色見本   作・麦茶

 真っ黒に塗りつぶされた意識に穴を開けるように、朝日が昇ってくる。シイイイーーーーンンと耳の奥で音が鳴り始める。一日はひとつのからくり時計だから、その時計が動き始める前の一瞬のチューニングでこんな音が出る。敷きっぱなしの布団の上で寝転がって暗い天井ばかり見つめていた身体は起き上がって、冷蔵庫を探り、野菜ジュースを啜り始める。意識だけがスコンと穴の開いたまま空中にぶら下がっていて、白いストローの内部を上がっていくにんじん色の液体を見つめている。そのうち意識の輪郭が曖昧になり、空きっ腹の始発電車が乗客を求めて駆け込んでくる頃には身体と意識が一緒くたになり、彼の目は私の目に、彼の耳は私の耳になる。


 彼は道端に出て、落ちていた昨日の新聞を拾う。毎日落ちているから毎日拾っている。さっきまで首を吊っていた私が一定の速度でその情報を処理していく、その心地良い刺激を一通り楽しみ、新聞をもとあった場所に戻す。次の人が読むからだ。ただしほとんどの場合それは人ではない。猫とか犬とか、キジバトが器用に片足で立って、もう片足で新聞紙をめくっているのを見たこともある。ここで重要なのは文字を読む能力ではないから、特に驚くべきことではない。真夏の日差しが照り付けるので身体の方は暑そうだ。生来の汗っかきのせいですでに肌が光っている。母親の葬式も真夏で、彼はやはりだらだら汗をかいていた。


 視界が不意にスパークして、私は夢から覚めた。すでに夕暮れが迫っている。部屋の中は夕日で真っ赤に染まっていた。布団から抜け出して血の池のようなフローリングを裸足で踏むと、足の裏も赤く染まった。野菜ジュースを求めて冷蔵庫のところまで行くと、玄関に男が倒れていた。全身赤かった。これも夕日のせいだろうかと窓を見て、カーテンが閉じたままであることに気がついた。先週も同じことをやった気がした。カバがピンク色の汗をかくように、この人は赤い汗をかくのかなとまた思った。ベタベタと粘着質な床を歩いて、ともかくにんじん色のジュースを飲んだ。男と目が合った。さっきの夢と正反対に、私には身体だけだった。


 ガタガタと玄関が大きく揺れて、しまいにはドアが吹き飛んだ。目の前にさっと黄色い光が投げかけられた。警察だと言っているが、私には不法侵入の輩にしか見えない。眩しくて手を伸ばすと罵声を浴びせられた。横柄だな、黄と木で、横。しかし木がないなと思って、フローリングを木製であることにした。腕をねじり上げられ、その木製の床に顔面がぶつかった。今は頬も額も唇と同じ色になっているだろう。どこもかしこも唇だ。だからと言ってお前たちとキスをする道理なんてない。たとえ長年付き合ってきた床でも、突然出現した泥棒みたいな男たちでも。目を凝らすと、床に広がった赤い液体の奥底には紫のぬらぬら光る核のようなものがあって、この液体は血液のふりをした何らかの生命体なのだと知れた。いや、血液ではあるのかもしれない。血液が本体の生物ということだ。単細胞生物よりも以前から地球上に存在する生命体。案外マグマと親戚だったりするのではないか。火山からマグマが噴出した時の、暴れ馬のような荒々しい勢いを思い出した。私はすっかり火山の内部にうごめく気性の荒い幼虫の紫色の輪舞に魅入ってしまい、一点に集中した神経は簡単に踏み潰された。まさしく幼虫のように。




 胸の悪くなるような緑色ばかりの部屋にいる。緑は人の心を和らげると言うが、こんなにどこもかしこも緑色ではむしろ気が立って治るものも治らない。はて俺は何を治しにここにいるんだろう。そこへちょうど看護師らしい男が現れたので、なぜこんなにも緑色ばかりなんだと尋ねた。そんなにひどくないでしょう、と男は言った。枕なんて素敵な青緑色じゃないですか。カーテンの黄緑色だって爽やかでしょう。うるさいな皆同じだよ。緑は緑なんだ。俺がどんなに狂っても俺であるように、緑はどんなに青や黄に近づいても緑なんだよ。


 そしたら赤に近づけましょう。そう言ったのは俺だか男の方だか分からないが、腹部から赤い絵の具を垂れ流し始めたのは俺だ。緑でないものがこんなに近くにあったとはね。血の赤は色の三原色の赤(マゼンタ)よりも光の三原色の赤(レッド)に近い。色を混ぜるごとに白に近づいていく赤。しかし単純なレッドでもない。マゼンタとイエローを混ぜた時に現れる、黒に近い赤もある。闇にも光にも近い色だ。そのうち口からも垂れてきたので、手の甲で拭って緑色の枕に擦りつける。赤と緑を混ぜたら黄色になるはずだが、上手くいかない。俺はともかくこの緑色を打ち消すことが出来たらいいんだ。


 いいや、何を言っているんだろう。色と色の配合なんて本当はどうでもいいんだ。色の判断なんて見る者が違えば全く変わる。赤が青に、黄が黒に、あらゆる極彩色のパノラマがモノクロームの荒涼たる岸壁に見える奴だっている。俺が見ている緑色の部屋は、本当は一面灰色の牢獄なのかもしれない。もとより本当の色など存在しないのだ。皆プリズムが見せる魔法に騙されていて、アレは何色、コレは何色などと解釈しては楽しんでいるのだ。……光の詐術……脳髄の働きのバカバカしさ……それは解釈のバカバカしさだ。小説や、映画や、音楽をコレコレこういう意味があるのだ、こんな意図をもって作ったのだと話す自称有識者らを思い出そう。鼻をひくひくさせて彼らはこう言う。制作物には作者の意図が隠されている、人物の会話、一挙一動、一見訳の分からない行動にも必ず意味があると。その解釈が自分の妄想でないと言える根拠はどこにあるのだろう。十字架を担う男は常に救世主と言えるのか。善悪の果実はリンゴか、イチジクか、オレンジか。その解釈を集団に共有することで、その解釈の信頼性は高まったと言えるのか。俺には集団妄想に見えて仕方ない。自身の求めるストーリーに既存の物語を捻じ曲げてでも当てはめる行為は、はたして本当に作品そのものを評価できているだろうか?


 昔、フロイトという解釈狂いの博士がいた。彼の夢判断は実に単純で、あらゆる夢に現れ出た問題は患者の父親に直結すると言う。嘘みたいな話だ。実際嘘なのだ。夢分析の理論は皆フロイト大先生の父親へのコンプレックスから来る妄想なのだ。それでも夢のお告げに頼ろうとしたり、夢から何かを読み取ろうとしたりする人間は多い。フロイトやユングを崇め奉る人間も多い。


 いったいぜんたい、人間は人間の思考を解釈できると思っているうちは何にもならない。飛び降り自殺があったとする。自身でビルの屋上の端っこに突っ立ってみればよく分かる。足下を過ぎる豆粒大のヒトや自動車、身体を嬲る強風、カラスの喚き声、それらを想像してみろ。遊び半分でそうしたにしても、足が震え、肝が冷え、目眩がしてくる。そして脳裡にふと……このまま落っこって地面に叩きつけられたら……どんな気分だろう……ヤア飛び降りてやろうかな……と……そうしたら落下死体の一丁上がりだ。そこに失恋していたとか仕事の悩みがあるのだとか勝手に解釈をつけるのはいつも周囲の人間だ。しかし本人の口が永久に閉じているか開きっぱなしで動かないから、部外者が何を言ってもそれらしく聞こえる。あのビルに吹き寄せていた緑の風は列車の轟音のようだった。いや黄色だったかな。夕日に染まった電車の車内は真っ赤に燃えて、普段よりいくらか綺麗だった……。今少し意識が飛んだ。自分の思考ほど解釈するに値しないものはない。自らの中にすでに解答が厳然としてあるのにさらに理屈をこねまわして、妙な理論を持ち出して小難しく解釈することに何の意味があろう。しかも自身の無意識を解釈する輩ほど無意識を悪と決めてかかっている。盗癖や博打好きや殺人欲求について、人は無意識下の事柄に問題の核心を求める。どうして無意識がこんなに蔑視されなければならないのか。じっさい無意識というのは実に稀有な可能性を秘めている。人間存在に救いを与えるのはいつも無意識だ。幸福だった時代を描いた夢が、ユダヤ人たちをホロコーストの絶望から救った。それは彼らの無意識が生き延びるために打った秘策だった。しかし彼ら自身にとって、その夢はただの夢だったのか。幸福な夢と苦しい現実を逆転させることで、彼らは現実をいつか覚める悪夢だと思って耐えたのではないか。夢と現実、無意識と意識を区別するものは何だ。


 有識者=妄想癖患者説はある種の解釈だ。フロイト=父親への性的コンプレックスのカタマリ説も、ある種の解釈だ。何を信じるかは人それぞれで、遊園地のメリーゴーラウンドは天国へのワープホールかもしれないし、夏祭りの花火は悪魔を召喚する魔法陣かもしれない。トーテムポールを食い散らかす魚の夢を見る人は、無意識が大食の罪について物申したがっているのかもしれない。しかしその解釈は意識下でなされたことで、無意識が本当に何を思ってそんな夢を見せたのかは分からない。結局のところ、脳の働きを脳で解釈するなんて堂々巡りのオアソビだ。誰も彼も灰白色の脳髄の迷宮に囚われてしまっているんだ。


 解釈することは時に解釈された側から見れば名誉棄損でしかない。少数派を守ろうと活動する人々は、多数派を好んで守る人々を糾弾する。真の和合は解釈の放棄によってなされるのではないか。無批判に受け入れることだ。しかしそれも不可能だろうか? 俺のような他称「殺人者」はいかに俺自身が主張しても、公共の福祉のために世間から存在を許されない。それは世間から多様性が一つ失われたということにはならないか。ならないだろうな。危険因子は多様な未来の可能性の一つとしては見なされず、共存不可能なものとして種から抹消される。他の色と混じり合うことを拒絶される。




 彼は悩んでいる。以前は考えもしなかったことを考えるようになっている。意識と無意識を分離しようと唸り、意識に人格を与えることを拒絶する。私はその度に自分の腕や足がもぎ取られていく感覚に悲鳴を上げる。私が私でなくなっていく。彼と私の二元論が破壊される。身体と意識の結合を引き裂く刃物の群れがやって来る。何が彼を変えてしまったのだろう。たださえ脆くて曖昧で信用ならない相互関係がブチブチと断ち切られる。ストローを上っていくにんじん色のジュースは、真っ赤なトマトジュースだった。緑は黄色に呑み込まれ、青は紫色が食い尽くした。彼は彼でない何者かで、この世界は注射器の中の透明な薬品が血液と混ざる一瞬の間に見た走馬灯なんだ。




 真っ白に塗りつぶされた意識に穴を開けるように、朝日が昇ってくる。シイイイーーーーンンと耳の奥で音が鳴り始める。白色の空間は時々黒と入れ代わりながらそこにある。まだ色の感覚は戻ってこない。ぽつんと赤色が、青が、緑が浮かび、重なり合って光が生まれる。すでにあった白い空間がより光沢を持って白く浮き上がる。私は再び色を失い、空間は色を含んでさらに白い。彼の身体から遊離した私は、ぼんやりと曖昧な輪郭のまま立ちすくんでいる。


 白い泡の段がいくつも現れる。一段目を踏みしめると少し沈んで、足裏が硬い面をとらえる。これは雲の階段だ。階段は足が離れると、クスッと軽い音を立てて元の雲に戻る。見上げると、空は青い。転げ落ちそうなほどに透明な青は、見る者に距離も時間も失わせる。足は真直ぐに上昇する。一段ずつ、ひと足ずつ、青い空に向かって昇っていく。くすくす笑いが私の後をついてくる。


 傍らを柔らかいものが通った。そちらに目をやり、手を伸ばすと、クラゲが指に絡みついてきた。そうかと思うとするりと指の間から抜け出して、クラゲは半透明な身体をゆらめかせながら、薄い空気の中を行ってしまった。ここは海だとその時気づいた。私は海底へ向かっているのだ。一段ずつ、ひと足ずつ、上昇しながら下降している。周囲の青は少しずつ深くなる。空色から群青色へ、群青色から紺色へ、徐々に黒色に近づいていく。魚たちがヒコーキやヘリコプターや鳥や人工衛星のように、あっちこっちに行き交っている。銀色の鱗がスーッと闇を切り裂いて消える。マリンスノウが星のように遠くでかすかに光っている。静寂と平穏が肌に触れる。海底はもう一つの空であり、もう一つの宇宙なのだ。


 ついに鼻の先も見えない暗闇の中を、私は一段ずつ、ひと足ずつ、進んでいる。足裏がとらえる硬い面だけが確かで、上昇も下降もしていないように感じる。私はただ真っ直ぐに進んでいる。地球を創造する以前の宇宙と、その百億年の孤独を思う。やすらかな孤独の中では空気の震えさえ感じない。そのうち私の輪郭も溶け、意識は真っ黒に塗りつぶされる。

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