007 幸運の赤い果実

 少女の名はクラウディア=シェリクス。

 テオドアの妹君で、今年で八歳になる。


 テオドアは歳の近い弟が二人いて、妹はクラウディアだけ。年が少し離れていることもあって、クラウディアは家族皆に可愛がられて育ち、ちょっと我が儘な少女だ。

 基本的に自分より爵位の低い令嬢を見下している。


「ルーシャ様。実はね。あのケーキ、私も一緒に作ったのよ!」


 クラウディアは年相応の可愛らしい笑顔でルーシャに微笑みかけた。


 ルーシャの前ではいつもこうだ。クラウディアも兄達に群がる令嬢達に嫌気がさしているのだろう。同じ様な状況下にあったルーシャだけは、姉のように慕ってくれている。


「そうなのですか? テオドア様の為に?」

「ええ。でも、お兄様じゃなくて、あの人達の手に渡るなんて」


 クラウディアはケーキに群がる令嬢達を白い目で眺め、ため息を吐いた。


「ケーキは分け合って皆でいただくものですから」

「まぁ、そうね」

「では、私もケーキをいただいて参りますね」

「待って! あんな輪の中に入ったら、ルーシャ様は小さいし、潰されてしまうわ」

「大丈夫ですよ。体は丈夫な方ですから」

「だ、駄目よ!」


 クラウディアはルーシャの手を握り離そうとしなかった。

 このままでは計画が台無しだ。


 ルーシャはヒスイの方へ振り返ると、彼は余裕の笑みを浮かべ招待状をルーシャから掠め取ると、耳元で囁いた。


「幸運の赤い果実は、僕がいただいて参ります。ルーシャは小さなレディのお相手を」


 ルーシャがヒスイへ視線を伸ばすと、彼はクラウディアに微笑みかけていた。


「クラウディア様。ケーキに合うお飲み物を選んで参ります。ルーシャ様をお願いします」

「も、ももも勿論よ!」


 クラウディアは真っ赤な顔でヒスイへ言葉を返すと、その背中を憂いを帯びた瞳で見つめ大きなため息を吐いた。


「ルーシャ様はいいなぁ。素敵な執事様がついていて」

「ええ、まぁ……」


 ヒスイと出逢ったのはほんの数時間前。ヒスイと出逢えたことは感謝しているが、彼の事はまだよく分からず、ルーシャは言葉を濁した。


「あ、でも。……あの執事はルーシャ様専属なのかしら?」

「多分、そうだと思います」

「それなら安心ね」


 何が安心なのかよく分からないが、クラウディアは満足そうに微笑み、ケーキへ目を向けると急に表情を険しくした。表情がコロコロ変化し、見ていて飽きない。


「ルーシャ様! ケーキも残りわずか。行きましょう!?」

「あっ。待ってください。クラウディア様。ケーキはもうありますので」

「えっ?」


 ルーシャの隣には赤い苺の乗ったケーキと、紅茶を持ったヒスイが立っていた。その姿を見ると、クラウディアはみるみる頬を紅潮させた。


「ど、どうしてケーキを……。飲み物を取ってくるって言ったじゃない!」

「ケーキとお飲み物を、と申したつもりでしたが。どうかなさいましたか?」

「ど、どうかって。ケーキは、ルーシャ様が選ばないと駄目。二人とも、一緒にいらして」


 クラウディアは酷く焦った様子でルーシャの手を引くが、ルーシャは動く気などない。

 折角手に入れた幸運の赤い果実を手放すつもりなどないからだ。


「クラウディア様。私はヒスイが持ってきてくれたこのケーキが良いのです。私が、これを選んだのです」

「ち、違うわ。あっ!?」


 ケーキは残り一つになっていた。

 不格好な苺なしのケーキ──指輪のは入ったケーキだ。

 最後の一人となった令嬢が、そのみすぼらしいケーキに手を伸ばすか苦悩している。


 クラウディアはそれを見るなり、スカートを両手で持ち上げケーキへ向けて走り出した。

 この慌てよう、クラウディアはもしかしたら……。


「ご存じのようですね。あのケーキに何が入っているのか」

「でも……」

「あのケーキには魔法がかけられていました。最後のは一つとなるまで姿を隠す魔法が」

「そんな魔法が?」


 ということは……どういうことなのだろう。


 テオドアは、この中で一番おっとりした令嬢を選びたかったのか、初めからルーシャが最後に選ぶと想定していたのか。

 それとも、全てクラウディアか仕込んだことなのか。


 よく分からないが、クラウディアに引き留められたのは今回が初めてだったが、目当てのケーキは手に入った。

 改めて、ヒスイがいて良かったと感じた。


「普段のルーシャなら、きっと最後になると予想していたのでしょう。でも、そうしなかったので、クラウディア様が引き止めにいらしたのかと」

「成る程。クラウディア様は、私に姉になって欲しかったのね。その願いは、叶えられないけれど……」

「それだけでしょうか?」

「え?」


 クラウディアは指輪入りのケーキを手に、ルーシャの元へと歩き出していた。

 その後ろでは、ケーキを手に入れられなかった令嬢が、テオドアから苺の乗ったケーキを手渡されていた。他のパーティー客用のケーキを渡したようだが、指輪のチャンスが無くとも、テオドア本人からケーキを受け取り、令嬢は嬉しそうだ。


 テオドアは皆にケーキが行き届いたことを確認すると、声をあげた。


「皆様のお手に届きましたでしょうか? では、頂いてください」


 その声と共に会場に緊張が走った。一気にケーキをフォークで貫く者や、祈り続けている者など様々だ。


「クラウディア様は、どうするおつもりでしょうかね?」


 ルーシャの隣でヒスイが苦笑いした時、クラウディアは興奮した様子でルーシャの目の前に立っていた。


「ルーシャ様。このケーキと交換して! 私、苺が大好きなの。苺が乗ったケーキがいいの!」


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