第72話 東の妖精ソルヴェイ

「この音!? まさか――」


 ペールがクワッと目を開いて見上げた暗い空。そこから一筋の眩い光が差してくる。


「凄いなアドイード! 空が割れてるぞ!」

「割りぇてりゅね! アリュフ様!」


 光の筋は徐々に数を増やしていき、その都度、露になっていくのは巨大な緑色の繭。

 それは蜘蛛も楽園スパイダーガーデンとは異なるもので、こちらが空を覆い尽くし、森に射す光を遮っていたらしい。


「……あ、あれソルヴェイの繭か。てことはついに羽化するんだな。なんだ、聞いてたより早いじゃないか」

「そりゅべい?」


 大繭に気を取られているアルフとアドイードの正面で、ペールは涙を流していた。ずっと待っていた時に感動して。


 ペールの口が微かに動く。

 それに反応したのか、大繭の千切れる音は速度を増し、ついには弾けるように無数の亀裂が走り、轟音を纏って一気に爆ぜた。

 空に渦巻く魔力の風に解け、陽光に乗って森閑しんかんと舞い落ちるおびただしい緑糸。その向こうに、美しい羽根を持った男の姿が見えた。


「あん? なんか小さいな」

「そだね」


 空を覆っていた大繭から出てきたにしてはあまりにも小さかった。

 アルフは思い切り目を細め、自分の腕くらいしかなさそうな男を見ている。


 アドイードはよくわかっていないが、目を細めるアルフと、陽光と共に緑糸を羽根に取り込み始めた男を交互に見て浮気を警戒していた。


 しかし男はアルフたちのことなどちっとも気にせず、乾いたばかりの羽根を慎重に羽ばたかせ、ぎこちない浮遊感のまま降りてきた。


「げっ!」


 男をしっかり確認したアルフが顔を引きつらせている。


「わぁ、蝶々だよアリュフ様! 綺麗な羽根の蝶々だよ! 蝶々妖精だよ!」


 反対にアドイードは大興奮で、浮気のうの字も忘れて、あれは自分のものだ、絶対捕まえるんだと息巻いている。


「おはようペール……」

「ああ、ソルヴェイ。やっと、やっと目が覚めたんだな」


 妖精と大蜘蛛。

 この森が一変したあの日から、二人はずっとこの瞬間を待っていた。アルフとアドイードなんかには目もくれず、再会の時にうっとりしている。


 ソルヴェイが小さく羽ばたいた。するとペールを拘束していた糸がほどけていく。

 二人はゆっくり近付くと、互いの間合いギリギリの距離でピタリと止まり、うっとりしたまま牙を見せ合う。

 しばらくそのまま見つめ合っていたペールとソルヴェイだったが、やがてどちらともなく口を開いた。


「「やっと交尾できる――」」


 幸福の絶頂に彩られた声。それは飛びかかる凄まじい速度に掻き消されてしまった。

 アドイードだ。

 アルフの背中にしがみついたまま、自らの蔓を操りペールを突き飛ばし、同時にソルヴェイをぎっちぎちに拘束してにんまり笑っている。


「むふふ。アドイード綺麗な蝶々を捕まえたよ。こりぇでアドイードとこの蝶々は仲良しさんだね」


 感動の再会をぶち壊しておきながらずいぶんと満足げなアドイードを見て、アルフは後輩たちに対するお詫びを考え始めた。


 鼻歌交じりに自分の肩から身を乗り出し、蔓を手繰り寄せるアドイード。


「ねぇねぇアリュフ様。念のために蝶々の魔力を全部卵にしてくりぇりゅ?」


 アルフはどうしたもんかと悩んだ。

 そして先ずは、自分がいったい何を捕獲したのかアドイードに説明することに決めた。


「いや、嬉しそうなところ悪いんだけど、そいつ東の妖精だぞ。アドイードが大嫌いな、あの大きな芋虫」

「う?」


 わけがわからない。そう顔に書いてあるアドイードが、アルフの背中からするする蔓を伝ってソルヴェイに近寄りまじまじと確認する。

 ソルヴェイから繰り出される不思議とゾワゾワする攻撃は、当然のようにレジストしながら。


「なに言ってりゅのアリュフ様。全然違うよ。こりぇは蝶々の妖精だよ」

「はぁ……。いいか、芋虫が蝶々になるように、東の妖精も芋虫からこんな姿になるんだよ」


 本当はわかっているだろ、とアルフはアドイードに優しい目を向け、だからアドイードが絶滅させたんじゃないか、と付け加える。


「……ありゅふ様大丈夫? 頭おかしくなっちゃった? あんな気持ち悪いクソ害虫が蝶々になりゅわけないよ。蝶々は卵かりゃ孵った瞬間かりゃ蝶々なんだよ」

「いい加減現実逃避は止めろ。蝶々は芋虫から蝶々になるんだ」

「そんなわけないよ。アドイード知ってりゅもん。芋虫は芋虫、蝶々は蝶々だよ」


 頑なに現実を拒否するアドイードの目には、アルフに対するものとは違う、また別の狂気が見てとれる。


「ソ、ソルヴェイを離せ……」


 あーだこーだしていると、転がっていたペールが苦しそうに体を起こした。

 アドイードはかなりの力で打ちすえたのだろう、可哀想なくらいぼろぼろになっている。


「それにちょっと困ったことになってるんだよ」

「そんなの知りゃないよ。こりぇはもうアドイードの蝶々だよ」


 アドイードはもう一度ペールを蔓で叩き、ソルヴェイを体内ダンジョンに引きずり込こもうとする。

 アルフはそれを大慌てで止めた。


「もうっ、なにすりゅの!」

「なにって、後輩を取り込もうとするからだ。忘れたのか? ソルヴェイはダンジョンコアなんだぞ」


 ダンジョンコアは、より強い他ダンジョンの中に入ると、そのままその吸収されて消滅してしまう。

 今は東の妖精の姿をしているが、ソルヴェイは正真正銘のダンジョンコア。この前、魔力をたっぷり奢ってくれた・・・・・・ツマヤールと似たようなタイプのそれだ。


「でもアドイードの蝶々だもん……」 


 しょんぼり顔になったアドイードが、アルフの足に抱き付いて泣きだしてしまった。


 アルフはだんだんアドイードが可哀想になってきた。

 目玉クロスジヒトリのことも強引に禁止したし、一日に二度も蝶々を禁止するなどアドイードにとって苦行以外のなんでもない。

 そもそもアドイードは気に入ったものを手放すのが大嫌いなのだ。もちろんアルフと比べればどんなものだろうとゴミ以下の存在だが、それでも手放すのは嫌らしい。


「泣くなよ」


 アドイードが自分以外のことで落ち込むのは珍しく、アルフは元気を出して欲しいと思ってしまった。

 そのまま少し考えてから腰を落とし、アドイードと目線を合わせると優しく頭を撫でる。


「なぁアドイード」

「ひ、ひっく、なぁに?」

「あの蝶々の七五年……いや、七六年だったか? とにかくそれくらい昔に戻してみたらどうだ?」

「どうして?」

「元気が出ると思うんだ。俺はアドイードが元気じゃないと悲しい」

「グズッ……えへへ。そうだよね。ありゅふ様は元気なアドイードが全存在の中で一番好きだもんね。泣いてりゅアドイードは三番目だったね」


 アルフが自分を気遣ってくれた。それがとても嬉しくてアドイードは笑顔になった。

 目元に少し涙を残しているけれど、言われるままソルヴェイに魔法をかける。


「ひょっ!?」


 元気が出ると信じてソルヴェイを凝視していたアドイードの表情が曇った。


 あっという間にどろどろの体になったかと思えば、謎のべちゃべちゃが飛び散っていき、そうかと思えば丸い宝珠のようになり、その後ヒトのような上半身をもつ正体不明のぶよぶよになると、みるみる大嫌いな芋虫アレになっていく。しかもすごく大きい。


 アドイードはあまりの衝撃に、口を開けてガタガタ震え始めた。


「あ、あああ……こ、こりぇは………」


 悲しいとか、嬉しいとか、もうそういう感情はどこかへ消え失せていた。ただただ、嫌悪と恐怖がアドイードを支配していく。


「いも、イモ、芋虫ーーーー!!」


 アドイードはソルヴェイを蔓でぶん投げて、アルフの胸に飛び付いた。


「おいおい、大袈裟だな」


 やっぱりこれくらい元気がなきゃなとアルフは微笑み、胸の中で顔面崩壊気味にあぎゃおぎゃ喚き散らすアドイードの頭を再び優しく撫でた。

 それから頬をくっ付けるように抱きしめると、蔓を使ってぐいっと持ち上げた。


「それじゃあ仕上げに――」


 アドイードはハッとしてアルフを見下ろし、イヤイヤと首を振り涙を浮かべる。

 しかし無情にも、アルフはにっこり笑うだけで、振りかぶるのを止めない。

 

 そして限界まで蔓をしならせると、数々の樹木型フェアリーイーターを薙ぎ倒し、巨木型フェアリーイーターにめり込み体液をぶちまけながらビタビタ悶えていた遥か遠方のソルヴェイに向かって全力で投擲。


 アドイードは音よりも早く飛んでいった。


「ひぎゃぃぃーー!!」 


 発狂したような悲鳴が森を駆け巡る。

 途端に危機を察知した森の植物フェアリーイーターたちが逃げ始める。


「アドイードのやつ、良い声だしてるな。元気になって良かった良かった」


 瞬く間にだだっ広い空地となった森で、とても良いことをしたと自分を褒めるアルフは、全身から蔓と綺麗な葉っぱを生やして周囲にテントを作り始めた。


「アドイード芋虫きりゃい! アドイード芋虫大きりゃい!」


 一方、アドイードの周囲にはとんでもない量の魔法陣が展開されていた。


「アドイード芋虫きりゃい! アドイード、芋虫なんか、いりゃなーーーーーい!!」


 ソルヴェイとぶつかる寸前、アドイードは叫泣とともに緑色の光を放ち、すべてはその輝きに包み込まれた。


 この日、レシュレント国は原因不明の大爆発で国土の四分の一が消失。第一級緊急事態を宣言し、冒険者ギルドと魔法関連ギルドに原因究明の早馬を飛ばしたという。

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