庶民の悩み
「よく考えたらさ、わたし、礼儀作法とか知らないよ?」
アンドレアス様からの通達をテーブルの真ん中に置いて、ダンとヒューベルトさんとクリストフさんとヴィルヘルミナさんとわたしで囲む。
リニュスさんは穀倉領に報告に向かって、まだ戻っていないそうだ。
「まぁ、そうだな。教えてねぇからな」
「いや、そこは教えて頂きたかった……。アキ殿の様子を見ればいずれ必要になるかもしれないことは予見できただろうに」
何でもないことのように言うダンに、ヒューベルトさんが突っ込む。
「無理だな。オレがよく分からねぇ」
「……王宮に出仕されたことがあるのですよね?」
「あるが下っ端は職場に直行するからな。別に王族と顔を合わせることもねぇ」
ダンは下っ端という程下っ端ではなかったと思う。
「……どちらにせよ、ダンには無理だろう。男性と女性では全く違う」
クリストフさんの言葉に、わたしとヴィルヘルミナさんが頷く。たしかに、お辞儀の仕方一つとっても、男性と女性では違っていた。
「まぁ、いいんじゃねぇ?開発室に直接行って教えるだけだろ?王族には会わねぇだろ」
「……アンドレアス様も王族だぞ」
「おお~」
たしかにアンドレアス様も王族だ。王族だとは分かっていても、礼儀作法が必要な相手だという認識はなかった。だが、アンドレアス様が王族である以上、礼儀作法は気を付けなければならなかったのだ。誰もが忘れていたことだが、ヒューベルトさんは忘れていなかったようだ。さすがだ。
「いや、忘れているのはお前だけだ」
「ダン殿は、忘れていないのに礼儀作法は必要ないと言っていたのか……?」
さっきから、ヒューベルトさんのダンへの突っ込みが大変リズミカルで心地よい。そもそもダンの身形を見れば、そういうことに無頓着だと分かるだろうに、いちいち突っ込んでくるところに誠実さと真面目さを感じる。
……で、やっぱり自由だよね。
ナリタカ様の周囲の人たちは個性が豊かだ。わたしが入ったら埋もれてしまうなと思う。まぁ、埋もれてもいいんだけど。
「でも、そうねぇ、やっぱり誰かにきちんとご指南頂いた方がいいんじゃないかしら。兄さん、どなたか心当たりはないの?」
ヴィルヘルミナさんがクリストフさんに聞いているが、クリストフさんには女性の上流階級のお知り合いがそんなにいるのだろうか。
……炭屋さんは男の人だしね。
「……そうだな。マリアンヌ様の侍女辺りで、少し聞いてみてもいいが……」
「マリアンヌ様!?」
ヒューベルトさんが目を見開いて、信じられないというようにクリストフさんを見る。
「アキ殿は作法のさの字も知らぬ上、根本的な礼儀すらすっ飛ばす子どもだぞ!?こんな状態でマリアンヌ様の御前に引き立てられるなど、死を覚悟せよと言うようなものではないか!アキ殿は幸運なことに、まだ、スレスレのところで不敬罪には問われていない……はずだ。この幸運を無にするつもりか!?」
……そこまでひどかったかな。
アンドレアス様もラウレンス様も何も言わなかったけど、もしかして、あと一歩で処刑台とかだったのだろうか。
……それくらいなら、いっそ放っといてくれれば良かったのに。
正式な入城は約1ヶ月後になるが、その間にお城で着る服も買い揃えなければならない。半年間もいれば、その間に冬になる。結局、夏の服から冬の服まで一式揃えなければならないので、結構大変だ。
……別に中古でいいと思うんだけどね。
お城で働くのに、職人の服ではダメらしい。そして、下働きというわけでもないので支給される服とかもないらしい。結局、お金で解決するしかない。アンドレアス様にお願いすれば、出してもらえるだろうか。
「いや、いくらなんでも、このまま御前に出されはしないだろう。誰か侍女で手の空いた者を付けてもらえるよう話してみる」
クリストフさんの言葉で、一旦連絡待ちということになった。1ヶ月でどれだけのことが身に付くのか、自分で疑問に思ってしまう。
草の日の今日は、アンドレアス様からの通達を受け取ってから初めての出店の日だ。
わたしはコスティに、正式にお城に呼ばれたことを話した。
アンドレアス様とお話ししてからすぐに、コスティには、事情があって半年程領都に行かなければならなくなるかもしれないという話をしてあった。お城に行くということはまだ話していなかったが、それを聞いても、コスティは特に驚きはしなかった。
「まぁ、あんな神呪を作ってしまうくらいだからな。引き抜かれるのは当然だな」
出店の準備をしながらため息を吐いている。だが、別にこれは引き抜きではない。
「お城に行くのは半年間だけだよ。そこはアンドレアス様とナリタカ様の間で約束されてるし、ナリタカ様からはわたしが成人するまでは自由を保障するって言ってもらってるもん」
「まぁ、今はそうかもしれないけど……。とりあえず、事情は分かった。草の日は一旦辞めて、客の様子を見てから考えることにする。都の日から2日間休みってことは火の日は来れるんだろ?」
コスティは何かを言いかけたけれど、途中で気を取り直したように話を変える。でも、わたしだってコスティが何を言いかけたのか、だいたい分かる。コスティは、わたしが将来的には王族に取り込まれて、ハチミツの仕事からは手を引くだろうと思っている。そして、その予想はきっとハズレてないだろうとわたし自身も思う。
……逆らうなんて、できなかった。
親し気な口調で気安く話かけられても、わたしが礼儀も作法も知らないことを咎められなくても、それでもアンドレアス様は王族だった。身分も、権力も圧倒的に違っていて勝負にもならない。逃げることを選ぶのでないならば、あとはどれくらい、自分にとって有利な条件で取り込まれるかを選ぶしか道はない。
「まぁ、とりあえず半年後には戻してもらえることになってるし、成人するまでの自由は約束してもらってるから、今は自分ができることをやることにするよ。成人までにお金を貯めないといけないってとこは変わらないしね」
「そうだな。オレだって、成人までには金を貯めとなきゃいけないしな」
コスティと頷き合って、わたしは最後の草の日の出店を始めた。
「アキちゃん、ごめん!」
アーシュさんがリニュスさんを伴ってやって来たのは、翌日のことだった。開口一番に謝られても付いて行けない。
「僕がランプができた日のことを話してしまったから……」
「ああ、そのこと。まぁ、でも、それはしょうがないよね。別にアーシュさんのせいじゃないし。どっちかって言うと、口を滑らせたのわたしだし」
アンドレアス様はアーシュさんに聞いたと言っていた。アーシュさんは優しいから、きっと気にしちゃったんだろうなと思う。わたしだって、アーシュさんがしゃべらなければとチラッと思いはするが、わざとじゃないものを責める気になれない。特にアーシュさんには材料を集めてもらったり工房を手配してもらったり、本当に良くしてもらったのだ。それに、そういった材料なんかの納品記録を見れば、ランプが事故の後に作られたものだなんて、きっとすぐに調べられてしまうだろう。
「いや、僕が迂闊だったんだよ。僕はアキちゃんと違ってそういった状況に慣れてるんだから読めて然るべきだった。僕が未熟だったんだよ。本当にすまない」
アーシュさんが頭を下げるのを見て不思議に思う。アーシュさんは結構簡単に非を認めるし謝ってくれる。ラウレンス様みたいな重々しい感じがしないし、わたしも受け入れやすい。何が違うんだろう。
「アーシュさんて、なんか庶民っぽいよね」
「……ええ?何?突然」
アーシュさんが本当に不思議そうな顔で聞いてくる。会話に威圧感がない。
「どうしてアンドレアス様とかラウレンス様みたいに怖くないのかなと思って」
「…………ええと、それは褒められてる方だと思っていいのかな?」
もちろんだ。王族の周りの人がみんなアーシュさんだったらいいのに。
「うーん……ナリタカ様の影響……かな?というか、ナリタカ様のお父上かな?」
「……穀倉領主様?」
「そうそう。あの方がすごく庶民的で変わってるんだよね。あ、王族の中ではってことね。ほら、ガルス薬剤店に持って来てくれてた糠漬けあったでしょ?あれ、領主様が随分気に入ってね。普通は庶民の差し入れなんて持って行ったって見向きもしないもんなんだけど、ナリタカ様のお父上は庶民とか王族とかをあまり気にしないんだよね。それで、領都でも糠漬けを作るようになったんだよ」
そういえば、ガルス薬剤店の店主が気に入っているという話は聞いていたし、領主様に食べてもらったという話も聞いたような聞かないような……。
「アンドレアス様は逆にすごく王族らしい環境で育ってるんだよ。お母上が現王の姉君であらせられてね。お父上とは政略結婚だったんだ。まぁ、普通の王族の家庭はそんなものだよ。アンドレアス様はむしろ、そういう環境に育ったのに随分気さくな方だと思うよ」
なるほど。あれが普通だというのなら、わたしはたいていの王族とは気が合わないだろう。
「アンドレアス様よりはナリタカ様の方がまだマシだよね……。うるさくて鬱陶しいだけだもん……」
「アハハ、アキちゃん根に持ってるねぇ~。でも、その言葉を聞けて良かったよ。ナリタカ様も安心するんじゃないかな」
……なんだかアーシュさんの話に出て来るナリタカ様ってすごく心配性で気が弱い人みたいだよね。
「で、ここからが本題なんだけど。僕はこれからアンドレアス様の元に乗り込んで文句を言ったり嫌味を言ったりして、アキちゃんに関してこちらに有利な条件を飲ませるよう交渉してこようと思ってるんだ。アキちゃんがどうしても譲れない部分とか、困ってることとか、聞かせてくれる?」
「うーん……わたしだけじゃ足りないかもしれないから、ダンにも聞いて欲しいんだけど……」
今日はダンはクリストフさんと森へ切り出しに行っている。何時に戻るか分からないのだ。
「そうか……まぁ、それはそうだよね。ダンさんが時間が空く日がいつか分かる?」
「明日は買い出しの日だから、時間、取れると思う」
「ああ、じゃあ、明日にしようか。買い出しなら町で会う方がいいかな?」
結局この日は、わたしの礼儀作法が心配だから、マリアンヌ様という方の侍女にお願いをしているという話をして、あとはアーシュさんからのお土産の本をもらっただけで終わった。
礼儀作法に関しては、リニュスさんからも報告を受けていたらしく、今まで見たことがないくらい真剣な顔で「勉強より大変かもしれないけど、がんばってね」と応援された。
リニュスさんが何を話したのか、一度聞いてみる必要があるかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます