第41話 闇の貴公子
アロイスが不死者として目覚めたのは、村が焼け落ちて三日後のことだった。
耐えがたい喉の渇きに、黒檀で出来た
部屋の中央に置かれた机の上には、魔道ランプが置かれていた。
着ている服は、レースのついた白絹のシャツに一目で値打ちものと思われる光沢のある蒼玉色の
手には宝石のついた指輪がいくつも嵌められ、爪は血の色に染まっていた。
壁に嵌め込まれた縁付きの鏡に目を向けると、そこに映る爛々と光る二つの真紅の瞳に驚愕し、次に
冷たい身体、鼓動のしない心臓、禍々しいオーラを纏った人ならざる変わり果てた自らの姿に、恐怖のあまり悲鳴を上げる。
部屋を飛び出そうとしてバン、と扉を開けると石の階段が上へと続いている。
アロイスは階段を一気に駆け上がると、壁龕に嵌め込まれた魔道ランプの灯りに照らされた廊下に出た。
等間隔に配置された台座に
その先には大きく開かれた両扉があり、その向こうは大広間だった。
高い天井に吊るされたロートアイアンの魔道シャンデリアが眩く輝き、人々のざわめきが聞こえてくる。
使用人が料理や飲み物を載せた
カラカラと
むせるような人間の甘い血の香りが鼻腔をくすぐる。喉の渇きは極限まで達していた。
本能が、今すぐ目の前の獲物に飛び掛かれと告げていた。
アロイスは捕獲者、人間は彼の獲物だった。
ギリギリと歯を食いしばり、手を震えるほど固く握りしめ、ありったけの自制心を揺り起こして、彼はその場に留まり続けた。
「――目覚めたのか。アロイス」
その時、ヒュン、と風を切る音と共に、黒繻子の裏地はシャンパンゴールドのマントを翻し、片肩から前部にかけて豪奢な金の飾緒の飾りのついた緋色の礼装軍服を着たサシャ王が現れた。
人の目には捉えることのできないような、素早い動きだった。
王はアロイスに、ついて来るようにと仕草で伝える。
城の最上階へと連れて行くと、窓から眼下に広がる城下町を見せた。
夕闇は次第に濃くなって屋根や塔や壁を紫に染め、幾千もの家々の窓に灯りがついていく。
「このクレモンの町を含むノワールの地を、其方に与えよう。この領地の人間と不死者の、生殺与奪の権は其方の手の中にある」
それからサシャ王は、アロイスに不死者として生きるための術を教えた。
手始めに、苦痛を与えないように人間から吸血する方法を伝授される。
「通常の食事をするときは、弱らせないように少しずつ飲むのだ。しかし本当に死に至らしめるときは、心臓の鼓動が止まる手前で終わらせるように気をつけなければならない。
さもなければ、其方は心と身体の両方で苦しむことになる」
また、王はアロイスと騎士たちを伴い、狩りに出かけた。
夜の森に続く街道を風のように移動して、出現した魔獣たちを赤子の首を捻るよりも簡単にいともたやすく次々と仕留めて見せる。
アロイスもまた、狩りに夢中になった。
血の力を操って狩りをするのは、たいそう心躍るものだった。
新たに得た闇の力を行使し、これまで怖れていた大型の魔獣を難なく屠っていく。
滅びゆく村の次代の長として抑圧されていたアロイスは、不死者となってこれまでのしがらみから解放され、自由になったかのように思えた。
夜の狩りを終え
「あの少年は、其方の弟か? 村の広場で其方が庇い、重なり合うようにして倒れていたのだ」
城の庭の一画に、ヴィーザル村の子供たちが集められていた。
その中には、金色の髪の少女の私と焦げ茶色の巻き毛の小さな弟も居た。
彼は突然、冷水を浴びせられたかのような衝撃を受け、立ちすくんだ。
「……いいえ」
アロイスはとっさに、彼自身と私たちの関わりが深いことを王に知らせない方がいいだろう、と判断したのだ。
サシャ王の命によって災厄を生き延びた者たちは、兵士たちによって荷馬車に乗せられて旅をし、少し前にこの城に到着したところだった。
アロイスは不死者となった自分の姿を、私や弟たちに目視されることを怖れた。
この時まで彼は、記憶から私たちのことがすっぽり抜け落ちていたのだ。
故郷が焼け落ち、家族や私……身近にいたすべての人々が失われたかもしれない、という現実を直面するにはあまりにも辛過ぎたから。
そんな自分を心の中で叱咤し、ぎゅっと爪が食い込むほど手を握りしめる。
サシャ王の視線を感じながら瞬きする間に、彼と私たちにとっての最善は何か、と思考を巡らせた。
まだ不死者としての自分自身のことも、サシャ王の意図についてもよくわからないまま、どのように行動したらよいのか雲をつかむような気持だった。
「アロイスさまっ!」
私たちの中で最年長のパトリスは、衛兵の制止を振り切って転がるように走り、魔物討伐から帰城した王の一行の前に飛び出した。
「無礼者!」
その場にいた騎士たちが、すぐにパトリスを取り押さえた。
「この者は?」
王がアロイスに問いかけると、地面に肩を押さえつけられていたパトリスが顔を上げて、大声で叫んだ。
「私は! アロイスさまの右腕として、ずっと仕えてきた従者です。今まで通り、お側に置いてくださいっ」
アロイスはパトリスの側に歩み寄り、片膝をついた。
「――パトリス。僕を見ろ、もう以前の僕ではない。それでもお前は、まだ僕に仕えたいと言うのか」
月の光とかがり火に照らされた城の庭で、間近に彼の妖しく光る真紅に瞳に見つめられ、パトリスはひゅっと息を飲んだ。
若者らしく向こう見ずなパトリスの顔に、初めて畏怖の表情が浮かび、やがてそれは羨望に取って変わった。
「あなたは、
パトリスは熱に浮かされたように「私にも、その力を分け与えて下さい!」とアロイスに訴えた。
「何を……ばかな。そんなことをしたら死後、
戸惑い、不安を覚えたアロイスは、首を横に振る。
すると王は、騎士たちにパトリスの拘束を解き、連れて来るようにと指示した。
「アロイス。この地を治めて行くにあたって、血の絆によって結ばれた臣下も必要だろう。
その者は自分から志願している。気心の知れた者なら、これから長い時を生きる其方の孤独も癒されるだろう」
「ですが――」
苦悩するアロイスに、その場にいた司教も口を挟んだ。
「
陛下からの特別なご配慮を、有難く受けなさい、アロイス殿」
期待を込めてやり取りを聞いていたパトリスは、アロイスがなおも渋るのを見て詰め寄った。
「私はアロイスさまと共に
この場にいる不死者たちは全員、アロイスが新たな不死者の創り手となることを望んでいる。
王の後ろに控えている近衛騎士は、剣柄に手を置いてパトリスをじっと見ていた。
やがてこれは何かの通過儀式なのだ、とアロイスは悟った。
そうして、パトリスはアロイスによって不死者に変えられることになった。
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