第75話 アドイードは狂っている

 クレーターからぼろぼろのペールと芋虫姿のソルヴェイが出てきた。


「先輩、これ以上の横暴は止めてください」

「いやいや横暴だなんて――」

「今なら慰謝料としてその卵をくれるだけで全部水に流します」


 ぴしゃりと遮ったソルヴェイの言うその卵とは、アドイードが抱えている卵のこと。


「それは駄目だ。ていうか久し振りに会ったのにそんな怖い顔するなよ」


 顔がどうなってるかはわかんないけど。と小さく続けたアルフだが、そもそも芋虫に表情筋があるのかは知らない。ただ、怒ってそうな声色だなと思ったのだ。


「てめぇ――」

「ここは任せて」


 怒れるペールを宥めるように頬擦りして、ソルヴェイはアルフに向き直る。


「先輩、よくそんなこと言えますね。自分が何したかわたってないんですか?」

「いやいや、わかってるって。大事な後輩に先輩として――あっ!」


 卵が緑色の蜘蛛に奪われた。

 アルフがソルヴェイに気を取られていると見るや、すぐさま背後に回り糸を放ったのだ。卵を背にくくりつけ、にたにたわらっている。


「あ、あ……アドイード! なんでもっとしっかり抱えとかなかったんだ!」


 先ほどまでの慈しみはどこへやら。アルフはアドイードを揺さぶって責め立てる。


「よくやった! それは宝物庫へ持っていけ!」

「もう。任せってって言ったのに」


 緑色の蜘蛛へ指示を出すペールは得意気だ。

 ソルヴェイは少し困り顔になる。けれど、やっぱりペールは頼りになる、私たちは最高のパートナーだと嬉しくなった。

 対して向こうはどうだ。アドイードを責め立てるアルフのなんと醜いことか。揺さぶり過ぎて首が取れるんじゃないかと心配にすらなる。

 

「まぁまぁアルフ先輩。アドイード先輩は気を失ってたんですからその辺で。じゃあ一旦、慰謝料の話は後にして、私を元に戻してください」


 もぞもぞと体節を動かしたソルヴェイも、ペールと同様にどこか得意気に見えた。


「は? ちょっと待て。今、卵を持ってったじゃないか。慰謝料はあの卵って話だろ」

「あれはてめぇが自主的に差し出したものじゃねぇだろ。慰謝料の意味知らねぇのかよ」


 挑発的なペールにアルフは少しイラッとしたが、先輩の余裕を見せるためににこりと笑ってみせる。


「ああ、そう。で?」

「私を羽化したてのあの姿に戻してください」

「今は無理だ」


 アルフが白目を剥いた異様な姿のアドイードを見せる。

 手足はだらりと垂れ下がり全身傷だらけ。おまけに首がもげそうなほど天を仰いでいる……。


「今すぐ起こしてください」

「馬鹿言うなよ」


 アドイードを無理に起こせば再びソルヴェイを殺そうとするのは確実。

 アドイードの芋虫嫌いは根が深いのだ。それに起こしたくても時間がかかりそうなのは一目瞭然だった。


「はあっ!?」


 ソルヴェイの頭から異臭を放つ柔らかな触角が出てきた。その橙色の触角をバシバシ打ち鳴らし威嚇してくる。

 しかし臭気にあてられたのは、アルフではなくペールだった。発情したように鼻息が荒くなり、目もギンギンに血走っている。


 ペールは真っ赤な顔でソルヴェイに何か耳打ちするとモジモジしながら糸を出し、小さな糸球に籠ってしまった。


「ご、ごほん。とにかく、先輩たちには償う責任があります。私が今日羽化してしまったのだって先輩たちのせいなんですよ?」


 ソルヴェイは言う。

 羽化の原因はアルフがペールの蜘蛛の楽園スパイダーガーデンを材料に作った卵のせいである、と。

 気持ち悪いからとアドイードがぺしぺし遠ざけていたあの芋虫模様の卵が、蜘蛛の楽園スパイダーガーデンの破片を付けたまま大繭にぶつけられたからだ、と。


 元々、死の女神が示した羽化の条件は、魔力が変態に必要な量まで溜まること。

 それは大繭に触れたものを尽く吸収し、ペールの蜘蛛の楽園スパイダーガーデンを地下も含めてまるっと包み込むくらい大きくなり、その過程でペールそも眷属すらも吸収することだとソルヴェイは直感していた。

 そうすればアルフたちのような、二人で一つの存在になれるのだと。


 だがそれは命の女神により書き換えられていた。ペールの蜘蛛の楽園スパイダーガーデンを少しでも吸収すればペール単独で羽化してしまう、と。


 ペールもソルヴェイも、これは命の女神による罰だと考えた。危険を犯しながら互いを食らい続け、さらに幾百年も我慢を強いられるという罰。

 おまけに記憶を喰らい合うせいで、いつか互いを忘れてしまうのでは、という恐怖が付きまとう。


 なにより恐ろしいのは、本来必要であった量の魔力を蓄えず羽化すれば、ダンジョンの序列が底辺のまま決して上がらなくなってしまうこと。

 つまり、あっという間に他ダンジョンに吸収されるか、冒険者たちによって攻略、もしくはダンジョンコアの破壊ソルヴェイの討伐により消滅させられるということ。

 共に永遠を過ごしたいという願いが、きっと半月もかからず泡と化してしまう。

 そして実際そうなりかけている。

 

「こんなの想定外です。本当はもっともっと準備が必要だったのに……私の序列、☆ですよ。せめてどうにかなる前にペールと交尾だけはしたいんです!」


 威嚇を止め、ぶよぶよ揺れる芋虫涙の後輩を見てアルフは罪悪感を覚える――かに思われたが、全然そんなことなかった。


「いや、それは知ってるって。だから今こうしてるんだろ」


 アルフは何を勘違いしているんだと首を傾げる。

 再び異臭を放つ角を振り回し、ぎゃあぎゃあ喚きながら、びたんびたんと体を地面に打ち付ける後輩を前に冷静でいられるその胆力は、日頃からアドイードの相手をしているお陰だろうか。


「まだわからないのか? なんの為にアドイードに魔法を使わせたと思ってるんだ。しっかり確認しろよ」


 言われたソルヴェイは多少怒りを収め、ふーふー言いながら周囲を探知した。


「結界……?」

「それも特別製だ。アドイードのな」


 アドイードは狂っている。

 それは魔法も同じことで、本来ならあり得ない効果ですら実現させてしまう、文字通りの魔法。

 レシュレント国の四分の一を覆い尽くすこの結界は、神をも拒絶するのだ。


「ふっふっふ。大嫌い結界これなら命の女神タニア様だって干渉できない」


 不敵に笑うアルフは既に決めていた。

 理不尽な罰を与えられた後輩のため、アドイードのため、そして何より自分のために、命の女神に真正面から喧嘩を売ることを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る