第70話 頑張る大樹の三獣鬼

 天から垂れた一本の糸を伝い降りてくる大きな蜘蛛が、凶悪な鎌のような前足で頬を掻きながら大小複数ある眼をギョロギョロ動かしている。


「う~ん、カーバンクルがヒト種を捕まえるなんてどういう状況?」


 大蜘蛛はアオツノたちより少し高い位置までくると、シュルっと姿を変えた。それは生意気そうな少年の姿で、額にも小さな丸い目が四つある。


「……あ、変異種だからかな」


 ぶつぶつ言いながら逃げようとしたアオツノたちを糸でぐるぐる巻きにしていき、あっという間に首から下を拘束してしまった。


「何しやがる!」


 グルルルっと威嚇するカプカの口から漏れる煙が微かなのは、かなりビビっているからだろうか。

 

「今は満腹なんだよなぁ。眷属しもべたちにあげるには美味しそうすぎるし、やっぱ保存食かなぁ。でも新鮮なうちに食べたいし……あ、飼育するって手もあるよなぁ」


 大蜘蛛の少年はカプカを無視しチラッと空を見た。

 すると尋常でない数の蜘蛛型魔物が降ってきて、駄目押しと言わんばかりに退路を断つよう糸で白い壁を作っていく。


蜘蛛の楽園スパイダーガーデン……」


 そう呟き真っ青な顔になったのはアオツノだけではなかった。ラモルのジェムバリアに囚われたユクトたちも青ざめている。しかし一番怖がっているのは蜘蛛型魔物の視線を独り占めしているラモルだった。

 やつらはカーバンクルが大好物なのだ。どの個体もラモルを物欲しそうに見ながらカチカチと毒の牙を鳴らしている。


「お、おいらを食べても美味しくないよ……」


 半泣きのラモルの額石が力なく光って見える。助けを乞うているのか、アオツノとカプカにその潤んだ瞳を向けてあうあう口を動かしている。


「泣くなラモル」

「な、泣いてないよぅ」


 ラモルを励ましながら角でなんとか蜘蛛の糸を切ろうとしているアオツノだが、悲しいかなまったく届いていなかった。

 ただ、こんなときでも口の中でどんぐりをころころ転がしているのは、普段からおっかない鬼婆母親と暮らしているからなのだろう。大樹の三獣鬼の中で最も肝っ玉の据わっているのがアオツノである。


「巣の拡張を終えたらカーバンクル以外は喰っていいぞ……なんだよ」


 蜘蛛の少年が眷属たちにカーバンクルを喰わせろと抗議されている。しかし少年は譲らない。あれは俺の獲物だぞと目をつり上げて、歯向かう眷属たちを威嚇する。

 それでも抗議が止むことはなく、蜘蛛の少年はしぶしぶ早い者勝ちということにした。

 

「ハンデとして拡張の最後は俺がやってやる。いいか? 拡張が終わって、せーので始めるからな。抜け駆け禁止だぞ」


 まるで小さな子供に言い聞かせるようにしながら、蜘蛛の少年が白い壁を仕上げにかかる。

 願いを聞いてもらった蜘蛛たちは、讃えるように前足を掲げゆらゆらさせ始めた。そしてそのまま目をギラつかせ、ラモルにジリジリ近付いていく。


「おい、こら! 抜け駆けは禁止だって言っただろ!」


 蜘蛛の少年が壁を形作る糸を槍に変え、雨のように降らせて牽制する。

 それでも蜘蛛たちは言うことを聞かず、むしろ刺激されたことによって歯止めが効かなくなっていた。ガチガチ、シャーシャーと口を鳴らし、ラモル目掛けて一斉に飛びかかった。

 

「ももももう無理だよ、待てないってばぁ!」


 もう完全に泣いているラモルが、嫌だ嫌だと首を横に振っている。

 しかし蜘蛛たちがラモルにかぶり付くことはなかった。突如現れた蔓が蜘蛛たちを薙ぎ払ったのだ。


「チッ、あっちの客が暴れ始めたのか」


 蜘蛛の少年が忌々しそうに蔓の向こうへ顔を向ける。

 さっきまで巣の一番外側だった壁も、咄嗟に眷属たちを守るべく展開させた糸の盾もぶち破られ、さらにはあっち・・の二人が開けた穴を修復作業中だった眷属たちもぶちのめされたからだ。

 穴は通路ができたと思えばいい。だが眷属たちは替えがきかない大事な存在。許せるはずがなかった。


「お前ら、カーバンクルは一旦お預けだ。後で仕切り直すから保管庫に運んどけ。味見も摘まみ食いも絶対禁止だからな!」


 少年は無事だった数匹の蜘蛛を残し、上方向に大きく迂回しするように、未だ荒れ狂う蔓の発生源へと向かって行った。


『今だ』


 ラモルとカプカに視線を送ったアオツノの角が一瞬だけ光を帯びた。するとそこかしこから青い炎が飛び出し、蜘蛛や壁を切り裂きながら燃やし始める。

 無意味に見えたあのアオツノの動きは、噛み砕いたどんぐりの破片を飛ばすためのカモフラージュだったのだ。

 また、こうも容易く格上の魔物の蜘蛛たちを燃やしているのは、秘かに漂わせていたカプカの煙のお陰。僅かでも吸い込めば鬼に弱くなる毒魔法が付与してある。

 

「ほら、もう怖くないぞ」

「う、うん……ごめんね」

「気にすんな」


 しょんぼり顔のラモルが小さく頷くのを確認しつつ、アオツノは自分たちを拘束している糸も燃やした。


 アオツノが咄嗟に思い付き、小さな木の葉式神を飛ばして共有した脱出方法は、カプカの魔法と煙で敵の弱体化を計り、ついでに足場も確保。そして自分とラモルが隙をみて攻撃し、怯んだ隙に逃げ出すことだった。

 だがラモルはビビり散らかして攻撃できなかったらしい。


「ま、絶対助かると思ってたからいいけどさ。次こんなことがあったら、ちゃんと腹くくるんだよ」

「……うん」


 落ち込んだままのラモルを見て、アオツノはどんぐりが一つなくなった首飾りをいじり、カプカに視線を移す。


「けっこう使い込んだどんぐりだったから、ちゃんと食べたかったなぁ」

「じゃあれだ。明日はどんぐり拾いに行って、ラモル相手にどんぐり鬼術使いまくろうぜ。ラモルもいいだろ?」

「え、うん……あれ? でもそれって――」


 危ないんじゃ、そう言いかけたところにアオツノがずいっと顔を近付けてきた。


「ありがとうラモル。どんぐり鬼術って依り代を食べなきゃだからさ、助かるよ」

「決まりだな」


 そんな横暴な、と思ったラモルだったが、二人の行動が自分の罪悪感を消すためのものだと気付き、なにも言わなかった。うじうじするのも止めた。


「そんで、これからどうする? たぶんここダンジョンだぜ」


 カプカの煙は簡単な索敵や偵察もできる。けっこうな範囲まで漂わせているからか、カプカにはそれがわかった。

 それ聞いて思いっきり嫌そうな顔をするラモル。


「うへぇ、スパイーダーガーデンのダンジョンなんて最悪すぎだよ。危ないから早く帰ろうよ」

「そうかな? あのデカイヤツは別として、他の蜘蛛たちはまぁまぁ格上っぽかったのに僕たちの攻撃で簡単に倒せたじゃん」

「アオツノの言うとおりだ。大樹三獣鬼俺たちにかかれば格下・・ダンジョンなんて楽勝だぜ。なんか良いもんないか探そうぜ……あ、でもその前にあれ取り返さなきゃだけど」


 端から見ればついさっきまで生きるか死ぬかの状況だったのに、やけに強気なカプカが顎をくいっとする。

 アオツノとラモルがその「くいっ」の先に目をやると、カサカサと必死こいて逃げていく茜色の蜘蛛がいた。


「ああ!! 案内人たちが!!」

「うう、おいらのジェムバリアが糸まみれだよぅ」


 バリアごと糸で引っ張られていくユクトたちが何か叫んでいる。しかしまったく聞こえない。


「わかってんならさっさと教えろよバカプカ! ほらラモルも、行くぞ!」

「わ、わかったよ……うう、カプカの誘いなんかに乗るんじゃなかったよぅ」


 アオツノに続くラモルが耳をパタパタ動かしながら額石を光らせる。本当に嫌なのだろう、その光は鈍く、とてもカーバンクルの放つそれとは思えなかった。

 

「あいつの行き先ってたぶん保管倉だよな? 付かず離れずで行こうぜ。上手いもんあるといいな」


 カプカはそう言ってさらにプカプカと煙を吐くのだった。

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