市街地から大きく外れたここは誰も彼もに見捨てられ、忘れられた土地だった。いつかの日、人が造り世界中を覆った疫病の最中人が打ち捨てた場所。

 ならばそこに命の灯はなく。ところどころひび割れ、砕けたコンクリート。大きくえぐれた外壁。背骨のように鉄筋をのぞかせる灰塔。それらをただ月明かりだけがそっと照らしていた。

 人の営みはなく、月のざわめきだけが際立つ。だからここは廃墟だった。


「はあはあっ……ク、クソ、ここに俺を追い込んだつもりか?」

 ふたりの男が対峙していた。小太りの男の言葉に、『彼』は無言で懐から一丁の拳銃リボルバーを取り出す。

「シリンダーの拳銃だぁ? なんて骨董品を……くくっ」

 だが小太りの男は平然としていた。不敵な笑みすら浮かべている。銃口を向けられたというのに。

 なぜならその男には拳銃への対抗手段があったからだ。

 小太りの男と『彼』の間に割って入る女性のシルエット。

「それがお前の切り札か」

 そこではじめて『彼』は、顔を覆うマスクの下から声を出した。若い男性の声だった。

「そうだ、コイツは――」

 男は嬉しそうに、実に愉快そうに紹介する。そばの彼女を。ずっと彼が逃げるときも付き従っていた彼女を。

 女の表情に変化は見られない。この異常な――廃墟でマスクの男に拳銃を突きつけられているという――状況においてあまりにも特異だった。

 ごっそりと表情が抜け落ちていて、およそ人間的とは言えない。恐怖を忘れたというより、元より生まれたときにそんな感情を付与されていないような。

 つまり彼女は合成人類アンドロイドなのだ。

「だから、あんたがその拳銃の引き金を引くより早くコイツは動ける。たしかにアンドロは三原則で人間に危害は加えられないと思っているかもしれない……が」

 小太り男はそうひと言前置きして、こちらも懐から拳銃を――電子銃スマートガン取り出した。

「追い込んだんじゃないのさ。俺が人気のないところに誘い出した……それだけだ。あーっはっは……あーっはっはっは!」

 『彼』の標的は狂ったように笑った。あるいは本当に狂っていたのかもしれない。

 だがマスクの『彼』は微動だにしない。

「四菱電産だろ? そうだろ?」

 不敵な笑みの、小太りがそう問いかける。マスク男の雇い主のことだろう。

「ケチな飼い主より、取引だ。なっ? そのほうがいいだろ!?」

 なにがいいのだろうか。マスクの下で『彼』はそう思った。

 小太りの男は電子銃を持つ手とは反対の手から小型の部品を取り出した。

 それは最近市場から消えた最新型のアンドロイド用のマイクロチップらしかった。

 マスク男はそれを静かに見下ろしながら、ひと言。

「ケチなやつだ」

「なに……馬鹿が。相手の動きを拘束しろ!」

 男は素早くアンドロイドに命令する。

 そばのアンドロイドは目にもとまらぬ速さでマスク男にとびかかろうとする。

「上だ」

 だが彼は動かず、動じず。代わりに言葉少なに対峙する男とアンドロイドの視線を誘導する。頭上へと。

 男はぽかんと、そしてアンドロイドは警戒から上を見上げる。

 廃墟のビル。その縁腰かけていた存在に注視する。

 一身に月明かりを浴びていた踊り子へ。




 主人マスターの声。

 彼女はその声を確認して、そっと腰かけていた廃ビルの屋上縁に手をかけ、押した。それから自由落下に身を任せて廃墟の隙間、灰色の谷間に何メートルも落ちていく。

 恐ろしさはない。代わりに何の感情もわかない。

 月明かりがその体ともども重力にぐんと引き寄せられ、その肢体を照らす。布あまりなどないぴっちりした戦闘スーツをこぼれるほどの明かりで照らしていく。

 月光浴を楽しんでいるうちに、いつの間にか彼女は地面へスタっと着地していた。

 まあ彼女の体重で地面の古いアスファルトが割れ、破片が飛び散ったが。

 これは問題ないだろう。

 なぜなら彼女は――もっとも計算された『美しさ』で着地してみせたのだから。電子頭脳に組み込まれた計算通りの着地だったはずだ。

 彼女のマスターのオーダーはいつも決まっていた。『美しく』だ。

 マスターの敵である小太りの男は声を失っていた。彼女のほうを見て。

「あ、アンドロイド……だと!?」

「そりゃそうだ……お前だけだと思ったか?」

 小太りの驚きの言葉に、マスターがそう返した。

 そしてそんな彼にに襲いかかろうとしていたアンドロイドでさえも、彼女の姿を視認して機能を一時停止していた。

 それらを引き起こしたのは、『彼女』という存在そのものだ。彼女の姿かたち。立ち居振る舞い。夜空の満月など外的要因などがそうさせていた――らしい。

 彼女にはそれを理解できないし、理解する必要すらない。

 そういったただの法則だ。

 その法則に従い、この場は時を止めたのだ。

 端的に言えば、思考の強制停止。

 彼女が作り出す『美しさ』という秩序がその場にいる『人間の思考』という名の混沌を静止させたのだ。

 動きを止めているアンドロイドに、細心の注意を払いながら彼女は次の動作にうつる。

 腰部の内蔵ホルスターから一丁の拳銃を取り出す。シリンダーつきの特製回転式電子銃スマートガン。それが彼女の武器だ。

 指に引っ掛けて回転させ、丁度敵性アンドロイドの鼻っ面に銃口を向ける。そして間髪入れずに引き金を引いた。

 銃口から極高出力の加速粒子が一筋の細い流れを描き、敵の鼻頭に風穴を穿つ。続いて合成タンパクの皮膚を焼き、溶かし、内部の重金属群をも構造的に溶断していく。やがてその効果は円状に広がりを見せ、眉間を頬を、歯茎をでこをアゴを耳を合成タンパクの髪を焼き頭頂部を吹き飛ばした。

 電子銃の排莢が行われたとき、そこに残っていたのは頭頂部を失い機能不全に陥り、大股を開き、大地へと崩れゆくアンドロイドの姿だった。

 時間にして0コンマ一桁にも満たない時間。

「え、あ……な、なに?」

 敵アンドロイドの飼い主はその光景を見てなにを思ったのか。

「簡単な仕事だったな」

 彼女のマスターはそう言って男の額に自分の銃口をつきつける。

「ま、待て! コイツを見ろ!」

 男が希少部品を手に命乞いをする。

「な、いいだろ!? や、やるよ……なあ!」

 それに対してマスク男は軽く答えた。

「俺は、いいと思うよ」

 そして引き金を引いた。闇夜に大きな銃声が鳴り響いた。

「おつかれ」

 マスク男が彼女に声をかける。

「私は疲れていませんが? それともいますぐここで疲れろという命令ですか?」

「……それ、ちなみに疲れたらどうなる?」

「機能の90%をカット……フリーズモードに入ります」

「入るな」

「了解しました」


――カチャ。


 そのときだった。彼女の集音センサーが決して小さくない音をとらえた。

「どうした?」

「物音が……」

「物音? どこだ」

 だが人間であるマスターにはわからなかったようだ。

 彼女は音の出所を指さした。

「あそこの瓦礫……廃棄された冷蔵庫の中です」




 プリマ――正式名称プリマヴェーラの収音センサーがとらえた微細な音を頼りに瓦礫に近づくマスク男とプリマ本人。

 物音。まだ仲間がいたのだろうか。

「ここか」

「はい」

 彼らが戦っていた隣の廃ビル。その一階駐車場、瓦礫だらけの中央部。そこに積み上げられた不法投棄品の山に近づいた。

 たしかにプリマの言うとおり、廃棄された冷蔵庫が見つかった。

 しかしこんな古い投棄物の中から物音なんて、不思議なこともあるものだ。

「俺がこの世でもっとも嫌いなもの。なにか知ってるか」

「芸術」

「……生きとし生けるモノ」

「マスターはネクロフィリアでしたか」

「『嫌い』の反対が『好き』だったなら世界はもうちょっと平和だったろうさ」

 マスク男はそう言いながらおそるおそる扉をあけた。

「なんじゃこりゃ」

「バイタルを確認中……生きてますね」

 彼の予想や期待を裏切って、そこにいたのは手足を縛られ、口にガムテープを貼られた――ひとりの少女だった。

 

■ ■ ■


「ああ、もうだからそうじゃねえ。早く引き取りに来てくれって!」

 彼はイライラを電話口にぶつけながら頭をかきむしった。

「確認なら身柄確保後にいくらでもやったらいいだろう!? 仕事の確認は速いくせに、迷子のひとりも保護できないってのか……」

 俺はボロのソファーに体を横たえながら、電話を切った。

「マスター、その様子だと納得できる結果は得られなかったようですね」

「プリマ、お前わかってて聞いてるな。昨日の仕事の報酬は支払われたらしいから、確認だけしといてくれ」

「了解しました」

 プリマは一歩下がって、まるで部屋の調度品のようにピタリと動かなくなった。昨日とは違って、戦闘服ではなくワンピースを着ているのでまるでマネキンのようだ。

 それを見て満足した男は話す相手を変えた。

「さて、おまえの処遇だが……」

 向かいに置いたこれまた綿の飛び出したボロソファーに座っていた少女に話しかける。彼女の見た目十二、三くらいに見えた。ショートカットのまだ幼いと言っても差し支えない年齢だ。

 少女は急に話しかけられ、びくんとした。両手で持っていたカップがはねる。

「あの……私ここにいちゃ……駄目、ですか?」

「…………」

 開口一番そう言われた。問いかけられた彼は少女から視線をそらし、少し考える。それからしばらくして口を開いた。

「四菱がすぐに迎えに来る。だからそれまでここにいろ」

「私、どうなるんでしょう」

「さあな。俺は保母さんでもなけりゃ、ここは託児所でもないからな……」

 もうすでに少女は涙目だった。

「ああ……まあ、なんだ。迎えが来るまではここで好きにすりゃいい。夏は暖房、冬は冷房完備の広々ワンルームだ。快適……」

 彼が言い終わらないうちに屋上から廃車が落下して、地上に突き刺さる。ずしんと建物全体を揺らした。パラパラと天井から建材の破片が落ちてくる。

「な、快適だろう?」

 彼は自宅として利用している廃駐車場の二階を見回した。適当にそこらで拾ってきた家具を、これまた拾ってきた発電機につないで使っているようだ。ドアがない以外は比較的快適だと言ってもいいだろう。

「なんか食うか……シリアルバーか菓子くらいしかないけどな」

 男の言葉に少女はしばらくきょとんとしていたが、その後消え入りそうな声で。しかしながらはっきりした口調で答えた。

「はい」

 少女の涙はおさまっていた。




 昨晩。この少女を見つけて、すぐに彼は四菱の警備部へ連絡した。

 各々企業はこういった自治組織を持っており、フリーの賞金稼ぎに仕事を斡旋しているほか、各経済圏でのこういう犯罪がらみの事件をすべて受け持っている。

「うぅ~~~!」

 少女がガムテープごしに、涙目でうなった。

 あきらかに誘拐だろう。

 この件に先ほどの小太りの男が関係あるのかないのかは知らないが、当初彼は報告だけしたらそのまま放置して帰るつもりでいた。

 四菱の警備部門は迅速だ。少なくとも彼はそう信じていた。

「はあ!? 一時的に保護しろ……一時的っていつまでだ。わからないって!」

 だから警備部の担当からそう言われたときはどうしようかと思った。

「お、おい……あ、クソ。切りやがった!」

「マスター、おめでとうございます」

「プリマ、それが皮肉なら満点だ」

「ありがとうございます」

「皮肉だ」

「了解しました。マスター、たったいま私は非常に『疲れ』ました。フリーズモードに入ります」

「特殊な抗議をするな! いいからそいつを運べ」




 そうして彼は自宅であるこの廃駐車場に少女を連れてきて、朝を迎えたわけである。

 まずは運ぶときガムテープを取った。帰り道少女は一言も話さず、暴れず運ばれてきた。そして自宅で残りの拘束を解き、すぐに砂糖とミルクたっぷりの温かいコーヒーを出してやった。

 それを飲むと少女はすぐに眠気がきたのか、こてんとソファで眠りこけた。

 起きると、外はずいぶんと明るかった。アナログ時計の短針も垂直に伸びていた。

「あ、あ……」

 少女はなにか言いたげに声をあげた。けれど緊張しているのか二の句がつなげない。

「なんだ。ゆっくり落ち着いてしゃべれ……時間ならいくらでもある」

「あ……はい」

 そして一度ゆっくりと呼吸すると彼女は言った。

「あの……アカネ、です」

「なに?」

「な……名前」

 少女はどもりながらもそう伝えてきた。

「ああそうか……」

 彼には興味がなかった。

 そもそも少女がどうしてあそこにいたとか、どういう境遇なのかとか。そういうことを考えて、調べて、処断するのは四菱の警備部の仕事だ。

「あの、名前……」

「名前はもう聞いたぞ、早く食え」

 彼は少女に手渡したシリアルバーを見てそう言った。

「違うっ、あなたの名前……!」

 少女がいままでにない大声ではっきりと俺に問いかけてきた。

 少し面喰いながらも彼は、少女の目をはっきりと見つめ返した。いまは仕事用のマスクはつけてはいない。

 彼のその眼力の鋭さに少女は目をそらし、伏せた。

「アートマン……」

「え」

「芸術使い《アートマン》……そう名乗っている。それ以外に名前はない。それとそこの骨董品の名前はプリマヴェーラ。プリマでいい」

「骨董品のプリマです。よろしく」

 マネキンだったプリマが目を開き、人間のように軽く会釈して挨拶した。

「よ、よろしくお願いします」

 少しの沈黙を挟んで少女はそう挨拶してきた。

「…………」

 いったいなにをよろしくしたらいいというのだろう。夕方にはきっと警備部に引き渡すというのに。

 そうアートマンは思った。


■ ■ ■


 駐車場の隙間から夕陽が覗く。現時刻、夕方。

 結局のところだ。迎えは来なかったわけだ。

「残念です」

 プリマがアートマンに向かって、うやうやしくおじぎしてきた。

「皮肉か」

「皮肉でしたか?」

「あの、私迷惑ですか……?」

 剣呑なふたりの会話に当の本人が問いかけてくる。

「出て行ったほうがいいですか?」

「ここから出てどこに行く? 警備部の担当が来たとき、ここにいないほうが厄介だ。ここにいろ」

「はい」

 少女は力なく答えてソファに座りなおした。

 彼は考える。いよいよ厄介なことになってきたぞ、と。

「おい、アカネと言ったな。アカネ、おまえなにやった?」

「なにって……なにも」

「じゃあただの誘拐か。親は? そもそもおまえを誘拐したのはあの男か?」

「男……の人? たぶん……そうです。親は、いません」

「なら被害届は出てないか。それで警備部が手こずってると? ふむ……」

 アートマンは無糖の缶コーヒーを飲みながら首をひねる。

「あの、男の人は?」

「処分した」

「え?」

「俺が処分した。警備部の依頼でな。こう見えて賞金稼ぎなんだ、俺は」

「はい、こう見えてもマスターは立派な賞金稼ぎなのですよ」

「……プリマ、なんで二回言う必要がある?」

 プリマは黙って雑多な家具にまぎれた彫刻になった。

「ちっ」

「賞金、稼ぎ……?」

「各経済圏で特定解雇対象者を捕縛、処分する……ようするにフリーランスの殺し屋だよ。クレジットさえ積まれれば誰でも殺す。噂で聞いたことくらいあるだろ?」

「殺し屋……なら、私の両親も……」

「ん?」

「え、あのべつになんでも……ありません」

「ふむ。いまの時代孤児は珍しくもないが、そんな孤児を誘拐ってのは珍しいな」

 身代金目的だとしたら誰から金を取るって話だ。

「私、誘拐、されたんでしょうか?」

「なに?」

 少女が気になることを口走った。

「あの、私を誘拐した? 男の人……『ここに隠れていれば安全』だって」

「誘拐犯を見たのか?」

 おかしな話だ。彼らが見つけたとき少女は猿ぐつわと目隠しをされていた。

「わかりません。でも担がれてる感じ背の高いおじさんだったような……?」

「背の高い、おじさん?」

「おじさんかどうかはわかりませんが、声がその……若くなかったような」

 昨日追い詰めた男は若かった。それに見たところだいたい身長百六十あるかないかだった。

 これは直観で『違うな』とアートマンは思った。

「どっちにしろだ。いいか、おまえはしばらくここでじっとしてろ」

「しばらくって、どのくらいですか?」

「さあな。明日の朝か、二三日か、はたまた一年か……」

「マスター、それは犯罪ですよ?」

「プリマ、おまえは黙ってろ」

「はい、マスター」

 また彫刻になる骨董品。アートマンはできればそのまま朽ちるまで彫刻として過ごしてほしいと願った。

「まあ迎えが来るまではここで好きに過ごせ」

 日が落ちきったのを確認して裸電球をつけた。真っ暗な駐車場がほのかに暗い程度にはなった。

「広い風呂でゆったりすごすなり、ゲームで遊ぶなり、腹いっぱいうまいもの食うなり好きにな」

「あの……」

「ああ、悪い悪い。ここには風呂もないしゲームもなけりゃ、飯……はあるが、シリアルしかなかったな」

「そうではなくて……」

「あん?」

「私がここにいても迷惑じゃないんですか?」

「迷惑か迷惑じゃないかって議論なら答えは出てる。迷惑だ」

「……!」

「まあ待て。さっきも言ったが警備部がやってきたとき、おまえの所在がわからないと俺が真っ先に疑われる。つまりおまえは俺の人質ってわけだ。俺の身の潔白を証明するためのな」

「はあ……」

「だからここにいろ、いいな」

 彼の言葉に少女は否応なく首肯した。

「はい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る