第15話 祝宴
大広間の騎士の活躍を描いた壁画は天井にまで及び、吊るされたロートアイアンの魔道シャンデリアは、煌々と着飾った人々を照らしている。
広間の四隅には精密な細工を施された大きな壺が置かれていた。そこには沢山の
宴の席に居るのは、アロイスと私の他、貴族は巡察官のユー・シュエンとギルメット、フレミー司教、パトリスを始めとするアロイスの騎士団の騎士たち。
人間は城下町クレモンの有力者と、治療院で働いている人たちから数名、アンヌとヨハンは使用人だけど私と同郷ということで末席に着いている。
そして出席者とは別に――提供者も全員この場に居た。
この結婚が急なことだったのと、相手の私が人間で何の後ろ盾もない孤児なので、ごく内輪の宴となった。毎夜の宴とあまり変わらない名ばかりのものに。
宴席のテーブルは細長い長方形をしていて、壁にぐるりと沿うように並べられている。
私はメインテーブルの中央にアロイスと並んで座り、客人たちを眺めた。
――この中で、私たちの結婚を祝福してくれる人は、本当に居るのかしら。
この結婚を不快に思っている者なら、確実に三人は居た。
まずは、副官パトリス。礼拝堂で慌ただしく式を挙げた私たちを見た時から、その目に怒りを湛えている。怒りの矛先は、私だ。
時折、何か物言いたげな表情で、こちらを睨んでいる。
そして巡察官ユー・シュエン。彼は私を疑っている。アロイスと結婚したことで、私を尋問――あるいはいたぶる機会を奪われ、不満そう。
最後に、提供者ルイーズ。取り巻き達の中から、あんなに憎しみのこもった目で私を見なければいいのに……。
大きなパイは料理長がナイフを入れると、中から小鳥が飛び立ち、つづいて猛禽が飛び出して、小鳥を追いかける仕掛けになっていた。
私が驚いて口をあんぐりと開けていると、隣に座っているアロイスが笑った。
「まだ、この後で巨大な砂糖細工の城が出て来るよ。中からたくさんの小鳥が舞い上がって、ここでさえずるんだ」
もちろん、ちゃんとした料理も豊富に給仕され、
ただ、アロイスの
宴席で、提供者を直接咬んで飲むのだろうと想像していた私は恥じ入った。
楽団が音楽を奏で、踊り子たちが舞う。
吟遊詩人ベックも赤と青の
私たちの所に、町長を初め町の有力者たちが来て、次々に祝いの言葉を述べた。
その中にはルイーズの父親、サニエ商会の長もいた。
「この度は誠におめでとうございます、閣下。提供者の中から御夫人の一人をお選びになられるとは、同じく娘をこちらに置かせて頂く身としては誇らしく思います」
満面の笑みを浮かべるルニエ商会の長に、私は不快感を覚えた。
夫人の一人とはどういう意味だろう。まるで私以外にも、複数の妻を持つのが当たり前のような言い方をして。
アロイスは私の幼馴染で恋人、そして婚約者だった。
それが、彼に血を提供する者の一人になって……今はまだ実感がないけれど、彼の妻になった。
この結婚は、教会で起きた事件について私が巻き込まれないように、アロイスが講じた手段に過ぎないかも知れないけれど。
「そうか、お前の所の娘が居たのか。知らなかった」
アロイスは興味なさそうに、答えた。
「御冗談を。うちの娘ルイーズは、閣下の専属に選ばれております」
「提供者は大勢いるし、入れ替わりも激しい。いちいち食事のことなど覚えていない」
提供者は食事に過ぎないというアロイスの物言いに、ルニエ商会の長は内心の動揺を悟られまいとしているようだった。
「は。失礼いたしました」
男が顔を伏せる瞬間、チラリと見た瞳に微かに怒りが灯った気がする。
ルイーズの父親が怒るのも無理はない、と私も思った。
娘のことを食事だと、面と向かって言い放つなんて。
人間は、まるで貴族に飼われている家畜のよう。
もしもこれほどまでに、壁の外に強力な魔物や魔獣が居て、貴族たちが人間を守護しているのではなかったら。
貴族が人間が反乱を起こさないように宗教を用いて、信仰心で心を縛る統治をしていなかったら。
彼らは絶妙なバランスを持って、私たちを支配している。生かさず殺さず。
そして、民衆は国王が人間でも不死者でも、豊かで平和な治世を望んでいる……。
ルニエ商会の長の去って行く姿を見ながら、そういえば、と思い出した。
マルクが崩落事故の前に、ルニエ商会が『貴族の血』を売買しているいう密告があったと言っていた。
そのマルクは今、深い眠りの中にいる。数日後には
楽団の曲調が変わった。
「この曲は……!」
「一緒に、踊ろう」
アロイスが私を誘い、大広間の中央に進み出た。
懐かしいヴィーザル村の、収穫祭の踊りの曲だった。
アロイスが私の手を取る。
ステップを踏み始めるとすぐに、毎年、村の広場で大樹の下で踊っていた時の感覚が蘇ってきた。
身体がふわりと浮くように軽やかに動き、アロイスが私をくるくると回転させると、
アロイスはノワール騎士団長の礼装用の服を着ていた。
他の騎士たちの黒の騎士服とは対照的な、赤地に黒のラインがアクセントに入った華麗な騎士服で、金の肩章と胸に垂れ下がった三連の金モールが揺れた。
急な婚礼で、私たちの衣装は色合わせが出来ていないけれど、そんなことはどうでもよくなった。
私たちは何年も踊ってなかったことが嘘のように、息の合った複雑なステップを踏んだ。
気づけば、笑い合っていた。
曲が終わると、拍手が沸き起こった。
やがてまた次の曲が始まり、客人たちも、それぞれ相手を見つけて踊り始めた。
パトリスが近づいて来て、アロイスに何か耳打ちをした。彼は頷いて、私に「楽しんでおいで」と囁くと客人たちの元に行ってしまった。
残された私に、治療院のサミュエル老医師と
「いやぁ、突然のことで驚いた! わしは美味い酒が飲めるなら、大歓迎だけどね」
「サミュエル先生、来てくださってありがとうございます」
老医師は赤ら顔で、もう相当お酒を飲んで出来上がってしまったようだ。
「ソフィ、さま。一緒に働けて楽しかったです。あなたが居なくなると、治療院は寂しくなりますね」
「それは……まだ辞めると決まったわけでは」
オレリアの言葉が、私の胸を突いた。
アロイスが許してくれるなら、まだ仕事を続けていたかった。
飲み過ぎの老医師をオレリアが介抱するために行ってしまうと、私は会場の隅にいるアンヌとヨハンの所に行った。
二人は、ずっと不安そうな瞳で私を見ていたから、気になっていた。
「急にこんなことになって、驚いたと思うけど……私もなのよ」
「ソフィさま……」
「その、おめでとうございます」
二人はおずおずと祝いの言葉を述べた。
「あなたたちのことは、悪いようにはしないわ。このまま、私の側に居て欲しいと思っているし、これから先のことで、二人になにか望みがあるのなら、遠慮なく言ってね」
「実はぼく、ベックと一緒に冒険者の仕事をしたいんです」
「ええっ、冒険者に? それでベックは何て言っているの?」
私は人々に囲まれているベックをチラリと見ながら、ヨハンに確認する。
確か未成年者は、保護者と同伴じゃないと
「承知してくれました」
「そうなの……」
ヨハンのこれからの人生は、彼のものだ。まだ若いのだから、いろんな経験をするのもいいかもしれない。
「わかったわ。でも冒険者と言っても、当分見習いよね? 私の従僕をしながら、ベックと依頼も受けたらいいわ」
「えっ? いいんですか?!」
「もちろんよ。独り立ちできるまでは、出来るだけ協力する。ただし、むちゃは絶対ダメよ。冒険者が無理と分かったら、潔く辞めること」
「はい! ありがとうございます」
次に私は、アンヌの顔を見た。
「アンヌは?」
「私は、このままソフィさまの側に置いてください」
「アンヌが居てくれるのは、とても嬉しいわ」
私は、アンヌの手を握って微笑んだ。
楽団の演奏は途切れることなく続いている。
大広間の中央でダンスを楽しんでいるのは、主に騎士と提供者たちだ。
時折、騎士と提供者の娘が二人して、大広間からテラスへと移動しているものたちがいる。
テラスには大きな鉢植えやベンチ、小さな丸テーブルなども置かれ、階段から庭にも出れるようになっている。
恋人たちが愛をささやき合うには、うってつけの場所に見えた。
その中にルイーズの姿はなく、壁際に立っていた彼女は、意を決したようにつかつかと私の側に来た。
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