第6話
あれから三か月――俺の記憶の中には触手の中に自ら身を投げた美しい悪役令嬢の姿が焼き付いている。
あの世界で俺はダレスとして生きた十数年の記憶があるというのに、こちらに戻ってみたら、結局それはたった一日の間の出来事であった。
なんでも、俺は風邪による脱水症状を起こして意識をふっ飛ばしたそうで、病院に運ばれて一昼夜、点滴を承け乍らうつうつと眠っていたらしい。
その間にみた『夢』の出来事、つまり一炊の夢ってやつだ。
こちらに戻ってきた俺には、美少年ダレスの面影は一つもない。
腹はぽてっと出っ張っているし、髪だってペッタリと張り付いたような脂髪だし、顔も丸顔扁平な日本人顔だし……
ただ物腰だけは、十数年培ってきたダレスの記憶がそうさせるのか、以前よりもずっとノーブルであると褒められることが多い。
「そんな上品な飯の喰い方ができるようになるなら、俺もちょっと風邪で意識とばしてみるかな」
これは悪友の、もちろん冗談であるが。
あのミララキの世界での出来事はただの夢なんかじゃなかった、そう、絶対に。
俺はダレスとして気高い悪役令嬢に恋をし、そして……
そんな思いを抱えていつも通り出勤したある日のこと、俺は新入社員の教育係に任命された。
「こんな時期に中途入社って……もちろん新卒じゃないってことですよね」
俺の質問に、上司は歯切れ悪く答えた。
「いや~、ま~、その~、縁故ってやつでね、取引先の社長の娘さんなんだよ」
「なんです、つまりコネで強引にねじ込んできたと? ろくな女じゃないですね、きっと」
「ま~、そんなこと言わないで、仲良くしてやってちょうだい」
上司は顔合わせだと言って、俺を会議室へと連れて行った。
相手の女をそこに待たせているのだと。
「ほんとに、ま~、いじめたりしないでやってね」
いじめるつもりは毛頭ない。
だが、中途採用コネ入社なんて人材は、少し厳しめにしてやらないとわがままを言うに決まっている。
俺は威厳ある先輩に見えるよう、きりりと眉を引き上げて会議室のドアを開けた。
ひとこと目でガツンと怒鳴りつけてやるつもりだった。
しかし、広い会議室の隅にぽつんと座った彼女の姿を見た途端、俺はガツンも威厳も忘れて息をのんだ。
「リリーナ……」
そこにいる女性社員は、つり目が印象的なすこぶるの美人であった。
しかも背筋をしっかりと伸ばし、少し顎があがるくらい胸を張った姿は、あの気高い悪役令嬢そのままの居ずまいであった。
彼女は俺の方を振り向いて、そして言った。
「いま、私の名前を呼びましたこと?」
「え、い、いや」
「でも、少し訛っているんじゃありませんこと? 私の名前は莉々菜ですけど?」
「りり……な」
俺のつぶやきを聞いた彼女は、すごく懐かしい人を見るときのような……やさしさとはにかみを含んだ表情になった。
「もしかして、どこかでお会いしたこと、あったかしら……」
俺は胸の奥にじわっと滲み出してくる感情を抑えきれず、少し鼻をすすった。
「良かった……リリーナ……元気そうで……」
彼女はそんな俺を見て、不思議そうに首をかしげていたのだった。
この後、俺が必死で彼女を口説いて付き合うことになったり、まったく本名と関係なく『チヒロ』というあだ名の女が入社して莉々菜と仲良くなったり、幸せな日々がずっと続くのだが、その話はまた、別の機会に。
彼女のために
乙女ゲーム8周回目 ツンデレ悪役令嬢を口説いてみたら実はデレ強めのツンデレだった件 矢田川怪狸 @masukakinisuto
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