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 スナップエンドウのさやを食べる行為は、私にとってどうしても理解できないことのひとつだった。

 日曜日のことだ。

 どうして、エダマメはさやを食べないのに、スナップエンドウはさやを食べるのだろうか。

 私はリビングの真ん中でぼうっとして立っていた。

 そこにどれほどの違いがある? ないだろう、たかがさやの硬さや、大きさで食べる食べないを決めるのは、日本の食文化の歴史を辿ればおかしいということは明らかだ。

 ふと、扉が開いて、妻が帰ってきた。

「一度、スナップエンドウのさやを食べてみたら? 百聞は一見にしかずよ」妻はにこにこと笑って言った。

 妻はテーブルにビニール袋をどさっと置く。

「でも、そういう君もエダマメのさやは食べたことがないだろう? 百聞は一見にしかずだ、食べてみるといい」私がそう言うと、妻は無言で微笑んだ。

 それから、妻は私を見て言う。

「そうね、例えば、あなたは他の女の胸をよく見るけれど、食べるのは私だけでしょう? それと同じよ」妻は唇に指をあてて言った。

「いいから、水やりをしてちょうだい」と妻は言う。

 私はそれを無視して、ベランダに出た。

 私は渋々ベランダに出て、外を眺める。

 夕焼けが美しかった。

 夕焼けが美しかった。


 ※ ※ ※ ※ ※


【解説】


 最後の「夕焼けが美しかった」がヒントです。なぜ2回も同じ文章が使われているのでしょうか。また前文も少し違和感がありますよね。


 もう一度、最初からよく読んでみてください。ただし、一文ずつ飛ばして。


 はい、わかりましたかね。これは2つのお話が交互に挿入されているのです。ちなみに、私はスナップエンドウのさやはちゃんと食べます。エダマメのさやまでは食べませんけれどね。




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