008 運命

「クラウディア様。交換は出来ません。一度手にした物を手放してはならないのです。これはここにいる全ての人の運命を決めるゲームなのですから」


 何やらよからぬことを考えていそうなクラウディアにルーシャはそう伝えると、クラウディアは狼狽えた様子で反論した。


「そ、そうかもしれないけど……。ちょっとぐらい、いいじゃないっ」


 クラウディアはヒスイの手にしたケーキへと手を伸ばすが、身重差がありすぎて届かず、ルーシャを睨み付けた。


「もうっ。だったら、こうしちゃうんだから!」

「きゃっ!」


 ルーシャのドレスに、クラウディアは自分の持っていたケーキを皿ごと擦り付け、大袈裟に声を張り上げた。


「まぁ。大変!? ルーシャ様のケーキがドレスに!? あらあら。こんなところに素敵な指輪が!」


 抑揚のない台詞口調でクラウディアは述べると、指輪をルーシャの前に掲げた。大きなダイヤモンドが飾られたそれは、誰が見ても婚約指輪だと一目瞭然だった。

 周囲からはどよめきが起こり、テオドアが群衆を縫ってその場に駆けつけた。


「ルーシャ! 君が指輪のケーキを手にしたのだね!」

「そうよ。お兄様!」


 笑顔で駆け寄るテオドアとクラウディア。

 このままでは婚約者にされてしまう。


 これではまた繰り返すだけ。

 ルーシャの脳裏に竜谷の滝壺が過る。


 どうにか反論しなくてはと思うが、恐怖と緊張で呼吸が苦しくなり、胸を押さえて立っているのがやっとだった。


「ルーシャ。これを」


 ヒスイの声が耳元でしたかと思うと、幸運の赤い果実が視界に飛び込んできた。


 自分が選んだ未来はこの苺の先にある。

 自分は一人じゃない。


 ルーシャはそう心の中で言葉を繰り返し、ケーキを受け取ると、テオドアに向かってそれを差し出した。


「私が選んだケーキは、こちらです。それは、クラウディア様がお選びになったケーキです」

「な、何だと。クラウディア、本当か?」

「えっと……」


 クラウディアが口ごもると、先ほどテオドアから直接ケーキを受け取った令嬢が前へ出た。


「そうですわ! 私は見ていました。そのケーキは私が手にするはずだったのに、クラウディア様に奪われたケーキですわ!」

「な、何言っているのよ!? 貴女はさっき、そんなみすぼらしいケーキなら要らないって言ったじゃない」

「そ、そんなこと言っておりませんわ。証拠をお見せなさい!」

「だったら、このケーキがさっきのケーキだっていう証拠を見せなさいよ」

「生意気な子ね。私にそれを返しなさい!」


 クラウディアから令嬢が指輪を奪い取ろうとした時、テオドアの方が早くその指輪を手に取った。そしてハンカチで丁寧に拭き、皆に向かって口を開く。


「妹がお騒がせして申し訳ない。どうやら、この指輪は誰にも選ばれなかったようだ」


 テオドアは深々と皆に頭を下げ、そして悲しげに指輪を見つめた。


 皆ケーキをかき回す手を止め、テオドアの婚約者に選ばれるチャンスがもう一度あるのではないかと期待に胸を膨らませている。


 手中で光る赤い果実を見て、ルーシャは別の意味で心を弾ませていた。

 もう、つまらないゲームでルーシャが婚約者に選ばれることは無くなったのだ。


 クラウディアがズルをしてルーシャを婚約者にしようとしたことは周知の事実。もう一度ゲームが行われ、ルーシャがもし指輪を引いたとしても、また裏工作されたものだと言い張れるだろう。そんなこと、この会場のどの令嬢も許さないはずだ。


 ルーシャは感情を抑えきれず、口元に笑みを浮かべてヒスイへと振り返る。

 しかし、彼は意外にも険しい顔で前を見据えていた。その視線の先には、顔を上げルーシャへと一歩ずつ近づいてくるテオドアの姿があった。


 テオドアはルーシャの前で立ち止まると、指輪を持った手を差し出した。


「しかし、この指輪は自分のあるべき場所を自ら見つけたようだ。皆に拒絶され、消えかけた希望の光は、我が妹の手を借り、受け入れてくれるであろう令嬢の元に辿り着いたのだ。それは君だ。──ルーシャ」


 テオドアは真っ直ぐにルーシャを見つめてそう言い放った。


 彼に見つめられるのはこれで三度目。

 ルーシャを滝壺に落とした時と、こうして前にも婚約者に指名された時、そして今だ。


 いつもは目を合わせてくれないのに、テオドアの青い瞳にはくっきりと自分が映り込んでいる。


 この瞳から自分は逃れることが出来ない。

 彼の言う運命から、逃れることなど許されないのだ。

 ルーシャが、そう悟ったその時──。


「何言ってんだコイツ……」


 背後からヒスイの不満げな声が飛んできた。

 その声でルーシャはふと我に返る。


 このまま場の雰囲気に流されてはいけない。

 ルーシャには強い味方がついている。

 ルーシャは幸運の赤い果実に視線を落とし、ゆっくりと息を吐き、テオドアへ目を向けた。


「テオドア様。よくご覧ください。この赤い苺を。──これが私の望む……。いえ。私が手にした運命なのです」


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