002 謎の執事
庭から自室までの道中。
謎の執事、ヒスイは終始ほがらかに微笑んでいた。
テオドアを思い出すと心臓を掴まれたように胸が痛む。
しかし、見知らぬ美青年の登場で、ルーシャは、ほんのひとときだけ辛い記憶から離れることができた。
これから自分がどうすべきか、落ち着いて考えなくてはいけない。
しかし、一年前に戻ったからといって何ができるだろうか。
あの未来を避ける為に、何をしたら良いのか。
まだまだ頭の中は混沌としていた。
ルーシャの強ばった表情を察してか、自室へ戻るとヒスイがお茶を入れてくれた。
ティーポットから注がれた液体は無色透明で、カップの底の絵柄までくっきりと見える。
「これは……水かしら?」
「はい。山頂から涌き出た天然の水ですよ」
何かの冗談かと思ったけれど、悪びれた様子もなく清々しい笑顔でヒスイは水の説明をしてくれた。
天然なのは彼の方ではないかと思いつつ、ルーシャはカップに口をつけず、新人執事へと苦笑いを向ける。
「あ、ありがとう。えっと……ヒスイさんは、いつから執事になったのかしら?」
ルーシャの質問にヒスイは目を丸くすると、子供っぽい笑顔で、ルーシャが座るソファーの隣に腰を下ろした。
「さん、なんて付けなくていいですよ。ルーシャ。僕は貴女を守るために、人間になったのです。貴女の執事になったのも、つい先程からです」
「え?」
その言い方だと、まるでヒスイが人間でないように聞こえる。困惑するルーシャを、ヒスイはじっとみつめると、真剣な面持ちで口を開いた。
「ルーシャ。僕のこと、覚えいませんか? 僕は、水竜です」
「すい……りゅう?」
「はい。守護竜様の眷属の水竜です」
白い歯を輝かせ、親しみやすい笑顔を向けるヒスイ。
大人っぽい見た目とは裏腹に少年のような雰囲気を帯びた彼からは、悪意のようなものは感じられない。むしろ好意的にすら感じる。
ルーシャはヒスイをまじまじと見つめた。
碧がかった蒼い髪は艶やかで美しく、瞳の翡翠色と良く合っている。確かに、人とは違う神秘的な雰囲気があるような気がする。
しかし、見た目は人間。
水竜だと言われても、にわかには信じがたい。
もしかしたらこれは夢かもしれないと思い、ルーシャは自分の頬をつねってみた。痛い。頬の痛みに眉をひそめていると、隣のヒスイから視線を感じた。
「あの~。竜谷の滝壺でのことは覚えていますか? 守護竜様を怒らせてしまいましたよね」
「えっ。どうして知っているの? 貴方、本当に……」
「良かった。ちゃんと覚えていますね。あの時、ルーシャは呪われていて清くなかったので、守護竜様を怒らせてしまいました。あのままでは、この国もろとも全て消されてしまうところでした。ですから、僕がお願いして、やり直すチャンスをもらったんです」
「や、やり直すチャンス?」
ルーシャは滝壺に落ちた時に聞こえた不思議な会話を思い出した。
内容はうろ覚えだけれど、誰かがルーシャの名を呼んだことだけは覚えている。
あの声は、水竜の声だったかのもしれない。
ヒスイはルーシャの手をそっと両手で握ると、真っ直ぐに視線を伸ばした。
「僕がルーシャを守ります。あんな未来を迎えないために。この国を滅びの道から救いましょう!」
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