第6話 イス

表札に田中と書いてあるだけでこんなに安心する日が来るとは思ってもみなかった。だが、田中という苗字なんて日本中ちょっと歩いただけですぐ出会えるくらいメジャーな苗字であることを考えると、やはりまだ油断するには早い気もした。俺は、少し緊張しながら、インターホンを押した。すると家の中で物音が盛んになり始めた。時には大きな何かが落ちたようなとんでもない地響きのような音まで聞こえてきた。

 「なんかしてんのかなぁ?」俺はしばらく経ってもなかなか出てこないので、近所迷惑を承知で大声を上げた。

 「先生、何してんっすか?」すると家の二回のベランダの窓が開くのが見えた。家の中ら見慣れた人物が出てくると、彼は身を乗り出してこちらを見下ろした。

 「時哉?なんだ君か。鍵なら右の石の下だ。」鍵の場所を大声で言った先生は、そのまま家へと入っていった。俺は扉の右側に不自然に置いてある石を持ち上げ、下に置いてあった鍵を手に取った。

 「いや不用心にもほどがあるだろ。」俺はそう呟きながら先生の家に入った。

 「来るなら前もって連絡してくれたまえ。」家に入ると、先生が少し困ったような顔で二階から降りてきた。

 「僕が来ちゃまずい理由でもあるんですか?」

 「いや、君じゃなくて・・・・」先生がそう言いかけると、インターホンの呼び出し音が家中になり響き、少しの間時が止まったように先生も動きを止めた。インターホンのあと数回のノックが聞こえると、先生は顔のすべての筋肉を上にあげた。

 「噂をしてたら来たぞ。」そういうと先生は部屋の物を、いろんな扉や何かの下に隠すように収納した。

 「来たって誰っすか?」

 「テレビ局だ。」先生は部屋を行ったり来たりしながら説明した。

 「テレビ局って何のために?」

 「説明は後だ。君もここにいられると都合が悪いから屋根裏の物置にいてくれるか?ラジオでも聞いててくれ。」先生は一方的に要望をすると、玄関へ向かった。よくわからないが、この家に来ればこんなことはしょっちゅうだった。そんなことよりも先生は俺の知ってる先生であることに、安心しきると先生に言われた通り、屋根裏の物置へ向かった。

 二階の先生の部屋へ行くと、俺は屋根裏へ続く梯子を下ろすためのボタンを探した。先生の部屋は毎回物の配置が換わっている為、時々ボタンを見失うことがあった。

 すると外から話し声が近づいてきていた。

 「やべ、どこだよボタン。」俺は少し焦っているからか、まったくボタンが見つからなくなっていた。

 「では、先生のお部屋で少しお話を聞いてから、発明品を見させて頂くという流れで・・・」先生になにかを説明している女性の声は、だんだんと近づいてきた。

 すると突然部屋の扉が、大きな音を立て始めた。おそらく先生がそのテレビ局の人たちを止めているようだった。

 「その前に私の家のトイレを見てみるのはどうですか?すごいんですよ。なんて言ったって特注品の上ですから。」何言ってんだ?トイレ特注って金の使い所・・・俺はその時先生の特注のイスの周りを確認した。ビンゴだった。これは先生からのメッセージだったのか?それとも本当にトイレが特注なのか?イスを特注で作ってもらうような人だからあり得ない話ではなさそうだと思いながら俺は椅子の上にあったリモコンのボタンを押すと、屋根裏へ続く梯子がゆっくりと降りてきた。俺は子供の頃からこの梯子が降りてくるこの時間が大好きだった。なんか秘密基地的な感じで。

 ともかく俺は急いで屋根裏の物置に隠れた。とは言ってもそもそもここは先生の研究室なので、特注のイスはもちろんいろいろな娯楽に使えるラジオや小さなテレビなどがあり、そこで過ごすには特に不自由はなかった。

 下では先生が何かしらしたことによるテレビ局の人たちの笑い声が聞こえてきた。「またあの変な番組ってことは少し時間がかかりそうだなぁ。」俺はそうつぶやくと、腕時計で今の時間を確認した。

 「やばい。もう始まるじゃん。」俺は思わず声を上げると、急いで部屋に置いてあるラジオの電源を入れた。なぜなら俺が毎週欠かさず聞いている番組が始まるまであと1分を切っているからだ。俺は急いでチャンネルを合わせた。しかし、全然音が流れない。

 「マジかよ。」俺はそうつぶやくと仕方なく自分のポケットラジオを取り出した。正直先ほどからの雑音に対して若干のトラウマで先生に直してもらうまで使うつもりがなかった。だがしかし、そんなくだらない事でこの番組を聞き逃す選択肢など俺の中には存在していなかった。

 俺はイヤホンを耳につけ電源を入れるとやはりあの雑音が俺の耳を突き刺した。

 「うわっ!」嫌悪感の混じった声を発したが、こちらはしっかり音が流れはじめた。もうすでに番組は始まっているようだった。

 だがしかし、すぐに俺は違和感に気がついた。どう聞いてもいつもの番組じゃない。

 「もしかして今日ないの?」よくわからない男性アイドルの声を聞きながら俺はずっと一人で不平不満を言い続けていた。

 毎週この番組を聴くために一週間頑張っている俺からしたらかなりの死活問題だった。とは言っても聴きはじめたのはつい最近からではあるのだが。

 すると屋根裏の階段が音を立ててゆっくりと下に降り行き始めた。どうやら先生が取材を終えたようだった。階段が降り切ると、人が登ってくる足音がだんだんと近づいてきた。

 「お疲れ様です。意外と早かったですね。」下から上がってくるように現れた先生の姿が見えはじめたくらいから言い始めると先生はなぜか俺を少し見て不思議そうな顔をした。

 「先生?」変な沈黙が続いた。すると急に先生は手を軽く叩いた。

 「なるほど!そういうことか。」そういうと再び梯子を降り始めた。

 「ちょっと、どういうことですか?」俺は訳もわからず先生を追いかけた。俺は少し嫌な予感がしていた。今まで意味不明な行動をとっていても、先生の考えていることや意思疎通は問題なくできていたのに今はまるで他人のように感じた。

 また何か起きているようだ。

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