空野千歌は歌いたい ~クラスで一番地味な彼女が、音痴な口パク地下アイドルだった件~
長尾隆生
01
俺、
元々俺じゃなく拓也――いや、タックはこのライブにはつい先日までラブラブだった彼女と一緒に来るつもりだったらしい。
だが、地下アイドルのライブをデートに選んだ男など当たり前のように振られ……。
余ったチケットを握りしめたタックに、涙目で帰宅途中に無理やり誘われたわけである。
「はぁ。つまらん」
地下アイドルとはよく言った物で、このライブハウスは繁華街の古びたビルの地下にあった。
広さはかなり狭く、ライブハウスという所自体に初めて来た俺は最初、その狭さに驚いたものだ。
「ケイコちゃーん!」
「リリー!! こっち見てー!!」
「ウォォォォ! やっぱスリーピースは最高だぜぇ!」
そんな狭い空間の中、それなりに詰まったライブハウス内に野太い男どもの叫び声のような声援が飛び交う。
スリーピースというのは、今舞台上で歌っている地下アイドルグループの名前だろうか。
前の方でハッピにタスキ姿のオジサンが、曲に合わせてコールをしているが、彼のタスキには『Three★Peace』と、可愛らしいフォントで書かれていた。
フリフリのかわいい衣装を着た三人組の女の子たちは、狭い舞台の上でも器用に入れ替わり立ち替わり走り回りながら、汗を光らせ歌い踊る姿を見ながら、僕はおじさんたちの後ろで同じように声を上げているタックに目を向ける。
「しかしタックのやつ、こんな場所に彼女を連れてこようとするとか信じられんくらいKYだな」
タックとは高校に入ってからの付き合いだ。
奴は見かけだけは爽やかイケメンで、コミュ力も高いせいで、よくモテる。
なので、一緒に帰っている時に突然女子がやって来て、奴に告白するというイベントを俺も何度か体験済みだ。
そして大抵の場合、タックはそれを受ける。
だけど、元来のKY気質のせいで長続きしたためしがない。
俺の知る限り最長で一ヶ月……それでも次から次へ告白されるのだから俺には理解できない。
そんなに見た目が大事なのだろうか……大事なんだろうな。
そしてそんな目立つ男の隣りにいる、ごく普通の男子である俺には誰も声をかけては来ない。
今まで女の子に告白されたことも付き合ったこともないから断言はできないが、タックより俺のほうがお買い得な物件だと思うんだ。
俺ならこんなところに自分の彼女を誘うなんてするわけがないし。
「はぁ……」
どうもこの場の雰囲気に乗れない俺は、ライブハウスの壁にもたれかかりながら、気のない視線を舞台に送っていた。
どうやらスリーピースの出番はそろそろ終わるようで、俺の位置から見える舞台袖が慌ただしくなっている。
「ん?」
何気なしに見ていた舞台袖に、多分次が出番なのだろう地下アイドルの女の子が一人、フリフリのいかにもな衣装を着て出てきた。
そして自分の手になにかを書いては飲み込むような仕草を何度か繰り返している。
アレは多分『人の字を飲み込む』という古の緊張をほぐす儀式に違いない。
「よっぽど緊張してるんだな。俺と同い年くらいか」
俺はなぜだかその娘が気になって、そわそわと落ち着きのない姿を眺めていた。
少し遠いのと、舞台の影のせいで顔はよく見えないが、きっとかわいいに違いない。
そんなことを考えていると、スリーピースの曲が終わり、舞台の上で三人が最後のキメポーズをする。
一斉に上がる歓声に、彼女たちは汗を光らせ、やりきったというように笑顔を輝かせた。
やがてMCの女性が舞台脇からマイクを持って現れると、スリーピースの三人は笑顔で観客席に手を振りながらMCと次の出番を待つ少女とは反対側から捌けていく。
彼女たちが完全に姿を消すと、上がっていた客席のボルテージが落ち着くのを待ってMCのお姉さんが喋りだす。
その間も僕は舞台袖で何度も人の字を飲み込む少女から目が離せずにいた。
どうしてだろう。
なぜだか僕は彼女に見覚えがあるように感じた。
しかしいくら考えても俺の知る女の子の中にアイドルをしている女の子なんて居ない。
アイドルをしているくらいだから学校でも目立つ存在に違いないが、舞台脇の彼女のイメージと合致する人物はうちの学校にも、知り合いにも居ない。
「それでは次のアイドルのご紹介でぇす!!」
お姉さんは、見かけの年齢からは想像できないきゃぴきゃぴした声で、舞台袖の少女をその手で指し示す。
「今日もドタキャンかましたフェリシスちゃんのピンチヒッターとして、緊急出演してくれることに成りました! ちかりんちゃんです!!」
出演者のドタキャンとか、そんなこともあるのかと俺は驚きつつも、舞台袖から歩いてくる『ちかりん』から俺は目をそらさない。
彼女は舞台袖に居た時と同一人物とは思えない堂々とした足取りでスポットライトの下へ駆け出ると――
「ちゃきーん! ちかりんだよー!! 今日も応援よろしくねーっ!!」
右手をピースの形にして横西、顔の前でかざすとウインク。
それが彼女の決めポーズなのだろう、腰に手を当て足を開いたポーズで立つと、大きな声でアイドルらしい台詞を口にする。
「あっ」
その瞬間だった。
俺はその女の子が一体誰なのかに思い至った。
そして、その俺の漏らした声に気がついたとは思えないが、何故か彼女も俺の方を見て目が合ってしまった。
それが僕と空野千歌の恋と苦悩の日々の始まりだと、その時の僕らは知るよしも無かった。。
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