vol.16 温度差
電車をおりると、やはり温かいと感じる。香坂はマフラーを取った。斜め後ろを歩いていた女性が外気温に身を竦めながら、その行為に不可解さを見出す。
改札を出てスーパーへ寄ろうと考えていると、携帯が震えた。佐田からだ。
『クランクアップ!!』と書かれた文章と、写真が送られていた。写真はドニがカメラを構え、在原が何かを指差している。
撮り終えたらしい。
急に心臓が高鳴る。作り始めたのだから、終わることは決まっているのに。
『お疲れ様です』と返信する。香坂は今日の夕飯を考えた。
ランダムの活動より先に大学の授業が始まった。インフルエンザに罹ったらしい大津は授業を休み、香坂はいつも通り図書館へ向かおうとしていた。冬休み前に借りた本を返さねばならない。
「香坂」
名前を呼ばれ、立ち止まる。振り向くと在原が掌を見せていた。「よ」と気安く話す。
「あ、明けましておめでとう」
「おめでとうございます」
「今年もよろしく」
「よろしくお願いします」
久々に見ると、高い身長だなと感じる。だから何だというわけでもないが。
「ショートフィルム、この前撮り終えた」
「お疲れ様です」
「から、ちょっと来て」
この間座った図書館の裏のベンチ。在原はリュックからタブレット端末を出し、香坂の隣に座った。
操作してから、香坂の膝と自分の膝の両方にタブレットを乗せる。
「もう観られるの?」
「昨日作りたてのほやほやです」
ほやほや、の言葉に香坂は笑みを漏らす。動画が始まり、夜の公園の静かな音が流れる。佐田のとったものだ。
引きの二人、楢と枕崎。上着を着た二人が、アイスを食べている。
初対面の相手に自分のことを上手く紹介できない楢は、いなかった。そこにいたのは、香坂の描いた人物だ。枕崎もそれに劣らず主役を張っている。
鳥肌が止まらない。香坂はそれ動画をじっと見つめる。自分の書いたものが、こうして起こされることは想像以上に、言葉にならなかった。
「どう? めっちゃ良くね。え、泣いてんの」
在原が香坂の反応を見ようと顔を覗く。微かに瞳が潤んでいた。
「……すごくて」
言葉にならない言葉がある。言葉にするために言葉はあるのに。
それをどう表現すべきなのか考え、香坂は黙る。
自分が書いたものは今まで、自分の為にあった。誰に見せるわけでもない、自己満足の為に。
それが、こうして色んな人間の協力を経て、映像となった。ドニの撮影と、佐田の音響効果と、在原の編集と、制作チームの協力、演者たちの演技力。何が欠けても、こうはならなかった。
「お前の脚本のおかげ」
「それはない」
「香坂が良い脚本書いてくれたから、皆のやる気が出た。俺が今年もやってたら垂れてただけだったろうし。つか、一番俺のやる気が出たわ。映画作んの、楽しかった」
朗らかに笑う在原。それから続ける。
「じゃ、これランダムのメンバーに見せて、最終チェックして、応募してくる」
「うん、行ってらっしゃい」
立ち上がり、きょとんとした表情を香坂へ向ける。
「行ってきます」
ひらりと大きな掌を振った。香坂はそれに振り返すことは無かったが、見送りはそれで充分だった。
後期試験を終え、三年へと進級できることが決まった大津は、長く溜息を吐いた。インフルエンザから病み上がりだ。
「百合香は土壇場に強いよね」
「そうやって今まで生きてきたからね。これからもそうやって生きてく」
「殆ど信念だね」
とりあえず試験で疲れた心を労ろうと、二人して駅近くのカフェへと足を運んだ。おやつ時であり、客が多い。
「そういえば、映画どうなったの?」
「撮り終えて、応募したって」
「結果っていつ分かんの? 映画祭ってことは、集まって発表とかあるのかなー」
さあ? と香坂は首を傾げる。本当に脚本以外には興味がないらしい。というより、自分の手が及ぶものではない、という考えだ。
撮影や音響や編集や演技にも感動を覚えたが、そこに自分が口を挟めるかというと、違う話になってくる。
大津は『学生映画コンクール』で検索をかける。都内の映画館で行われ、一般の客も申し込めば無料で入場できるらしい。
「へー面白そう、行こうかな」
「百合香って映画好きなの?」
「まあ好きなのを観るくらい。他のとこの映画には興味ないけど、五月の書いた脚本の映画でしょ? すごい観たい」
「在原に観せてもらえば……」
「これ賞あんの? え、五月が書いた脚本が賞取るかもってこと?」
すごい、と興奮し始めた大津を香坂が宥める。
「てか、五月は行かないの?」
「行かないと思う」
「賞金出るらしいよ」
注目すべきはそこか。
『春休みも実家帰るの? コンクールの日ってくるよね? 結果がどうあれ、その後打ち上げだよ!』
佐田からメッセが入ったのは春休みが始まり、図書館の休館日を知らずに、香坂が大学へと足を運んだ日だった。
「え」
思わず声が漏れる。春休みの大学内には学生は少なく、食堂に工事が入った為か、運動系のサークルや部活動もあまり見かけない。
家に帰るか、本屋へ寄ろうか考えていた。
何と返そうかと迷っていると、佐田から電話がかかってくる。
『あ、もしもし五月ちゃん? もしかして実家にいる?』
「いえ、大学にいます。コンクールの日、行った方が良いですか?」
電話の向こうでざわざわと人の話す音がする。ドニがいるのは想像ができた。ランダムのメンバーで一緒にいるのだろうか。
『真澄くんが五月ちゃんの分も申し込んだから来てだってー』
『姫もつけろ』
『愛する姫ーだってー』
「行きたく、ないです」
一瞬の間。ケラケラと笑う佐田の声。『姫スルーだしフラレてる、うける』と笑っている顔も見えるようだ。
その声が遠くなり、電話口の相手が変わる。
『なんで?』
在原の声がした。
「興味ない、というか」
『興味ないなら尚更来れば良いだろ。映画館で自分たちの作品が映されるなんて、そうねえし』
「……怖い」
本音と建前。どちらがどちらだったのか。
思ったより震えた声に、在原が少し黙る。
「皆が作った作品はすごいのは分かる。でも、優劣をつける場で、しかも作品全体を評価する場で、自分の脚本が足を引っ張ったらと考えると、すごく怖い」
それを目の当たりにするのが怖い。
在原がどこかへ移動したようで、電話の向こうが静かになった。香坂も立ち止まり、じっと待つ。
『俺が香坂に脚本書いてって頼んだ後、お前覚悟が無いって言っただろ』
覚えている。覚悟がないまま、香坂はここまで来た。
『無いままで良いって返した。俺が書いて欲しくて、お前は書いた。書いた脚本が世間から見たら超つまんなくてもさ、お前の所為ではないし、面白く出来なかった俺が悪い。わかる?』
諭されている。そういえば香坂より一つ年上だったな、と思いだす。
「分かんない」
『え、嘘だろ、今以上に分かりやすい説明なくね?』
「あなたは、怖くないの?」
尋ねた。在原はその言葉に、携帯を持っていた手を持ち替える。
『わくわくしてる』
「……可笑しい」
『いやーくっそダメ出しされたら凹むけど。今まで何度もされてきたし。でも、そこで終わらなきゃ良いだけだ』
そこで終わったら、挫折になる。続ければ、通過点に過ぎない。
在原はそれを知っていた。埋まらない寂しさを誰かで補うこと、熱量を持って映画を作ること、仲間を大事にすること。
経験をして学んだのだ。
『で、どうよ。五月ちゃん』
「はい、行きます」
『よっしゃー了解』
五月ちゃん来るってー! と誰かに伝えている。良かったですね、とドニの声が聞こえた。香坂は構わず電話を切る。
小さく吐くと、鳥の鳴き声がした。ふと空を見上げれば、綺麗な青空が広がっている。
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