第26話 異端審問官

 

 

「ソフィさま、ベックとヨハンは、大丈夫でしょうか?」


 アンヌは両手を胸の前で揉みしぼりながら、私に縋るような眼差しを向けた。

 ベックとヨハンは、エタン村に向かう商隊の護衛の依頼クエストを受けていた。

 エタン村は、このクレモン城下町からだと、荷物を運ぶ商隊なら一日半くらい見ておけば着く距離だ。予定では、明日か遅くても明後日には帰ってくるはずだった。

 そのエタン村から、そう遠くない谷に見つかった豚鬼オークの巣。

 二人はまだエタン村に居るのだろうか。

 私も彼らの安否が心配だったけれど、アンヌの不安を少しでも楽にしてあげたいとも思った。


「大丈夫よ、アロイスが行ってくれたから。それに商隊も護衛の人たちも、街道を通って行くのだし。街道は昼は兵士が、夜は騎士が巡回している。それに旅慣れたベックが付いているから、ヨハンだってきっと平気よ」


「でも人型の魔物は、魔獣と違って知恵があるから、とても危険だと聞いています。エタン村に何もなければいいですけど」


「ええ……」


 昔、ヴィーザル村が魔獣に襲われた時のことを、アンヌも思い出しているのだと気がつく。


「エタン村の近くには砦があって、騎士と兵士が常駐しているから。アロイスたちが駆けつけるまで耐えきれれば、豚鬼オークは一体も残らず、掃討されるわ」


「――戦勝祈祷会に、行かれますか?」 


 折しも城内にある礼拝堂の鐘が鳴り始めていた。人々は戦の勝利を願って集い、これから冥界の女神に祈りを捧げる祈祷会が夜を徹して行われる。


「行きましょう」


 この手の集会には、極力出席することにしていた。アロイスの顔を潰さないためにも。

 礼拝堂に行くためにマントを羽織り、アンヌがランタンを用意していると、リゼットがやって来た。


「伯爵の命により、これからソフィ殿の夜の警護は私が行う。夜明け前に、人間の衛兵と交代することになっている」


 護衛のリゼットも加わり、私たちは三人で礼拝堂へ向かった。

 礼拝堂につくと、すでに城内から多くの人々が集まっていた。


 マチアス司教が、戦勝祈祷会を告げる挨拶と聖典の一節を朗読する。


「皆さん、ご存知のように、今宵はエタン村の近郊で大規模な魔物討伐が行われています。

 今回も伯爵を初めとするサシャ王の『使徒』であるノワール騎士団は、知能ある魔物の巣を必ず殲滅させるでしょう。大変な戦いになることが予想されます。しかし、彼らは必ず勝利します。

 これまでもサシャ王は、『使徒』に命じて魔物たちの脅威から人々を守り続けてきました。

 さあ、女神とサシャ王に祈りを捧げましょう」


 司教の呼びかけの後に、人々も続いてそれぞれが祈りと共に明かりを灯した蝋燭ろうそくを祭壇に捧げて行った。

 仕事の合間に来た者たちも多く、祭壇に並ぶ人々も交代するように入れ替わっていく。


 ――アロイスが速やかに魔物を討伐して、怪我なく帰城しますように。ベックとヨハンが何事もなく、守られますように。エタン村の人々が無事でありますように……。


 私たちも人々と同じように蝋燭を祭壇に捧げ、祈り終えて帰ろうとした時だった。


「ソフィ殿。あなたも、戦勝祈祷会にいらっしゃったのですね」


 後ろから声を掛けられ、振り向くと巡察官の一人で異端審問官フェルナン・ギルメットが、黒の僧服を着て聖職者らしく柔和な笑みを湛えて立っていた。

 その後ろにはもう一人の巡察官、風変わりな前合わせの服を来た武官のユー・シュエンの姿もあり、俄かに緊張が走る。


「はい。ですが、もう帰るところです」


 女騎士リゼットは、二人の巡察官を前にすると深々と頭を下げた。彼らはリゼットをチラリと見てから、軽く頷いた。


「ソフィ殿は最近、許しの秘跡をなさいましたか」


 許しの秘跡とは、サシャ王が聖職者の「使徒」と人間の司祭以上の階級に与えた、信徒への個人的な儀式だ。

 教会は、使徒または人間の司祭以上の聖職者から「女神ヘルとサシャ王の名によって」罪の許しを信徒に授けることが出来るとしている。

 私はこの儀式によって、教会が様々な情報を得ているのでは、と疑っていた。


「ええ。先週、ロッシュ司祭にお願いしました」


 ロッシュ司祭は人間の城付き聖職者で、日中の間、城の住人の宗教的な面倒を見ている善人だ。

 私は定期的にロッシュ司祭にゆるしの秘跡を行ってもらい、敬虔な冥界の女神の信徒を装ってきた。

 先週許しの秘跡を行っておいて良かった、と思った。


「それはようございました。私がここに居る間に何か困ったことがあれば、いつでもソフィ殿の相談に乗りますよ」


「ありがとうございます、ギルメットさま」


「伯爵の専属の提供者が、城から罷免されたと聞いた。あんたが嫉妬して追い出したんだろうって、他の提供者が言っていたぜ」


「それは違います、ユー・シュエンさま」 


 ユー・シュエンは、何故ルイーズのことを持ち出してくるのだろう。

 きつい顔をした巡察官の真意を測ろうと、必死で頭を働かせようとした。


「あんたはもう一度、ギルメット卿に許しの秘跡をやってもらった方がいいと思うけどな。伯爵の疑惑を晴らすためにも」


「疑惑? アロイスになんの疑惑があるというのですか」


「おっと、ユー・シュエン卿。許しの秘跡は女神とサシャ王の恵み、ごく個人的なものです。強制はなりませんよ」


 穏やかな表情のロマンスグレーの老人は、ユー・シュエンよりもっと食えない人物なのでは、という気がした。


「心配は要りません、伯爵の御夫人。このクレモン城下町にいるヴィーザル村出身で、居なくなった者がいます。我々はその行方を調べているだけです」


 それは、ローランやリディたちのことだろうか。

 まさか彼らが光の民だということが、知られてしまったのかしら。

 私はギルメットの観察するような視線から目を逸らさず、何のことだか分からない、という表情を作った。


「ほう、これはなかなか」


 ギルメット卿は、感嘆したかのような表情で、緋色の目を光らせた。


「ソフィ殿。我々は、人間のことに関してはかなり精通していましてね。嘘を言っていたり、怯えていたり、虚勢を張ったり、殺意を抱いたりと、そういう人間らしい感情や欲望は敏感に察知できるのです。

 ですが、あなたからはそういうものを感じることが出来ない。余程、感情をコントロールできる術をお持ちなのか、それとも我らの血を多く入れているからなのか」


「もしかしたら、人間じゃない、とかね」


 茶化すように言うユー・シュエンの目は、笑っていなかった。


 

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