引っ越たら忙しくなりました
ペッレルヴォ様のお家に引っ越すと、途端に忙しくなった。
夕食後、サロンに移動してペッレルヴォ様とお茶を飲みながらのおしゃべりをする。雑談のような感じだが、最後に課題が与えられて、それを終わらせるとまた課題が出る。あれ、これはお茶会だよね?
課題が終えていない日もペッレルヴォ様とのおしゃべりはある。知らなかった話が多いので、課題をやっていなくても、頭には毎日何かしら詰め込まれている状態だ。
「では次はこの本を貸し出そうかの」
ペッレルヴォ様がまた新しい本を勧めてくる。
「植物の分類学?」
…………分厚い。
試しに持ち上げてみようと、本の横にそっと両手を添えると、わたしの手のひらの横幅より厚かった。指を広げて持ちあげようとするが、指がなんとか引っかかる程度なので、本の重みに耐えることができない。
……持てないです。ペッレルヴォ様………………。
「植物の分類学においてこれ程面妖な視点での見解が載っておるものは他に見当たらん。研究者の間では鼻にもかけられとらんが、わしは一部において一考に値すると思っておる。是非ともお前さんの意見が聞いてみたいものじゃ」
「面妖な視点?」
「神人が作ったものか、人が作ったものか、それとも元は神物だったものなのかという視点で書かれておる。ちなみに著者は不明じゃ」
それはとてもおもしろそうだと思う。好奇心をそそられる。すぐにでも読んでみたい。ただ、問題はこの厚さだ。
「……ペッレルヴォ様……全てに目を通すのは無理だと思います」
「いやいや、それはおもしろいと思う部分だけで良いのじゃ。そもそもこれは息抜き用じゃからの。この本を貸し出すので、疲れたときにつまみ食いのようにそっちを読むと良い」
そう言って、ペッレルヴォ様はいつもと同じようなペラッとした本を差し出す。
……あれ、息抜きに読むんだね。まぁ、たしかに、おもしろそうだけど。
ペッレルヴォ様は果たして、誰もが感じることを共有できているのだろうか。
そして、ペッレルヴォ様とのお茶会には時々来客がある。いろいろな人が来るので大変だ。今日はその中でも一番大変な相手だと思う。たぶん。
「ホホ、ペッレルヴォが珍しく弟子を取ったと聞いたで、楽しみに来てみたら……。まぁ、野生の珍獣であったか」
ちなみにこれは恐らくイヤミではない。表情はとても快活で、緑の瞳は好奇心にキラキラと輝いている。
「どうやらフレーチェ殿に躾けられている途中のようですぞ」
「聞いておる聞いておる。最近、フレーチェが何やら楽しそうでのう。妾だけ一人除け者のようじゃ」
この方は初めてお会いするが、なんとなく、話し方とかフレーチェ様を呼び捨てにするところとかから、この人の正体が滲み出ている。
……濃い灰色の髪とか、どこかの王族兼領主様と似てるよね。
チラリと護衛の二人を見ると、二人とも遠い目をしていて、更にドアを挟んだその横に初めて見る武漢が二人並んでいる。
……護衛、多すぎない?
「どれ、妾もちと、躾けてみようかの」
見るからに高貴なその女性がそう言うだけで、後ろに控えていた侍女がお茶の準備を始める。始めると言っても、当然、自分たちが何かするわけではない。使用人に命じに行くのだ。
「あの……今日はフレーチェ様は……」
「なかなか珍獣を見せてくれぬからの。巻いてきたわ。ホホホ」
結構豪快な人のようだ。
……大丈夫かな、フレーチェ様。ていうか、わたしが怒られたりとかしないよね?
「さて、ではお茶会といこうかの」
「はい。……お方様、お誘いいただきありがとうございます」
椅子の横に立ち上がって、礼を取る。本当は使用人とか侍女に合図して椅子を引いてもらわなければならないのだが、わたしは使用人や侍女を持てる立場ではないので、音を立てないように、動きがぎこちなくならないように、細心の注意を払って自分で椅子を引いて立ち上がる。
……庶民と上流階級の礼儀作法って微妙に違うよね。
「なに、妾が勝手に押し掛けただけじゃ。楽に」
わたしの挨拶に鷹揚に頷いて、席を勧める。
「どうじゃ?城での暮らしは」
「先日まで寮におりましたので、寮監や文官、武官の方にもとてもよくしていただいておりました。今は、ペッレルヴォ様にいろいろなことを教えて頂いています」
当たり障りなく、謙虚な返事ができた。わたし、咄嗟によくできた。
「なかなか物覚えも良いそうじゃの。フレーチェから聞いておるぞ」
「ありがとうございます」
おかしなことを口走らないようにドキドキしながらお話していると、侍女に連れられて、新しく雇った使用人がお茶やお菓子を運んできた。
「なんじゃ、茶菓子がしょぼいのう」
「しょぼくて悪かったですな」
「ホホ。拗ねるでない拗ねるでない。次は妾が準備しようかの」
いかにもな、おばあさんとおじいさんの会話だが、あまりほっこりする気になれない。二人の身分が高過ぎる上に、周りの空気が仰々し過ぎる。たぶん、今のわたしの心拍数は周囲の使用人の心拍数と同じくらいのはずだ。あと、筋肉の強張り具合も。
……いつもこんな空気なのかな。息が詰まりそう。何年もこうだと慣れるものなのかな。
「おお、そうじゃそうじゃ。アキは市井で菓子を売っているのではなかったか?」
「ふへっ!?」
……こちらにお鉢が回ってきた!
「いえいえいえ、わたしが作ってるのはクレープですから、お二人のお口に合うものなど作ってませんから!」
首と手首を高速で振る。そういえばエルノさんは元気だろうか。
「クレープ?妾も時々食すぞ?あれが作れるのかえ?」
「いえ……恐らくとても違うものかと……」
出店で作るのは、手で持ってパクッと食べる、お腹を持たせるためのクレープだ。お茶のお供にするために料理人が腕によりをかけて作る高級菓子とは絶対に違う。
「ふぅん。では、次に来るときにはそれを出しておくれ」
「へいっ!?」
……いやいやいや、わたし、神呪師だから!料理人じゃないから!
プロの料理人が作る料理に口を慣らしている高貴な人に、自分の拙い料理を振る舞う勇気はさすがにない。
「お方様。本日のように突然参られては、この者も事前の準備ができません」
後ろの侍女さんが見かねたように口を挟んでくれた。わたしもコクコクと激しく首を縦に振る。
「おお、そうじゃの。では、いつなら作れるか?」
「えっ!?……え、ええと…………?」
……どうしよう。1年後とか答えてもいいのかな。
「では、次の野の日はいかがでしょう?」
さっき口を挟んでくれた侍女さんが、予定より1年弱早い日程を提案してくる。きっとこれからの予定なども把握していて、それを考慮してのことなのだろう。もちろん、断る権利はわたしにはない。
……料理長とフレーチェ様に相談しよう。そうしよう。そしてできれば、フレーチェ様には止めてもらおう。
「よし、それで決まりじゃ。楽しみにしておるぞ」
「どれ、アキはもう寝る時間じゃろう。退室してよいぞ」
「ありがとうございます。失礼致します」
サロンを退室して自室に戻る。
「ヒューベルトさん…………」
「うむ。フレーチェ殿に引き合わされるまでもなかったな」
……そうだよね。やっぱりそうだよね。あの人、噂のあの人だよね。
「アキちゃんて巻き込み系だよね」
「え!?巻き込まれてない!?」
「いや、あれらは恐らくアキ殿を見に来られているのだ」
「巻き込まれてるのはオレ達だよ…………」
リニュスさんが遠い目で呟くのを見ると、なんだか申し訳ないような気がしてくるが、それは違う。わたしが悪いわけではない。わたしが寮から出た途端にやって来た高貴なお方が悪いのだ。絶対口には出せないけど。
「ハァ。とりあえず、明日の仕事が終わったら料理長に相談してみようかな」
「そうだね。仲良くなっといて良かったね」
全くだ。リニュスさんの言葉に深々と頷く。それにしても、寮を出てからというもの神呪以外の仕事が加速度的に増えて行っている気がする。
「マリアンヌ様のお言葉から察するに、本人がアキ殿に礼儀作法を教え込むおつもりのようだな」
「…………いいの?それは」
フレーチェ様は、あの方の前に出すためにわたしに礼儀作法を叩きこんでいるはずなのだが。そしてフレーチェ様にはまだまだお出しできる代物ではないと言われていたのだが。
「まぁ、本人がいいと言うんだからいいんだろうね」
「………………」
「………………」
「………………」
思わず足を止めて二人を振り返る。
「………………ハァ」
「………………ハァ」
「………………ハァ」
三人そろって深々とため息を吐き、部屋の前に辿り着く。
「じゃあ、アキちゃんおやすみ。ちゃんと歯を磨いて寝るんだよ」
「きちんとブラシで髪を梳いて寝るのだぞ。おやすみ」
二人とも完全に保護者になっている。きっとこの後ダンにも何か言われるのだろう。
……子どもだということを思い出して早く寝ろとか、かな。
「はぁい。おやすみなさい」
とりあえず、もう疲れたから寝ることにした。
「クレープは見た目が大事だなぁ」
翌日早速地下の調理室に行って料理長に相談する。
「わたしにはそんな技術はないよ」
「まぁ、オレと同じ質のモン作られちまったらオレがクビになっちまうからな。ハハハ」
料理長は豪快に笑うけど、たしかにそうだなと思うし、そんなものを求められても困る。
「アキちゃんはいつも作ってるモンでいいんじゃないか?お方様も物珍しさで喜んでくれるだろ」
「でも、お茶会なんだよ?」
「単純に少ないものを数種類出せばいいんじゃないか?」
「数種類?」
「ああ。皿に盛りつけるのにちょっと工夫すればいいだろ」
ちょっと工夫と簡単に言われるが、その工夫が分からない。
「盛り付けってどうやるの?」
「ん?あ~、じゃあ、ちょっとこっち来てみろ」
「はぁい」
料理人によっては、厨房に他人を入れるのを嫌がる人もいると聞くが、ここではそういうことはなさそうだ。今まで何度か調理場には来ていたが、足を踏み入れるのは初めてで、ちょっとドキドキする。
「クレープ焼いてみろ」
「小麦粉で?」
「他に何があるんだ?」
……そっか。マリアンヌ様は小麦粉のクレープしか食べたことがないのか。
では、ここで飾り付けのやり方を少し教えてもらえば、いつもとはちょっと違うクレープを出すことができる。少しくらい出来が悪くても、違う物なのだと言えば容赦してもらえるかもしれない。
料理長に、クレープの盛り付けをざっくりと教えてもらい、ついでにできたクレープを厨房の女中さんたちと食べて、調理場を後にする。
途中、あのペトラが洗濯物を持って来たので誘ったのだが、フンッと顔を背けられてしまった。女中さんたちが文句を言っていたので、もしかしたらいつも、ああいう態度なのかもしれない。仲良くなるのはちょっと無理な気がしてきた。
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