LWF

 カフェに呼んだ。


 いっぱいいっぱいに、人が入っている。会社近くの、人気のカフェ。


 予約してあったので、ほぼ満席だが二席空いていた。そこに、座って待つ。しばらくして、部下の女性が来て座った。


 部下。にやにやした顔。


「よく、わたしを呼べましたね」


 このご時世。男性の上司が個人的に女性の部下を食事に誘うだけで、内部告発されて弾劾される時代。


 しかし、そのリスクを負ってでも。仕事のできる彼女に、この薬のことは教えておかねばならない。


 かたかたと手を震わせながら、コーヒーをすする。自分でもばかみたいだと、思う。自分は、とにかく、気が小さい。


 もし彼女が俺を見えなくなったら。やばい。内部告発されるのは構わないが、薬の有効活用について考える人間が社内にいなくなる。


「お」


「え」


「あ?」


「どうも」


 コーヒーを飲みほして。カフェ内の人口が、2倍に増える。目の前に、ひとりではなくふたりいた。若い男ではなく、若いカップルだったのか。


「あれ。この人。急に消えちゃんのことが見えるみたいになったよ?」


「うん。そうだね。なんでだろう」


 やはり、今まで見えていなかった人間か。


「まあ、飲んでくれ。とりあえず」


 震える手で、部下にコーヒーをすすめる。最初から、置いてあった。薬を仕込んである。


 コーヒー。


 ぐいっと一杯。


「ふひい」


「この人。ふひいって言った」


「かわいいね。かわいい」


 カップル。自分と部下のことが気になったらしい。そして彼女は、それに気付いていない。


「それには薬が入っている」


「えっ薬」


「もしかしてそれで、わたしのことが見えるようになったのかな?」


「治験中のもので、なにも、健康などに影響はない。健康促進用のただのサプリだ」


「はい」


「ただ、おかしな発見があってな」


 カップルの、女性のほう。隣の席で、じっと部下を見つめている。しかし、部下はそれに気づいたそぶりを見せない。


「俺のことが、見えるか?」


「え?」


「訊いたことに答えてほしい。俺のことが、見えるか?」


「恋愛的に、ですか?」


「恋愛的に、だってさ。もしかして、この部下のひと、この上司のひとのこと好きなのかな?」


「え、消えちゃん上司部下の違いが見ただけで分かるの?」


「うん。口調でなんとなく」


「単純に、だ。俺の姿が、視覚を通して、特定して認識できるか、という意味で、見えるかどうかだ。まあ、言葉が通じてるんだから見えてるんだろう」


「はい。見えます。すきです」


「あっほら。聞いた今の」


「うん。好きって言った」


「あ?」


「見えます。見えますはい」


「周りを見回してみろ」


 部下。周りを見回す。


「おおい」


「見えてますかあ?」


 カップル。部下の周りで手を振っている。


「あれ」


 まったく見えていないらしい。


「人がいなくなってる」


「減るほうだな」


 部下の顔に手を伸ばす。


 瞳孔。舌。ほっぺた。額。さわって、たしかめる。


「うわあ触診」


「えっちだね」


「えっちですね」


「大丈夫だ。何も起こっていない。微熱かな」


「ええまあ」


「ぜったい、好きなひとの前だから微熱だよ。からだ暖かくなってるのよ」


「あったかくなるの?」


「なるよ。わたしのことさわってみて?」


「あ、ほんとだ。あったかい」


「うるさいっ」


「あっごめんなさい」


「いちゃいちゃしてごめんなさい」


「うわっ」


「あ、ああ。すまない」


 誰もいないところに叫ぶ俺は。情緒不安定にしか見えていないだろう。


「同じ薬を、俺もさっきのコーヒーで飲んだ。おまえが見えなくなるのがこわくて、手が震えたよ」


「うわ純愛」


「どうせ見えてないし、ちょっとだけ静かにして見てみるのも面白いかもしれないよ、消えちゃん」


「あ、それはいいね。ちょっと静かにしようかな」


「あの。どういう意味ですか?」


「この薬はLWという。副作用はひとつ。人間の認識を、変えてしまうことだ」


「認識を、変える?」


「お前はいま、自分の認識できる人間が、減っている。おそらく、半分ぐらい。ロストワールドハーフで、LWHという」


「LWH反応」


「めもめも」


「そして俺には、その逆の反応が起こっている。ロストワールドフルで、LWF」


「LWF反応」


「その反応で、わたしが見えるようになったんだね」


「さっきから、おまえの周りにカップルがいて、俺たちにちょっかいをかけているんだが、見えないよな」


「え、なんのことですか。全然見えない」


「どうも。消えです」


「どうも。消えの恋人です」


「どうもどうも。さっきはうるさいと怒鳴ってすまなかった」


「いえいえ」


「ぜんぜん気にしてません」


「それより、告白はどうなさるのですか?」


「すきですって部下のかたおっしゃってますけど」


「そう。それが問題なんだ」


「あ、あの。誰と喋って、え?」


「あ、ああ。おまえに見えていない、そのカップルと喋っているんだ。どうしたものかな」


 部下。宙を掴むような動作。カップルはそれをうまく回避している。


「いいですか。上司さん。勇気を出して告白すべきです。僕もむかし、そうやって消えちゃんに告白しました」


「なつかしいね。何回も何回も告白してくれて。うれしかった」


「告白するまでうるさくいちゃいちゃしますよ?」


「うん。いちゃいちゃします」


「参ったな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る