第2話 Danseuses de Delphes

「おはようございます!カノン星の姫にして天才ピアニスト、カノンです!」


 





小学五年生、橘 奏乃子は、バーチャルアイドルであった。



「天才ピアニスト」こと彼女は、3歳の時からピアノ等多くの英才教育を受ける。

6歳での発表会でクロード・ドビュッシーの「デルフィの舞姫」を巧みな表現力を持って演奏し、周囲から「天才」と持て囃された。

しかし、彼女は「ピアニスト」として大成することはなかった。






 9歳の時分から、ゲームやアニメ、動画サイトを見ることに彼女の興味と時間は注がれていく。



ある日ピアノの演奏動画を見て、「これなら私の方がうまいんじゃない?」と思い、試しに当時インターネットで流行っていた曲を10分程度で耳コピし──そこには印象派的な激しい、「ドゥルルルル」とコメントされるような音のおかずが多く含まれた──それをスマホで撮影し、動画サイトに投稿した。




人気の曲であるということとその曲の演奏動画が少なかった(奏乃子がよく使う、ドラムをピアノの低音で再現するという技術が出来なければその曲の演奏動画はとても薄っぺらいものになったことから、インターネット上のピアノ弾きから敬遠されていた)こともあり、彼女はこれをきっかけに一躍ネット上で有名になった。

 

並行して始めたゲーム実況も、そこそこの人気を得ていた。幼い女の子が、高難易度のゲームに悪戦苦闘するという動画はそれだけで一定数の「需要」があった。




そうして演奏動画や、ゲーム実況の投稿に完全にドハマりしていった。が、別段それが金になるということもなく、あくまで趣味の範囲内であった。


週一で受けるピアノのレッスンは前日に1時間課題として与えられた曲を練習(30分練習して3時間ゲームをしてまた30分練習してご飯を食べて寝るといった具合である)する程度になっていた頃、バーチャルアイドル運営会社からスカウトの声がかかったのであった。




運営会社の本部に呼ばれ、そこで30分程度の面接を親同伴で行った。難しいことはわからなかったので、コンプライアンスや収益に関わることは親に任せることにした。

親と面接官との話を聞く限りでは、どうやら既に彼女がバーチャルアイドルとしてデビューすることは半ば確定しているようだった。




簡単な自己PRをしただけで出番が終わってしまった彼女は純粋に、流行りのバーチャルアイドルに自分もなれる!という期待のみが心にあった。

地味な顔立ちである上に、おしゃれとも無縁だったので、今までの配信者活動では顔出しはしていなかった。首から下を出したりはしていたが。




それから二週間ほど後、新しいバーチャルアイドル「カノン」が運営会社から発表され、奏乃子に与えられた。

きれいな赤い目をしていて、長い黒髪をゆるくウェーブのかかった二つ結びにし、前髪には五線譜をモチーフとした髪飾りがつけられ、王族のように豪華なドレスを纏うその見た目は、彼女の好みにこれでもかというほどマッチした。



多額の予算をもって彼女に与えられたアバター「カノン」は、運営会社によって巧みに編集されたゲームの実況に加え、プロ顔負けと言われる演奏動画や弾き語り動画で人気を得る。

彼女の10歳という年齢からくる声の独特の抑揚や、年相応の語彙そして身勝手さ、流行りのゲームを視聴者と一緒に遊ぶという親近感を感じさせるカノンの配信スタイルは、幅広い年齢層のファンの熱狂的な支持を受けた。



だが、そのファン達によって、彼女の心は蝕まれていくこととなる。




ファンが増え、彼女への支援金額が指数関数的に伸びていくのに従い、「俺達がカノンちゃんを支えている、俺の"解釈"が絶対である」というようなことを主張する者が現れた。


彼らは、小学生に見せられないようなセクハラコメントを平気で書き込んだ。


彼らは、彼女の言動一つ一つを切り抜き、少しでも粗があれば「お気持ち表明」という形で長文による批判を繰り広げた。


彼らは、彼ら同士で行き場のない議論を重ね、カノンの手の届かないところで暴れ続けた…




日に日に気が病んできた奏乃子であった。しかし、彼女は死ぬまで配信をやめることはなかった。


運営会社に次から次へと動画のネタを渡され、それをこなすことでお金がかなり手に入るということ。

「またゲームばっかりやって…」と奏乃子を叱るばかりであった両親が、それによって随分と裕福になり、天才と持て囃された6歳当時のようにたくさん褒めてくれるようになったこと。




自己中な上にキモい男共……こいつらはこいつら。私は私で、お前らは関係ない──私が配信をやっていれば、親が私を認めてくれる。アンチの人達も、いずれ飽きるだろう。



「仕事」を、こなそう。



奏乃子はそう決意するのだった。























──────────────────────






「カノン」は、広大な平原の真ん中で、大の字で寝ていた。


(……何か、変な夢を見ていたような気がする。転生がどうとか、悪魔がどうとか…走馬灯みたいな動画を見せられた気もする。そもそも私、たしかに自殺したよね。どこからが夢?ここ、どこだろう。周りは草しか見えないし、こんな所で寝る習慣はないかな…ここもまた、夢?)




そう思って眠い目をこすっていると、大きな画面のついたキーボードが彼女の目の前に現れた。

と思うと、それはいきなりドーン!!という低音から始まる超高速の曲を奏で始めた。





リスト・超絶技巧練習曲1番のけたたましいメロディを奏でたそれは、彼女の眠い目を覚ますのに十分だった。




「うるさーーーーーい!!」



カノンがそう叫ぶと、キーボードは「ジャーン」と叫びに対して呼応するように和音を奏で、音を停止させた。C(ドミソ)の和音である。




なにもない所に突然現れたキーボードに注意を払っていると、キーボードに対し垂直に取り付けられた液晶のような画面に、「おはよう」という表示がされた。




変な夢はまだ続くのかなと、彼女は「おはよう…?」と元気なさげに漏らす。




「おはよう、カノン。ミケだよ~。うるさくしてゴメン。異世界での初日の暮らしはどう?おなかすいてない?地球の時間で言うところの70時間くらい寝てたから結構限界だよね。残念だけどお菓子をそっちに送ってあげるのはルール違反だからさ、頑張って自分の力でなんとか食いつないでほしいな。」



キーボードの液晶画面にはそのようなことが表示された。文字は線や三角や四角のような図形を組み合わせた見たことのないものであったが、なぜか理解できた。

というより、"聞こえて"きた。

カノンは、眠りにつくまでの記憶を辿っていく……



「異世界…そう、ここが異世界!!」



カノンは、今までの事が夢ではないことを確信して叫んだ。と同時に、グ~とお腹の音が鳴った。









キーボードの液晶画面を畳み、「よっこいしょおっ」と持ち上げる。配信者時代の癖である。動作一つ一つにセリフを付けるのがかわいいとされた。あたりに"耳"をすませ、何か食べられるものを探すことにした。


(悪魔も、お腹が空くのかぁ…)




カノンの目を覚まさせるのに十分な大音量を鳴らしたキーボードは、200g程度しかないように感じられた。身長139cmと小さい彼女が小脇に抱えて運ぶのに苦労しなかった。


しばらく歩くと、カノンの十倍くらいは背丈のある木が群生する森が見えたので、そちらに向かうことにした。





虫の声を意識して遮り(虫は見たくもないし食べたくもないので)、木や草の音に集中していると、周りから聞こえてくる植物の"音"に変化があった。



「とりあえず、何か食べられるものを探そ、このへんの木や草は食べられないって"言ってる"し…あ、あれは食べられそう!」




そこには穂の部分が青い、ねこじゃらしのような草が群生していた。摘み取って食べると、薄い味のブドウに近い味がした。種が多かったが、噛み砕いても問題はなさそうだった。



カノンはお腹いっぱいそれを平らげると、そばに生えていた10mくらいある木の陰で体を休めた。森を歩いた疲れが一気にやってきたようだった。





これからどうしよう…そもそも、ここはどこ?周りに人間らしい"音"はまるでしないけど…





とカノンは考えていると、遠くから獣の咆哮のようなものが聞こえてきた。それは、辺り全体を敵意の音で覆った。普通に素手で戦えば絶対に勝てないということを、その咆哮は主張してきた。






……周りに誰も居なかったのは、コイツのせい!?

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