水と油

鯵哉

プロローグ

vol.0 炎に油(前編)


 事前に用意した資料を揃え、こんなものはきっと二人を前にしたら意味なんて為さないのだろうと分かっていても、少しの支えにはなる筈だ。そう願わずにはいられない。

 小会議室をノックする前に、中から声がする。男女の話す声だ。ノックをして中に入っても、それは止むことはなかった。


「あの結末は……あ、どうも」


 こちらを向いて男性の方が会釈をする。それより前にその隣に背筋をピンと伸ばして座る女性の方がこちらに気付いていた。


「お待たせしてすみません。記者の松江と申します、今日はお越し頂きありがとうございます」

「いや、全然。在原真澄です」

「香坂五月です」

「何のお話をされていたんですか?」


 尋ねると、在原が椅子から身を乗り出す。上背があるのでテーブルが揺れる。


「昨日公開されたクラップ監督の『トーチ』の結末の解釈の話。さっき観てきたんだけど、あれはどういう意味のエンドなのかって」

「ご一緒に?」

「あそこでちょうどやってたから」


 在原が部屋の隅の方を示す。それがきちんと駅の方を指していたと気づくのは、インタビューが終わった後だった。


「仲が良いんですね」

「良くないです、『トーチ』を観る前に何の映画を観るかで揉めました」

「で、結局中間地点取ることにして、『トーチ』になった」


 その時を思い出したようで香坂は少しうんざりした顔をする。いや、“同じ映画を観た“ことではなく“一緒に映画を観ようと話が纏まった“前提に仲の良さが見えた。

 学生の頃から二人は犬猿の仲だという人間もいるが、言い争う程腹を割っているというのも強ち間違いではない。

 その辺の話も詳しく聞くことに決め、松江は資料を置いて社用スマホを机に置いた。


「松江さんは観ました?」

「あ、はい。昨日のレイトショーで」

「どうだった?」

「画が綺麗だと思いました。ストーリーと相まって、なんか一層……」


 クラップ監督の『トーチ』は公開前から注目されていた。自然の撮り方が美しく、洋画を観ない人間にもウケが良い。


「冷たい感じ、ですよね」


 香坂の声に顔を上げる。両耳で揺れるピアスが照明に反射した。その光の中に、香坂の思考が見えた気がした。


「いや温かみだろ」

「綺麗だから冷たく観える」

「海のシーンはそうかもしれないけど、最後は大地のシーンで」


 二人の言い争いが始まる予感がする。


「あのー……インタビュー始めても良いですか?」


 問いかけると、二人の顔が同時にこちらを向いた。


「どうぞ」

「録音させてもらいます。大丈夫ですか?」

「はい」


 返事と共にノックが聴こえる。頼んでいたカメラマンと編集長が現れる。在原は目を少し見開いて、驚いた表情を見せた。


「これはまた大所帯で」

「気にせず続けてください」

「いやまだ始まってません」

「アイスブレイクが長すぎるんじゃないか?」


 編集長からツッコミが入るが、本意ではない。松江は唇を尖らせるのを我慢した。それから、香坂が肘で在原の脇腹を突く。


「在原の雑談が長いんです、すみません」

「あ、いえ、こちらこそ。では、よろしくお願いします」


 最初は少し冷たい印象だった香坂のイメージが少し変わる。在原は苦く笑って、「よろしくお願いします」と頭を下げた。


 インタビューが始まる。


「今回の作品、『愛に祈り、または熱量』を在原さんが監督されたきっかけは何ですか?」


 カシャ、とシャッターが切られる。

 在原が話し始める。


「香坂が俺に書いたものを持ってきたの、人生で二回目なんですよ。最初が大学の時で、それが学生映画祭第一回でグランプリを貰ったんです。いやもうこれは、絶対撮るって決めました」

「どういった印象でしたか?」

「映像が浮かびました。多分、香坂もそれを考えて書いたんだと思いますけど」


 香坂の方へ身体ごと向けた。


「そうです。寧ろ最初の場面は特に、映像になったのを見て、ああこれが書きたかったんだと実感しましたね」


 片腕を組んでいた香坂はそれを解く。


「そういうのが本当にうまい。だから、これを在原に託しました」


 その言葉に、松江は小さく頷いた。


「ブランプリを受賞した『コスモス』を観させて頂きました。あれは本当に……良かったです、面白かった」

「だってさ」


 分かりやすく目を輝かせて、在原が香坂の方を見た。それに目を向けた香坂が今日初めて、顔を綻ばせた。


「言われてるの貴方だよ」


 笑んだ顔に在原が少しだけ身を寄せる。正面から見ていた松江だけがそれに気付いた。


「香坂さんが『コスモス』を託したのは、在原監督だったからですか?」

「いや、それは違いますね。あの時、あたしには在原しか居なかった」


 断言する。香坂は続けた。


「あれから、あたしの周りに人は増えた。その中で、在原に託しました」


 その言葉に二人の関係の全てが詰まっていた。


「香坂さんは小説家でもあり脚本家でもありますが、その中で映画はご自身にとってどんなものですか?」


「……炎、ですかね」






 vol.0 炎に水(後編)に続く。





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