第5話 山田羊子⑤


何歩か歩いて部屋に入ると、振り向いてももうそこには襖も何もなくあのときの病室のままだった。


「本当に私がいたときのままって感じだね」


 服もいつのまにか入院着へと変わっていてテレビや洗面台はもちろん、ベッド脇の時計や鏡、本などの私物もそのままで本当は生き返ったのではないかと錯覚してしまいそうなほどに一緒だった。けれど部屋の時計が反対方向に回っているのを見て、やはりこれは夢の世界なのだと理解した。わかっている、いや、わかっていた。

 混乱する頭をどうにか正常に戻し覚悟を決めた。


「さて、最後のチャンス悔いのないように……」


「起きて大丈夫なのかい?」


  五郎先生の声が後ろから聞こえて体がビクッとなった。懐かしいその声に思わず涙が滲む。


「五郎先生お久しぶりですね」


 涙をこぼさないように窓の外を見たままで言う。


「久しぶりって昨日も会っているだろう?」


「会ってないですよ。五郎先生、私はずっと前に死んでるんですよ」


「そんな冗談は言うもんじゃないよ」


「冗談なんかじゃないですよ。ほら、よく思い出してみて。これは夢の世界だけど現実はどうなのかを」


 振り返って目と目が合う。扉を開けたところに五郎先生は立っていた。


「夢……?。そうか…………。夢なのか」


「そうです、夢です。思い出してもらえましたか?」


「ああ、思い出したよ。羊子ちゃんは死ん……だんだ。」


「ふふっ……。はい、私はもう死んでいます。そんな辛そうな顔をされると嬉しいですね」


 下唇を噛んでうつむいた五郎先生。私の死を悔しがってくれていることに喜んだ。


「五郎先生、私話したいことがたくさんあるんですよ」


「ああ、そうだな。俺もあるよ」


「五郎先生も?」


「そりゃあるさ。本の話しとかいっぱいしたいよ」


「ありがとうございます。でもまず言わせてください。五郎先生…………私は、妹さんではありません」


 じっと見つめながらはっきりと言うと、五郎先生は目を逸らした。


「……ごめんなさい。今日は最後だから言いたい事はすべて言うと決めてここに来たんです。だから言わせてもらいます…………」


「……ああ。でも俺は羊子ちゃんのことを妹のように大切な人だと思ってる……」


「私は私として、女性として見てほしかったんです。……五郎先生、ずっとあなたが好きです。悔しいけれど死んでからもその想いはずっと変わらなかったんです」


 逸らされた目が再びこちらへと戻ってきた。その表情はとても驚いていた。


「本当に妹だったんですね……」


「……すまない」


「謝らないで下さい。本当はわかっていましたから……。私も五郎先生をお兄ちゃんだと思えれば、きっとすべてが幸せな記憶になったのかもしれませんね」


 それから私たちは出会った頃からの思い出話をした。

 初めて五郎先生おすすめの本を借りた時のこと、読んだ本の感想を言い合った日のこと、病院の中庭を散歩した時のこと、夜中不安で泣いてる私の背を優しく撫でてくれた日のこと、こっそりとコンビニのケーキを用意をして私の誕生日祝いをしてくれた日のこと。


  「そういえば、五郎先生の好きな本って今でも変わってないんですか?」


「うーん。変わってないなぁ」


河辺かわべひろしの『道草さんぽ』?」


「そう、それ!あれいいんだよね。幼馴染みの男女の生まれてから死ぬまでの話だけど、恋人になっても夫婦になっても、変わらずに仲の良い二人の感じがすごい素敵なんだよね。羊子ちゃんも好きだって言ってたよね」


「ふふっ、ごめんなさい。あれ嘘です。どちらかと言えば苦手な方です」


「ええ嘘っ!?」


「五郎先生が好きだって言うから好きだって言ったんです。本当は、佐浜陸さはまりくの『愛する人に一輪のバラを』の方が好きです。身分違いの男女がどうにか一緒になろうと奮闘するところが感動します。お嬢様の彼女の父が彼を消そうとするところでハラハラしたり、こっそり二人が会ってるところでドキドキしたり二人と一緒に自分の気持ちが揺れるのが面白いです」


「えー、そっか。それじゃ道草さんぽは物足りないよな。あれは穏やかに一生を過ごしてる話だし」


「そうですね。本当はホラーとか好きですし、ちょっと刺激的な方が好みでしたね。五郎先生はどちらかと言えばほわほわっとした日常系な話が好きですもんね。そう考えると全然気が合いませんね」


「みたいだな。ぷっ」


「あははははーっ!」


 初めてこんなに大声で笑ったかも知れない。二人で涙が出るくらい笑い合った。

 たくさんの思い出を辿って、辿って、気がついたら私の顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。


「懐かしいなあ。どれも昨日のことのように思い出せます」


「俺もそうだよ」


 思い出話をしている間、五郎先生はずっと笑っていた。

 そんな笑顔がなくなり重々しい表情に変わり目が合う。今まで見たこのない五郎先生の顔にどきりとした。


「俺は……初めて担当した患者が、死んだ妹と同い年で幼少の頃から妹と同じ病気を患っていたと知って、これは運命だと思ったんだ」


「運命……?」



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