第83話 黒い兎は躊躇わない
キールを古木の黄昏亭の厩舎まで引っ張ってきたクリスが溜め息をついた。
「まったく、なにやってんだ兄さん」
騒ぎを起こした犯人をそのまま連れて来るわけにはいかず、王都警備兵の詰所に連行すると見せかけてぐるりと回ってきたクリスは今、キールを正座さてせいる。
「いやぁ、お義父さんに追い出されちゃってさ。誠心誠意土下座したんだよ? 養ってくださいって。なのにぼくだけ追い出すんだもんなぁ。あんなにお金持ちなのに、まさか父さん以上に心が狭いなんて思わなかったよ」
けらけら笑うキールに、聞きたいことはそうじゃないと思ったクリスだが、おおよその流はわかったので再び盛大な溜息をつくだけでなにも言わなかった。
そこへ宿の勝手口からシャーリーが出てきた。
「あら? キール兄さんじゃない。もしかしてさっきの異臭騒ぎは兄さんが原因?」
「わぁ、シャーリーだ。てことはテッドも一緒のはずだよね」
嬉しそうな顔でシャーリーに近寄ったキールがパタパタ耳を動かしている。対してシャーリーの眉間には深く皺が刻まれていく。
「
シャーリーは質問の返事よりもキールの清潔にする魔法をを優先した。
「テッド兄さんも一緒だし、ロック兄さんも一緒だ」
代わりにクリスが質問に答えた。
「へぇそうなんだ。皆もクリスの家に泊まりに来たんだね。しばらく兄弟水入らずで楽しくなりそうだね~。心強いなぁ~」
「ちょっと
シャーリーとクリス声が重なる。さっと顔を見合わせた二人だが、シャーリーがクリスに譲った。
「え、えと、俺の家をあてにしてたのか? じゃあなんでここに?」
「ええ? だって古木の黄昏亭っていったら有名な老舗宿じゃないか。見かけたら泊まってみたいって思うだろ」
「お金なんてないくせによくもまぁ……従業員のニヒト君、凄く怒ってたわよ。臭いし汚いし、お客様に迷惑だって」
シャーリーはもう一つ、周囲の空気を綺麗にする魔法を使いながら呆れ顔を見せる。
「俺の家は兵舎だから泊められないぞ」
「そうなの? まあでもロックがいるなら別にいいや」
手をヒラヒラさせるキールにクリスはイラッとした。
「じゃあ次は私ね。”しばらく”と”心強い”ってどういう意味?」
「ん? えっとね、僕の長男のアンラって十二歳なんだよ。だからお披露目会に参加させるんだって」
「え、待って。どうしてそうなるのよ。キール兄さんてファビナを連れ去るように駈け落ちしたんでしょ」
急展開にシャーリーの頭はついていかなかった。
「俺たちが
クリスが先のキールの発言から推測される事実を述べた。自分の兄ながら信じられない行動だと思っている。
「う、嘘でしょ……なんでそんなことできるのよ」
「為政者にしては小物だよねぇ。推薦人たちはなんでお義父さんを選んだんだろ。皆年寄り過ぎてボケちゃってたのかなぁ」
本来であれば即刻、不敬罪で斬首または爆破される暴言を放ち立ち上がると、キールはゆっくり厩舎に向かって歩きだし、近くで小さな目玉が飛んでいくのを確認してから振り返った。
「でね、アンラを誘拐してお義父さんを脅そうかなって。可愛い孫を返して欲しかったら、ぼくも一緒に養わなきゃいけないんだぞ~って。もちろん手伝ってくれるよね?」
後ろ手を組みニコッと微笑むキールは「お兄ちゃんからのお願いだよ」と付け加えた。
「いやいやいや……勘弁してくれよ」
「私だってごめんだわ。メロル男爵に迷惑がかかるもの。それに下手したらポルオース王国を巻き込んで戦争よ?」
冗談じゃない、とクリスもシャーリーも相手にしない。
「大丈夫だよ。お義父さんて理想に死んでいくタイプの平和主義者だからね。戦争にはならないよ」
愚かだよね~、とお腹を抱えて笑うキールに、シャーリーもクリスもドン引きしていた。
「と、とにかく俺は手伝わないからな」
「兄さんのことだから止めても無駄なんでしょうけど、私も嫌よ。兄弟なんてバレたらタダじゃ済まないわ。とりあえずどこかに行って。今すぐ」
「そんな冷たいこと言わないでさ。ほら、ぼくたちって――兄弟だろ?」
ニコニコ笑うキールの指から禍々しい糸がしゅるしゅる音もなく伸びていく。
慌てて戦闘体制に入ったシャーリーとクリスだったが、無情にも糸は既に二人の頭に巻き付いていた。
「あ~あ、素直に手伝ってくれてたらお礼もしたのになぁ。さてさて、テッドとロックはちゃんとお兄ちゃんのお願い
きいてくれるかな」
キールはさらなる糸を指から出し、鼻歌を奏でながら傀儡と化したシャーリーたちを連れ、厩舎の奥へと姿を消した。
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