホッとして、でもすぐになんだかモヤモヤが込み上げる。お腹の中で何かがグルグルする。早くお城に戻りたいなんて思ったのは初めてだった。
お城のペッレルヴォ邸に戻ると、挨拶もそこそこに、ヒューベルトさんによって部屋に運ばれる。
「夕飯は部屋に持ってくるので、それまで目を冷やしていろ」
そう言うと、邸に入る前にリニュスさんに集めさせた雪入りの革袋を寄越す。
「リニュスはドアの外で待機」
「了解」
そうして、二人とも部屋を出る。リニュスさんを置いて行ったのは、何か心配させているのだろう。けれど、部屋では一人きりにしてくれる気遣いがなんだか沁みる。
ベッドに仰向けに寝っ転がって、瞑った瞼に革袋を乗せる。ひんやりして気持ちいい。
……何も考えたくない。
ゆっくりと呼吸していると、あの時のダンとヴィルネルミナさんが頭に浮かぶ。途端に心臓が痛くなって、慌てて想像を消す。
……今はまだ、考えたくない。
でも、何かしら考えていた方が心には良さそうだ。じゃあ、何を考えようかなと意識してみる。そうすると、こんな時にやっぱりわたしが考えることなんて、一つしか浮かばない。
「……力を貯める……同じ状態を保つ……循環させる…………」
……貯めたものを使うより、何かを介して入ってくる力を循環させる方が現実的かも。
ランプを数時間作動させるごとに力を貯め直さなければならないのは面倒だし、まとめて貯めておこうと思えば、きっとその分大きな動具が必要になる。一旦循環させる方向で考えようと、何か循環しているものを思い出す。
「循環循環…………お風呂……水……空気……息……血……心臓…………」
……あれ、心臓ってどうやって動いてるんだろう?
「………………リニュスさん!」
バターンとドアを開けると、リニュスさんは廊下を挟んだ向かいの壁に寄りかかっていた。もし、ドアの横にいたらドアを思いっきりぶつけてしまったかもしれない。危なかった。反省反省。
「ん?どうした?」
リニュスさんがチラリと全開したドアを見ながら聞いてきた。
「知りたいことがあるの。ペッレルヴォ様に面会できるか聞いてきて欲しいんだけど」
「……アキちゃん。もう食後のお茶も終わる時間だよ。お話したいなら、また後日になっちゃうよ?」
いつの間にかずいぶん時間が経っていたみたいだ。
「じゃあ、お茶、一緒に飲む!」
「そんな顔で行けるか!」
全開状態のドアの向こうから鼻を押さえたヒューベルトさんが姿を見せた。
怒るところがわたしの粗相に対してではないところがヒューベルトさんだなと思う。そして、斜め後ろに引いた片腕に、無事難を免れた夕食が乗っているのも、さすがだ。
……あとでお詫びに何か差し入れでもしよう。
「ごめんね、ヒューベルトさん。で、それは置いといて、持って生まれた顔はどうしようもないんだよ。わたしは気にしない」
「持って生まれた顔と変わっているからいっているのだ!鏡を見てみろ!」
「鏡?」
部屋に戻って鏡台の鏡を見る。シヴィ服飾店で見たような、表面がツルツルの真っ平で、歪みが全くない見事なガラス加工だ。こんな鏡がこんなに無造作に置かれているなんて、やっぱりお城は全てにお金がかけられているなと思う。
………………。
「ヒューベルトさん、ヒューベルトさん。鏡の向こうになんだか怖い顔の人がいるよ」
「あんただ!」
鏡の向こうには、目の回りが真っ赤になって大きく晴れたせいで、垂れ下がった瞼に目を半分塞がれた女児がいた。たぶん、顔全体が浮腫んでいるのだろうが、とにかく目の回りが酷すぎて、他がどうでもよく見える。
なるほど、ヒューベルトさんが鼻を痛めながらも懸命に止めるわけだ。そして、お腹を抱えて笑っているリニュスさんは、それほど熱心には止めなかったなということを、記憶に留めておこう。
「……これ、明日には治るかなぁ」
「まぁ、一晩冷やせば大丈夫だろう」
「袋、貸してごらん。雪を入れ替えてくるよ」
リニュスさんが親切にしてくれたことも、記憶に留めることにした。
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