妨害

(……は?)


 ウィンには教師の言っていることが理解できなかった。この話を蹴れだなんて……教師が生徒に言う内容なのか? この話は別に悪い話ではない。言ってしまえば……大出世だ。


 ウィンにとっては大変不本意だが、聞いてる話だと自分の生徒から召喚士が出ることは名誉なはず。教師の評価も上がるだろう。


(え、なんで? なんでこの人が止めてくんの……? 

そんなに私のことが嫌いか……!? 私が出世すんの許せないくらい……!? そんなになるほど私何かしましたか!?)


 だからこそ、ウィンが辿り着いた答えは、

、というものだった。


 そこまで嫌われているとなると、たとえ嫌いな人間からでもショックを受けてしまう。……それに、ウィンは嫌い嫌い言っておきながら教師を心の底から嫌っていたわけではなく、認めていた部分もあったのだ。


 だからそれは全身に冷水をかけられたような感覚で、呆然と目の前の男を見つめるしかなかった。


 教師はそんなウィンの心境を知ってか知らずかどんどん近づいてくる。そしてまくし立てるように言葉を続ける。


「俺が君を最高の冒険者に育て上げましょう、ですから召喚士になんてならないでください」


 教師は薄い笑顔すらも消し、真顔でこちらに迫ってくる。ウィンには、その言葉に全く感情がこもってないように思えた。


そんなこと言いながら私のことが嫌いなんでしょ? 最高の冒険者にするとか口実で、私を虐めたいだけだろ……!  と少し卑屈になったウィンは呆然とするのもやめて睨みつける。

 

(……ゔぁぁ、私なんでショック受けてんだ……!! コイツが私を嫌いだなんてことずっと前から知ってただろ!? 

 

 てゆーか、生徒の意志を尊重しない教師ってどーなの!? これ脅しじゃん!! こんなやつの言うこと聞く必要なんてないぞ、私ぃ!!)


 ウィンは自分がショックを受けている事実にショックを受けていた。そして、そっちがそーならこっちは意地でも召喚士になってやる……!! と対抗心を込めた目で教師を睨む。……逆に言えば睨むぐらいしかできないわけだが。


教師は距離を詰める。後退するウィンの背中にトンッと何かが当たった。後ろは中庭のはず……あの廊下に立つ白い柱か。


 ウィンは中庭に逃げようとするが……顔の両脇に手が置かれた。ドンッと音はせず壁ですらないが……いわゆる壁ドンである。されてる側のウィンは一瞬遠い目になった。


(ワーこれが壁ドンかぁー、全然ときめかねー、何コレ威圧感すげぇ、怖え、この人素でこれやってんの……?


 てか、嫌いなら近づかないでいただけます!? それにあれ!? 私この状況かなりヤバくね!?)


 状況を理解した彼女の冷や汗がダラダラ流れた。


 教師はもうすでに近いというのに顔をもっと近づけ言葉を発する。


 全く加齢臭なんてものはしない、それどころか甘い香りがする。見た目は若いが元冒険者で最前線で戦うまでになった男、そこそこの年齢はいってるはずなのにどういうことか。


 てかこの匂い、この人ホームルーム前にしれっとチョコ食ったな? クッソ、ギャップ狙ってんのかコイツ……! と見当違いな事も考えながらもウィンはこの状況から脱する方法を考える。


 この状況は……相手は戦闘のプロなのだ。明らかに分が悪い。これまでの記憶から……何か教師を挑発してみろ、嬲られる未来が見える。


 ……てか顔が近いんですけど!? 嫌いなら顔近づけんなて!!

 ウィンはパーソナルスペースを侵略したその距離に居心地の悪さを覚えていた。


「マグナさん、お願いします。

 これは君のためでもあるんだ、召喚士なんて神への生け贄、そんなものに君がなる必要はない。お願いだ。この話、蹴ってください。俺が君を守ります、守る、守るんだ、だから……!」


(……あ、れ……?)


 ウィンの背筋がぞわわわっと何か小さな虫に這われているかのように震えた。この教師の言動はウィンに対してじゃない、自分に言い聞かせているようだ。焦点もあっていない。


 違う、これはただ単に嫌われてるんじゃない、もっと別の感情がある……。





――――まさかコイツ……ヤン、デレ……?


 ウィンの頭が正解を導き出した。


 近くで見る教師の双眼はいつも通りの優しげな緑をしている。だが魚の死んだような目だ。光の反射ハイライトがないわけではない。その目はその美しい緑色のおかげもあるが、言動と見合わず気持ち悪いほどに澄んでいてキレイだ。だが死んでるように見える……なぜ?


 あぁ、そうか、瞳孔が開ききっているんだ。


 ウィンの頭がこれまで以上の恐怖に染まっていった。これはヤバイ、と脳が酷くけたたましく警鐘を鳴らしている。生物的本能と性的な危機を感じてなんとか脱出方法を絞り出そうと頭を回す。


(まずいまずいまずい……!!)

 

 教師の結びそこねただろう長い鳶色の髪が、蛇のようにウィンの頬を舐める。もう顔との距離は15cmあるかないかだ。ただただ見つめられる。ウィンの選択を急かすように。


(や、やだ……こんなDV男!! 顔面きれいでもコイツ絶対筋金入りのドSだろ!? その上ヤンデレってキャラ盛り過ぎなんだよ!! 最悪の組み合わせだよ!! 二次元でしか許されねーよそんな設定……ってここ二次元かもしれないけど!! でも混ぜるな危険だわ!! てかここは私にとっての三次元だ!!


 どうする、どうする!? 


 逃げる方法……魔法で教師を気絶させるか? 無理だ、コイツの実力はほんっとうに嫌だけど私自身が自覚している。勝てるわけがない……! 


 なんとか意識をそらして横から抜けるか? いやこの教師なら確実に足払いしてくる、何度も演習でやられた手だ。倒れ込んだらもっとヤバい状況に突入する。エロ同人みたいに! って例のセリフをリアルで言わなきゃいけなくなる。それはどうしても避けたい!!


 じゃあどうする、どうする……!?

 そういえば、この教師の右足義足だって噂あったよね……!? 見たことないけど冒険者現役のときに食われたとかなんとか、でその時左足も負傷してて義足の方で庇ってるって話……!! そういやいつも足払いのときめっちゃ足硬かった気がするし!? 左足でされたことなかったし、もしかして左足だと足払いできない?)

 

 ウィンの思考に一筋の希望が差し込んだ。教師の左足の方向、つまり右側からなら逃げ出せるかも、と。


「マグナさん、お願いします」


 生暖かくチョコレートの甘さも含んだ息が顔にかかった。どくりと胸が嫌に波打つ感覚と恐怖。これは考えている暇はない、と瞬時に理解する。教師の左手が彼女の頭に触れようとしていた。


「“ワッが魔力の放出ゥ! 水へ変化、ついでに凍るギリギリまで冷却、となり敵を包め!!”」


 教師の手が触れる前に! とウィンは声を裏返しながらも過去最速で詠唱、魔法を構築する。水魔法は彼女の得意分野。宙から水が教師の後方でバケツ一杯分ほどに集まり渦巻き、教師が気がつきウィンを瞬時に掴もうとするが、いつも彼に虐められている彼女はそれを予測していた。

 腕を避け、右から抜けようとする。そのスムーズな動きに私カッケーくない!? なんて場違いなことを考えるウィン。教師はその動きについていけず、冷えに冷えた冷水が彼の体に打ち付けられる、寸前! 教師も口を開いた。


「……ッ、“防御壁形成、配置、硬化!”」


 ウィンとは比べ物にならないほど早く正確な、経験を感じさせる詠唱。その言葉が紡がれた瞬間、ウィンの足が止まった。いや――固まった。


 勢いだけがついた体が前のめりに倒れようとするが足首が透明な何かに固定されているため痛みが走り膝が曲がり……弾かれた水の跳ねる地面と熱烈なキスをする寸前で腹を何かに掴まれる。グェッとカエルの潰れるような声と圧迫感が彼女から放出された。

 

 その時の彼女の心境は「あ、終わった」である。


「“軟化、防御壁解除”

 アルバ、やめんか」


――――だからこそ、そのしわがれた声はウィンにとってまさしく救世主であった。


「……っ校長……!! ……見てたんですか」


(こ、校長ぉぉぉ!! ありがとう、マッジで、マジでありがとうございますぅぅぅ!!)


 教師が悔しそうに唇を噛む。ウィンの足を固めていた何かが消えた。まぁ、それでもウィンの腹には教師の手が回っているため、逃げられはしないわけだが。全くもってときめかないバックハグである。


 ウィンは逃げ出すため、教師の腕を解こうとすると……あっさりと解けた。校長室から出てきた校長の元へ逃げる。後ろは振り返らない。だが、見つめられているのは嫌でも分かった。


 小声で怖かったろう、と背中をポンポンしてくれる校長に惚れそうになる……ことはないが、安心感を抱くのは仕方のないことだろう。


「これは彼女の意思によって決定すべき事柄だ。君が口を挟んではいけない。それで、ウィン・マグナくん、君は……」


「な、なります!!」


 教師の視線は痛いくらいに感じていたが、ウィンは即答した。いや、痛いくらいに感じていたために即答したのだ。

 ……今答えないとまた同じことが起こる、そう思ったのである。


「マグナさん……君は……ッ!!」


 そんな声が後ろから聞こえてきたが、途中で悔しそうな音を残して止まった。チラッと振り返ると、悔しそうな、泣きそうな表情の、1人の男が立っていた。そんな表情につい言葉を漏らしてしまいそうになるが、せき止める。

 さっきまでのほの暗い目を思い出す。こいつはヤンデレ、心を許したら負けだ……さっきの行動を思い出せ……!!


 ……それに、ウィンは召喚士になりたいのである。画面越しにしか会えなかった彼女達に会えるなんて……願ってもない幸運だ。それに純粋に楽しそうだし、旅もできるし、その上冒険者ではほぼほぼ望めない、安定した収入を得られるだなんてこんな最高な職場が他にあるだろうか。

 

 否、ない!!


「そうか……、ありがとう。こっちについてきなさい。契約書を書いてもらいたい。


 アルバ……お前は教室へ戻れ。頭を冷やすんだ」


「…………わかり、ました」


 教師の噛みしめるようなその言葉を聞いた校長は、ウィンを校長室へ招くと、1枚の紙を取り出しペンと共に差し出した。

 ウィンは後ろを振り返らず、教師のものであろう遠くなる足音を聞きながらペンを握る。


(契約書……パッと見変な内容じゃない……かな)


 ラノベあるある、契約書内容がヤバい……ということは無さそうだ。ウィンはいいのか悪いのか……、教師にしごかれまくったせいである程度の速読はできる。

 

 内容は簡潔にまとめると、住む場所が箱庭*(ゲームでの拠点)に変わること、契約神には礼儀を持って接すること、など、まぁありきたりな注意事項や同意が必要な事柄が載っているだけで、おかしな点はない。


 最後の欄にサラサラサラッとサインする。隣のは……判子が居るのか? ウィンは疑問に思った。この世界で、彼女は一度も判子を見たことがないからである。


「あぁ、これは血判を押して欲しい」


「血判……デスカ!?」


 ウィンの疑問に気づいた校長の回答。それを聞き、ウィンはサッと指を引いた。別にやってもいいのだが……反射である。

 

 スッと目の前に差し出される針のついた箱。


(セルフサービス……!! 自分でやれと!? まぁ良いですけど!!)


 これまで、殴ったり蹴られたりは日常茶飯事だったのだ。……主にあの教師のせいで。

 だから指を指すくらいなんだ。ちょっと痛いだけだろ。と、どこか男前な思想で親指をプスッと刺した。少しちくっとする。


「あぁ、別に親指でなくとも良かったのに……」


(あ、そうなの!? なんか1番治り悪そうなとこ刺しちゃったんだけど!?)


 校長の言葉はもう遅く、ウィンの指先にはぷくっと赤い玉が付いていた。ペッと指を紙に押し当てると……あ、ちょっと滲んだ。が、これで契約できた……はずである。


「これで契約は成立した。ウィン・マグナくん、本当にありがとう。……そしてすまない。

 大体、一週間……早ければ明日にでも迎えが来るだろう。この職はその特殊な性質から常に人手不足。あまり君に時間を用意してあげられない。


……永遠の別れになるわけではないが、これからは家に帰れる時間も減るだろう。

そして死と隣合わせの職でもある……これは、冒険者を志す君なら分かっていただろうがね」


 ウィンは頷く。

 強いていうなら死亡率は冒険者の方が高いだろう。戦うのが自分か他人、てか他神かではその差は歴然だ。敵もレベルアップするが、それでも自分が戦うわけではない。だから、そこについてはあまり心配していないが……家族と離れ離れになるのは、少し寂しい。

 だが、冒険者になればいずれ離れなければならないのだ。それが遅いか早いかだけの差である。


 ウィンにとってこの話はメリットの方が多い。だから、校長が謝る必要なんてないのだ。


「……君は、もう帰りなさい。準備が整い次第迎えが出されるそうだから、色々と支度しておくんだよ。……頑張っておいで」

 

「……ハイ!」


 もう一度、力強く頷いたウィンはペコリと一礼して、踵を返した。

 もちろん、例の教師と遭遇しないように教室とは別の道を通って。






――あの重厚な門を抜ける。最初は期待を、しばらくすると憂鬱に変わったその思いを抱きながら毎日くぐってきたこの門だが、もうくぐることはないと思うと……少し感慨深い。それも卒業とはまた違う。出世ではあるが、この学校を中退することに変わりはないのだ。……だが、考えたってもう無駄か。ウィンは頭を振った。


 そして、そんなことを考えながら歩く帰り道の途中、今更ながら、彼女の中である発想が生まれた。


 (勢いでOKしちゃったけどよく考えればスマホで調べたら召喚士について出てくるんじゃ……明らかに順序逆だけど……調べてみるか)


 本当に今更である。

 

 スマホを起動する。

 前世でも今世でもあまり見た目の変わらないインターネットを開くと、「召喚士」と打ち込んだ。


 本当にキャラそっくりの、というか本人、本神と一般人そうな普通の人……おそらく召喚士とのツーショットや、大きな屋敷の写真、キャラ達の写真、戦闘中だろう写真……様々な関連する画像と、召喚士がやっているだろうブログなどが画面に映された。


 キャラ達が本当に存在して、まだ画面越しではあるが、こちらに笑いかけている。その事実はウィンの心にジーンとくるものがある。

 

(本当に……居るんだ、会えるんだ……!)


 先程の恐怖体験を塗り替えるような、喜びと期待に震えた。思わず口角が上がり、ニヤけるウィン。立ち止まってそんなことをしている彼女を不思議そうな、怪訝そうな目で眺める通行人。だがそれすら気づけないほどウィンの意識は別の所に飛んでいた。


(うぉぉぉ! フレイヤだ! マジで美人、リアルになっても可愛いッ! 絶対また箱庭うちに呼ぶから!! 呼んでみせる!


 お、これはヘル!? 可愛いって……皆美人で最高なんだけどさ! てかこれ加工じゃないよね? まじであのエフェクト浮いてるんだ、すげぇ……! あ、常時発動の魔法みたいなもんなんかな? 扱い的には。


 ……それで次は……ん?)


 ウィンのスライドする指が止まった。

 そこに書かれている言葉に目を見開く。

 ひどく懐かしい、その言葉。いや、


(STWちゃんねる…………? てかこれって……!!)


 彼女の指は、そのサイトをタップした。






 


  



 











 


 


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