第3話 魔術の基礎

 イーレン魔法学校の授業は選択制だが、一部必修の授業がある。初年度の間は特に必修の授業が多い。これから行う授業もそのうちの一つだ。


 魔術基礎。


 文字通り、魔術の基礎を実践とともに身につける授業だ。


 必須の授業であるので、百人弱いる一年生の全員が参加している。右隣には、ルームメイトのヴィクター、左隣にはカミラが座っている。


「それじゃあ授業を始めるぞ。教師のサミュエル・キューザックだ。新入生の君たちに一年間魔術の基礎を教えることになってしまった。わからんことがあっても授業時間外に俺に聞くなよ。貴重な研究時間が削られるからな」


 壇上に立つサミュエル・キューザック教諭は白衣をだらしなく着こなし、あごには無精ひげが生えている。初っ端の生徒を突き放す発言といい、ちゃんと教師が務まるのだろうか。


「さて、優秀な君たちのことだからほとんどの者は知っていると思うが、一応基本中の基本から話すことにしよう。魔術とは何か。……そこの君、名前は?」


 そう言って、こちらの方を指差す。


 席を立ち、ディルグです、と答える。


「ディルグ君。君は魔術とは何か知っているか?」


「魔術とは、魔素をもちいて自然にはあり得ない各種物理現象を起こす行為を指します。魔術そのものは、記述、表現、伝達することができず、人を通して伝承することでしか身につけることはできません。魔術は客観的に理論的に説明できる『技術』ではなく、個人に宿る『技能』なのです」


 そこまで言い切ると、サミュエル教諭は驚いた表情を見せた。


「そうだ、その通りだ。よくわかっているな。魔術は人に言葉で教えられるようなもんじゃない。実際にやってみせて、それを見て各々学ぶしかない。コツはいくらか教えられるがな。……ただ、だからといって知識として教えられるものが何もないわけではないぞ。わかりやすく例を見せよう。<物質生成ゼオニカ>」


 サミュエル教諭の開いた掌の上に、青白い光を伴ってこぶし大の金属球が生成されるのが見えた。生成され終えた金属球は掌との距離を保ったまま空中で静止している。金属球は目で見てわかる限り完璧な球を形成している。


「これが魔術だ。もちろんこんな風にいちいち唱える必要はないがな。この金属球は浮いているわけだが、浮かすにはどうすればいいと思う? いや、言い方を変えよう。この金属球を浮かすには、どういう物理現象を引き起こせばいいと思う?」 


 金属球に向けていた視線を上げ、サミュエル教諭は学生全員を見渡す。また誰かを当てるのかと思ったが、今回は自分で答えを言うようだった。


「正解は、重力と釣り合う力を働かせればいい、だ。正確には遠心力などとの合力という表現が相応しいが、細かい話は今はいい。物体が浮くという現象を、重力と同じ大きさで反対向きの力を働かせるという物理現象に還元したわけだ。これの何が有用なのか」


 金属球が突然学生たちの方へ向かって発射される。しかし、学生に当たる前に微細な青白い粒子となって消えていった。


 魔術によって魔素が変化して生成された物質は、魔術による干渉を受けなくなってしばらくすると消失する。


「今こうやって金属球を打ち出したのも原理としては全く同じだ。違うのは、力の向きと大きさだけだ。物を浮かべることと打ち出すこと。傍目には異なる事象に見えるが、同じ要領で実現させることができる。これこそ科学を学ぶ意義だ。魔術の原理そのものはわからないが、基本の魔術をいくつか設定することで他の魔術がそれらの組み合わせで記述できるようになる。科学理論についてはほかの授業で履修するから、この授業では詳しく説明することはない。魔術基礎でやるのは科学理論をもとにしての実践だ。練習を繰り返すことで、基本的な魔術の習得を目標としてもらう」


 サミュエル教諭の説明は淀みがなく、要点をおさえていてわかりやすい。この授業を任されるだけの力量はあるようだ。


「基礎だからって侮るなよ。高等魔術の多くは基礎魔術の組み合わせでしかない。だが、高等魔術を成功させるには基礎魔術に熟達していなければならない。くらいのレベルを片手間にできなくては話にならん。」


 あれ、とは先ほど実演して見せた魔術のことだろう。金属球を生成し、浮かせ、発射する。どれもそう難しくはない。ただ、一年生の大半は、生成した金属球は歪んだり欠損しているだろうし、揺れ動いて空中で安定しないだろう。金属球を空中で静止させるのは、ボールを人差し指の先で支えるようなものだ。


 この基礎魔術を極めることが、優秀な魔術師になるための第一歩というわけだ。


 師匠からは様々な魔術を伝授してもらったが、基礎魔術は特にみっちり鍛えてもらった。だいぶものになっていると思う。それでも師匠にはまだまだ及ばないが。


「それじゃあお前らもやってみろ。魔術で球を生成して、浮かせてみろ。球の材質は何でもいいし、球でなくて直方体や立方体でもいい。ただ、球の方が重心が容易にわかるから簡単だぞ? 材質は一番生成し慣れてるものにしとけ」


 各自で、作業を進める。


 初歩中の初歩の魔術なので、大半の生徒は特にトラブルもなく完成させている。材質が複雑なものであったり、球ではなくて立方体、円柱などを浮かしている学生もいる。自分の実力をアピールしたいのだろう。


 大英雄ドゥルーグであるファニーナは、特に変わったことはしていなかった。教諭と同じように、金属球を浮かべている。ただ、周りの生徒と違って明らかに練度が高い。浮いているというより、空間で静止しているように見える。


 俺も金属球を胸のあたりに漂わせているが、彼女には見劣りするだろう。もっと精進しなければならない。


 隣を見ると、カミラは問題なく魔術を完成させているが、ヴィクターは浮かせる段階で苦労しているようだった。


 球が静止せず、不安定に揺れ動いている。どうやら重心をとらえきれていないらしい。


「力を働かせる点が一つだけだと、不安定になる。力点を複数、設定すればいい」


 そう助言を出すと、ヴィクターはハッとした顔になり、再び魔術に取り組み始めた。


 今度はうまくいっているようだ。球は少々ふらついているが、それでも先ほどと比べれば格段に安定している。


「よし、全員できたな。次は――」


 この調子で授業は進んでいった。


 授業が終わった後、ヴィクターは椅子の背もたれに身を預けてうなだれていた。相当疲れたようだ。


「どうだった? 記念すべき最初の授業は」


「どうもこうもないよ…… ついていくので精いっぱいだ」


「よくそんなのでこの学校の試験に通ったな」


「僕はこの学校の試験はほとんどやってないんだよ。高魔力持ちは試験が免除される制度、あるだろ」


 魔力という言葉は、どれだけの規模の物理現象を起こせるか、どれだけの質量の物質を生み出せるかの程度を表す。魔力がどれだけあるかは、すぐれた魔術師になれるかどうかを決定する最も重要な要素である。


 この学校では、特段すぐれた魔術の素養を持つ人間が、試験の際にそれ以外の要素ではじかれないように試験を免除する制度がある。彼はその制度のことを言っているのだろう。


「ところで、ディルクの横にいる女性は誰? 知り合いのようだけど」


「彼女はカミラ。同じ平民だ、仲良くやろう」


「カミラです。よろしくお願いします」


「よろしく、カミラさん」


「カミラ、でいいですよ」


「じゃあカミラ。改めてよろしく」


「こちらこそ」

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