第8話
俺が最初に驚いたのは、内装の豪華さであった。
調度品は全てロココ調、椅子の背にまで細かな意匠が彫り込まれて、その所々に金彩がさしてあるのがとても豪華だ。
天井からはシャンデリアがぶら下がり、壁紙は淡いピンクにベージュでダマスク模様が書き込まれた洒落たもので、なんていうか……
「ちょっと落ち着かない部屋ですね」
俺がうっかり漏らした本音を、レストン公は苦笑で受け止めてくれた。
「ああ、私もそう思うよ、この部屋には無駄な飾りが多すぎる」
そう言いながら彼は、椅子の背にかけてあったズボンを手に取った。
「さあ、君のズボンを弁償しよう。受け取り給え」
レストン公はズボンを差し出すけれど、この展開は流石におかしい。
俺は警戒して身を引いた。
「え、待ってくださいよ、まるで、あらかじめ僕のズボンを用意していたみたいな……」
「鋭いね、用意してあったのさ、最初から」
「何のために……?」
「そうだねえ……娘にちょっかいを出す男をここに誘き寄せるために……」
俺は驚いて大きく飛びのいた。
だが、レストン公の方はそんな俺をみて、声を立てて笑った。
「ふふふ、そんな警戒しなくっても、別に、取って食おうってわけじゃない。そんなことをしたらドラ子が黙っていないだろうからね」
件のドラゴンは、まるで俺を守る警備兵であるかのようにピシッと首を伸ばして俺の足元に座っている。
「随分とドラ子に懐かれているね。きっとリリーナにも懐かれているんだろう」
「それは……あの……」
「別に隠さなくていい。ドラ子はリリーナが実の妹のように可愛がって育てた子でね、食べ物の好みから人の好き嫌いまで、よく似ているんだ、だから……」
レストン公はそこで深いため息をつき、椅子に腰を下ろした。
「せめて、君がドラ子に嫌われるような輩であったなら……話は簡単だったんだがね」
「どういうことです?」
「私は『婚約者がいる娘に言いよる悪い虫』を退治しに来たんだよ。ドラ子が嫌ってくれさえすれば、それを理由にああだこうだ因縁をつけて君を排することができたのに……」
「あの、本当にレディ・リリーナとはそういう関係じゃなくて……」
「知ってるよ、私だってバカじゃない、以前に調査したからね、娘の方が君にお熱だそうじゃないか。しかし……君だってリリーナのことは憎からず思っている、そうだろう?」
そう言われてしまうと、反す言葉もない。
最初は確かに、ループするゲーム世界から抜け出すために彼女に近づいたわけだが、今の俺は……確かにリリーナを愛している。
俺が答えに窮していると、レストン公はさらに深い、肺まで吐き出してしまいそうなほどのため息をついた。
「君のような青年があの子の婚約者だったら、どれほど良かっただろうか……」
「いや、俺はそんな……」
「謙遜するんじゃないよ、青年! 最近のリリーナは学園内でも素直に、明るく振舞っているそうじゃないか、あれは君のおかげだろう?」
「俺は何もしていないですよ」
「そうか、無自覚か、酷だな」
レストン公は俺の顔をじっと見た。
穴があきそうなほどの勢いで、じっと。
それから重々しく口を開いた。
「明日のパーティで、私は皇子とリリーナの婚約を正式なものとして発表しなくてはならない」
「正式なものとして、ですか」
「そうだ、王家からの強い希望があってね」
なるほど、シュタインベルグ家を一刻も早く王家に取り込み、革命の因子を摘みたいということか。
シュタインベルグ家は王国の実務を取り仕切る家、これが革命派に取り込まれるようなことがあっては王家の存続は危うい。
レストン公もそれはよく承知しているだろうが……
「確かに王家に対する反意がないことを証明するには、リリーナと皇子の婚約を確かなものにしておくべきだろう。だがね、私も人の親だ、本当ならば娘には幸せになってほしいと願っている……」
そう話す彼の顔には、かすかな憎しみが浮かんでいた。
もちろんその憎しみはアインザッハ皇子に向けたものである。
「君は、……『アレ』と結婚して、リリーナが幸せになれると思うかい?」
俺は、こう答えるしかなかった。
「残念ながら、今の俺にはわかりません」
相手は一国の、しかもいずれ国を継ぐ第一王子だ。
権力も、そして財力も、ただの田舎領主の三男坊である俺がかなう相手じゃない。
「経済的なことだけならば、王家に嫁げば不幸になることはないと思います。でも、幸せってそれだけじゃ測れないから……」
「君は、本当に賢いね、だったら、私の言葉を理解してほしい。どうか、これ以上リリーナの心をかき乱さないでやってくれないか」
それだけを言うと、レストン公は深く顔を伏せてしまった。
俺は黙って、レストン公の手からズボンを受け取って部屋を出た。
ドラ子が寂しそうに鼻を鳴らしたが、俺は聞こえないフリをした。
なんだか……泣きたい気持ちだった。
明日、リリーナは正式にアインザッハ皇子の婚約者になる。
それは本来ならば『ミララキ』の世界になかった『リリーナの幸せ』の一つの形ではある。
王家に嫁げば、少なくとも経済的な不安はない。
それに大公家の権力を取り込むための政略結婚であるのだから、『国母』という立場を与えられて、周囲から大事に扱われることだろう。
しかし、アインザッハがリリーナに愛情をかけることはないだろう。
愛のない結婚生活の中でリリーナは、誰を想うのだろうか……それを思えば胸の奥がかすかに痛む。
「だって、仕方ないじゃないか、俺はこの世界の人間じゃないんだから」
誰に聞かせるともない言い訳を吐き捨てて、俺は自分の部屋へと、ノロノロ、ノロノロと歩いていくのだった。
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