ルーローの三角関係 作・秋月渚
「
「は?」
ある晴れた昼下がりのことである。私、天瀬千春は級友である
「ルイ、今度は何のロールプレイをしているんだい?」
「近頃巷で流行りの悪役令嬢ね。今ちょうど小説投稿サイトで読んでいるのだけれど、実際に言ってみたらどんな反応をされるのか気になったのよ」
「そんな理由で婚約破棄するな」
「そもそもちーちゃんと私は婚約なんてしてないわ」
「突っ込むべきところはそこじゃない」
琉衣のボケに突っ込みつつ、紗良に向かって親指を立てる。あ、紗良が人差し指を立ててる。これはあとで棒アイスをおごる流れだな。
「あ、婚約破棄をするのは悪役令嬢じゃなくてその婚約相手だったわ。私ったらうっかりさんね」
「いや知らんがな」
「でもちーちゃん、悪役令嬢ものって不思議だと思わない?」
「?」
あいにくと私はその「悪役令嬢もの」というのがいまひとつ分からないので、それに対する「?」だったわけなのだが、琉衣はそれに気づいた様子もなく続ける。
「婚約を破棄したいのならまずは親に相談するべきよね。それなのに婚約者たちはパーティーなどの祝いの場でいきなりそれをぶちまけるのよ? 実に愚かだと思わないかしら?」
「いや、そんなことを私に言われてもだな……」
本当に困る。なにせ私はその「悪役令嬢もの」というものが分からぬ。しかし私は聡明であった。いや嘘だ、見栄を張った。とにかく私はこの時急激に頭を回していた。
「あ、あれじゃないか、証人がたくさんいた方が後々便利だとか?」
「なるほど、舞台装置というわけですか」
「その使い方は明らかに違うと思う」
「冗談よ。でも証人というなら、大体婚約破棄する男どもは周りに取り巻きが湧いてるからあまりその意味は薄そうなのよね」
わからん。ほんとうにわからん。が、一つ知見を得た。婚約する男の周りには取り巻きが湧くらしい。腰巾着ってやつだろうか。
「まあ私は悪役令嬢ものに何かを物申したいわけじゃないからもう考えなくていいわよ」
「振ってきたのはそっちなんだよなぁ?」
生産性のない会話、終了。
気を取り直して私は手元の紙に目を落とす。もともとこの紙の内容を話し合わなければ、と部室にやってきた私を出迎えたのが琉衣の婚約破棄発言だったわけである。
「それよりもさ、こんなものが部室のポストに入ってたんだけど」
そう言って私はひらひらと手元の紙を振る。そこには「桜華祭への参加について」と書かれている。私たちの学校ではもうすぐ学祭が行われるのだが、そこに参加するかどうかをいついつまでに実行委員会に提出しろ、というのがその紙の要約である。
「それについてはこの間『何もしない』っていうので決まったんじゃなかったかな?」
「ん、まあね。でもそれからしばらく経ってるし、意見変わったかもしれないと思ってさ」
「それもそうだね」
携帯から顔を上げることなく紗良が質問してくる。人によっては失礼じゃないかと言うかもしれないが、彼女がそういう人間であることを十数年付き合って理解している私からすれば、問題にするべきではない。
問題なのは、だ。
「やっぱり何かするべきだと思うの」
「言うと思ったよ逆張りガール」
想定していた通り、前回の話し合いでは「やるのは面倒くさい、店を冷やかすのが楽しみだ」みたいなことをつらつらと流していたはずの口から反対の意見が飛び出してきた。安心院琉衣とはこういう女なのだ。
「うふふ、やっぱりちーちゃんは私のことをよく分かっているじゃない」
「何年一緒にいると思ってんだ。それはともかく、やるとしても何をするつもりなのさ。あまり準備に時間がかかるもの、人手が必要なものをやろうと思っても……いや後者はなんとかなるかもしれないけどさ。ともかく、そういうのをやるのは現実的じゃないから却下だぞ」
「安心して。私だってそれぐらい考えているもの」
「ほう、聞かせてもらおうか」
私はそばにあった椅子を引いて腰かけつつ問いかける。どうせろくな案持ってきてないんだろ、知ってるぞ。私は詳しいんだ。
「脱出ゲームをさせようと思っているのよ」
「…………」
「へえ、面白そうじゃないか」
やめてくれ紗良、一度褒めるとこいつが止まらんのは紗良もよく知っていることだr…………あ、これ確信犯だわ。唇の端がプルプルしてるもんな。くそう、そんなに私をイジメテたのしいかぁ⁉
そんな私の内面を(紗良はともかく)知らない琉衣はぺらぺらと自説を垂れ流していた。なげえ。
長くてついでに要領を得ないので要約してみると、「使うのは部室」「制限時間は三十分」「問題数は十」「最後の問題を解くと鍵のありかが示される」「見張りを一人立てておく」といったところのようだ。
部室を利用するのはまあいいだろう。締め切りがもうすぐに迫っている今、使えそうな教室はおおよそ押さえられていると考えていい。制限時間も妥当だと考えられるし、問題数も悪くはなさそうだ。…………いや少し多いか。鍵、ということはストレートな脱出ゲームということだろう。そして見張りが一人というのも当然というか。
困った、特に文句の付け所がないところが本当に困った。難癖をつけてやめさせてやろうと思ったのに。
「ちなみに最後の問題を解くと『鍵は図書館にあり』となる予定よ」
「待てや」
「どうかしたのかしら?」
「脱出ゲームなのに、鍵は部屋の外にあるのか?」
「ええ。だってその方が面白そうじゃない?」
「ははは、確かにそれは新しいね。うん、面白そうじゃないか」
「紗良? やることになった暁にはお前も道連れだぞ? 本当にいいのかそれで?」
おっと思わず声に出てしまったか。
「千春はどこかに不満でもあるのかい?」
「不満っていうか、そもそもそれじゃあ脱出できないでしょ?」
「ええ、正攻法として学内にいる友人にヘルプを求める、というのはアリだと思うけれどそういう話じゃないのでしょう?」
琉衣の問いかけに私は黙って顎を引く。
「もちろん、自力で脱出する方法はなくもないのよ? まあ、これを自力と言ってしまうと語弊があるのかもしれないけれど」
語弊があるが自力である。ううむ、分からんと言いたいところだが、そんなことを言ってしまえば琉衣が調子に乗るのは目に見えている。そんなことは断じて許さん!
「むぅ…………」
そう意気込んではみるものの、やはりいい案など浮かんでくるわけもなく。
「ちーちゃん、諦めちゃってもいいのよ?」
唸っている私を見て、琉衣がそんなことを言ってくる。上から言っているわけではないことは口調から分かるのだが、それでもこの感覚は無くなるものではない。
「千春、多分もっと単純に考えていいと思うよ」
「単純」
「そうね、言ってしまえば単純どころか馬鹿にしているのかって言われるレベルだと思っているわ」
「そこまで言うか」
「それでは回答たーいむ」
「シンキングタイムが消え去った」
矢継ぎ早に繰り出される琉衣のボケにツッコんでいたらいつの間にか回答タイムを迎えていた。ひどい。
「ええと、それじゃあ『扉に鍵がかかっていない』?」
「確かに馬鹿にしているのかって言われそうですわね。でもバツです」
「『呪文を唱えると扉が開く』」
「あはははは」
おいなぜ笑う紗良。いや笑うのも分かるんだけどさ!
「『開けゴマって言うと外から見張りの人が笑いながら開けてくれる』」
「それ採用してもいいですわね」
するな。いやそれもアリなのでは…………? ほら、まっとうに解くと「鍵は図書館にある」って出てくるけどそこからさらに一歩踏み込むと「これこれこう言うと外の見張りの人が開けてくれる」みたいな。
「じゃあ琉衣が想定していた脱出方法はなんだったのさ」
「今のちーちゃんの回答に近いものですわ。『外にいる見張りが持っている鍵で扉を開けてもらう』ですもの」
「…………」
馬鹿にしてんのか、と口を突きそうになったが、言ってしまえば私の案とそう変わらないだけに何も言えなくなってしまう。
「ルイ、でも見張りの人はなんて言われたら扉を開けるんだい? なにか決めていないと面白くないのではないかな」
「そこは『開けゴマ』でいいのでは?」
気が付くと私の案が組み込まれていた。でもちょっと待て、この話はもともと企画を止めるための話だったはずなのだが…………。
「でも開けゴマってかなり安直じゃない?」
「安直なぐらいがちょうどいいのよ。それをうまいこと問題の中に落とし込むことができれば行けそうじゃない?」
そして私の想像も組み込まれていく。これ止められるのか?
「ちーちゃん、結構ちゃんとした企画になっていたんじゃない?」
「うん、それは、まあ」
そんな私の煮え切らない返事が不満だったのか、琉衣がぐっと顔を近づけてくる。大きな瞳の中に自分が映っているのが見えて、そっと視線を外す。しかしその移動を先回りするように琉衣が追いかけてくる。なんだか恥ずかしい。
「ちーちゃん、逃げないで」
「やー、逃げているわけじゃ…………」
「ちーちゃんが反対しているんだから、ちーちゃんの意見を一番聞く必要があるわ。ちーちゃんが納得しないとどうしようもないもの」
…………私をまっすぐ見つめる瞳は澄んでいる。ああもう負け負け、勝手にしやがれ。
「いいんじゃない、別に。でもやるとなったらちゃんと手伝うんだぞ」
「もちろん! 私、自分から言ったことを覆すことはよくあるけれど、友達との約束はできるだけ守る主義よ」
「そうは言うけどこの前私のことを二時間待たせたのは忘れていないぞ」
からかうような声で紗良が口を挟んでくる。おい琉衣、二時間は流石に待たせすぎだろ、何してたんだ。
「あれは電車に乗る方向を間違えただけじゃない。それにその件はダッツで手打ちにしたはずよ」
「うふふ」
なんというか紗良、こういうところがあるよなぁ……。いやまあそんなところも可愛いんですけど。
「じゃあこの案をまとめて、どこに持って行けばいいのかしら?」
「
「九重も大変だな。このごろは特に忙しそうだ」
「まだ準備すら始まってないのに大変なのね、実行委員会って」
「そんなもんでしょ。ほら、はやく用紙に書き起こすよ」
おいなんだその目は、二人とも期待の眼差しで私を見てるんじゃないよ。特に琉衣、お前は企画立案者だろうが。お前が書けよ。
「私、そういう書類が苦手なことはよく知っているでしょ?」
「そんなこと知ったうえで言ってるんだよなぁ!」
どうどう、と紗良に押さえられる私だったが、さすがにおとなしく席に着く。しょうがない、下手にごねるよりさっさと諦めてしまった方がいいのだ。ちくせう。
「悪いとは思っているけれど、これも適材適所というやつよ」
そう思うんだったら早く案をまとめてほしいんだよな。そしたら書いてやるから。
「やることは脱出ゲーム、使うのはここ、それから…………」
琉衣がつらつらと上げていく内容を書き起こしながら、説明不足な点は適宜質問しつつ埋めていく。ふうん、ちゃんと質問すれば返ってくるあたり、きちんと考えてはいたようだ。いや、あそこまでやられて信用していなかったわけではないけれど、それでも、ね。
「こんなもので大丈夫かしら?」
「そうね、このぐらいしっかり計画を立てられていたら九重も文句は言わないでしょ」
「九重は甘いから、ルイがちょっとお願いすればすぐにオーケーを出しそうだけどな」
「それは最後の手段で。んじゃとりあえずこれ持って行って…………」
私がそう言い終える直前、部室のドアがノックされる。続けて男性の声が聞こえてきた。
「すいません、ここって…………」
「ミステリ研究会ならあなたから見て三つ右、オカルト倶楽部は二つ上の509、探偵部は521、文藝部なら118、クイズ研究会は503、SF研究会ならこの真裏だけど」
「ちょっとちーちゃん、さすがにそんなにまくし立てられたら話せるものも話せなくなるでしょ。ちょっとは落ち着いたら?」
琉衣の擬態が始まった、ということは彼は依頼者か。そんな私のめんどくさいという感情がありありと顔に出ていたのか、紗良がちょいちょいと手招きをしている。私はそれに掌を向けることで返し、来客用のスマイルを張り付けたうえで彼――ひょろりとした体躯に黒縁メガネの青年に声をかける。
「誰からのご紹介ですか?」
「有坂音々から、です」
目線で紗良にチェックを要請。即座に頷きが返ってくる。
「とりあえず、私たちは話を聞いて提案をするだけってことは覚えておくこと。それと相談料はガトーでおごりだから。それでいい?」
「は、はい。よろしくお願いします」
これは私たちの、謎解き会の活動の一つである。もともとは脱出ゲームやら頭の体操やらやってみるか、ぐらいの緩い活動をする予定だったのに、どこかの勘違いしたやつが私たちに変な相談を持ち込み、解決してしまった。
それがいけなかった。
気が付けば私たちのもとには定期的にそういった相談事が届けられるようになり、それに伴って商売、というほどではないけれど見返りとルールを定めた。紹介制、一相談につき学生に優しいお値段で学生を満足させる喫茶店ガトーでのおごり一回。さすがに私たちだって万能ではないので何でも解決できるわけではない、ということと上記のルールを理解した人のみ相談を受け付ける、ということにしたのだ。
そんなこんなで一時間半後。
「ありがとうございました!」
「ええ、よい助言ができたようで何よりです。相談料をお待ちしていますね?」
「そうですね、この日でどうですか?」
「かしこまりました。ではまた」
何度も礼をして去っていく彼の姿が見えなくなったころ。
「さて今回は誰が行きましょう」
まあさすがに三人全員におごらせるのは気が引ける。今回の相手は先輩だったので遠慮はそこまでないが、それでもやはり、である。
なお一応相談時間、相談内容によって何をおごらせるのかは決まっている。安くて百数十円、高くても千円を超えないようにはしている。みみっちいがこれも数を減らすためのふるいなのでなくしたくない。
「まあ今回私何もしてないから琉衣と紗良の二人からでいいよ。それじゃ、私は書類を出してくるから」
「いってらっしゃい」
「ん」
紗良がまた人差し指を立てている。はいはい、買ってきますよ。チョコなら何でもいいだろ。
そうして私が用紙を提出して購買でアイスを買い、ついでに自分の分の紅茶を買って部室に戻ると、琉衣がテーブルに突っ伏して寝ていた。
「なんかあったの? あ、はいこれアイスね」
「ありがと。いつものだと思うよ、頭の使いすぎ」
「相変わらずよく分かんないな、そのシステム」
「でもルイのことを一番理解してあげているのは千春だろ?」
私は椅子に座りながらその言葉に眉をしかめる。琉衣とも長い付き合いだから互いのことはそれなりに分かっているけれど、一番かと言われると、ちょっと自信がない。
「さっきも千春のことばかり話していたよ。少し嫉妬してしまいそうだ」
嘘つけ、と心の中で愚痴る。紗良は琉衣のことを好きだと公言しているが、その裏にどんな気持ちを秘めているのかなんて私は知らない。
「嫉妬してくれてもいいんだぞ?」
聞こえなーい! というか聞きたくない!
「千春は私のことが好きだもんな?」
「それは昔の話だろうが!」
小学生ぐらいのころの話だぞ、蒸し返すんじゃないよ!
「あはははは」
顔を白黒させる私が面白かったのか、紗良は額をテーブルにつけるようにして爆笑している。いったい私は何を見せられているのだろうか。
「私の好きは恋愛とかじゃないでしょ」
「まあね。でも誰かを好きになるって気持ちは尊いものだ」
「否定はしないであげる」
「ははは」
別段、私も琉衣も紗良も今の関係から一歩踏み出すことを恐れはしないだろうし、変わったら変わったで、その関係に沿った動きをするのだろう。
ただ、十数年かけて形作られた関係を動かすのは骨が折れる。要するに面倒くさい。
「んん…………あ、ちーちゃんおかえり。どうだった?」
「出すならもっと早く出せって愚痴られたけど承認はもらってきた。明日からさっそく取り掛かるからね?」
「はぁい」
「了解」
寝ぼけ眼をこする琉衣の姿は非常に可愛らしいが…………それとこれとはまた別の話である。
私たちにとって「大人になっても一緒にいようね!」というのは似合わない。せいぜいが「できれば一緒にいたいね」ぐらいである。
でもそれでいいのだ。私たちは誰かがいなければ回らない歯車ではない。
変わり映えのしない明日と、ちょっとの刺激があれば十分生きていける、はずなのだから。
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