追加シナリオ 魔法使いの助手(4)
予想に反して、厩に続く道は妙に静かだった。松明の火はユルヴィが閉じ込められていた塔の辺りに集まっているようだ。まだ、その辺りを探し回っているのかもしれない。辺りの気配を探りながら、三人はひたすら先を急いだ。
「…待て。その先、魔石を持ってる奴が隠れてる」
ロードは、闇の中に目を凝らした。行く手に、城壁に面して立つ小屋が見えている。獣の匂いもする。厩は、おそらくあの小屋だろう。
「迂回路はありません。正面突破するしかないですね」
「ここまで見つからずに来たのに…」
ヒルデは溜息をついて、ユルヴィのほうを見た。ユルヴィも小さく頷く。
「一気に走り抜けよう。ヒルデ、追っ手は私たちが食い止めるから、その間に馬に馬具を頼む」
「分かったわ。」
「じゃ、合図で行くぞ。いち…にの…!」
三人は、同時に駆け出した。と同時に、待ち構えていたらしい使用人たちが茂みの中からいっせいに飛び出してくる。くるくると輪になった縄を回したかと思うと、その縄がまるで生き物のように二人めがけて襲い掛かってくる。
「おっと」
魔石の輝き――魔法使いだ。ロードは、縄を避けながら男の腕に見える石の輝きめがけてナイフを放った。命中だ。硬い金属音がして腕輪から魔石が転がり落ち、魔力を失った縄が地面に落ちる。男が驚いて声を上げるより早く、砂嵐が叩きつけて男たちの視界を覆い隠す。
ロードは、驚いて隣を見た。
「風の魔法…?」
ユルヴィが魔法を使うところは、初めて見た。
「今のうちです」
だが、騒ぎで居場所が完全にばれてしまった。背後から、重なるようにして幾つもの足音が近づいて来る。脇道からも、剣を手にした簡易な甲冑姿の家来たちがばらばらと駆け出してくる。厩に駆け込んだヒルデは、まだ中だろうか。
「お戻り下さい。手荒な真似はしたくないのです」
「それは出来ない。お前たちこそ、下がれ!」
素早く指輪を嵌めると、ユルヴィは小さく何か呟いて片手を宙に掲げた。途端に空気が歪み、風の刃が複数あらわれて剣を次々と折り飛ばしていく。
「くっ…」
「無駄に傷つけたくない。下がっていろ!」
ロードは内心、驚いていた。<王室付き>にいたのだから魔法の腕はそれなりだろうと思っていたが、予想していた以上だ。…そして、ユルヴィ自身が言っていた、"人を効率的に傷つけるための魔法"ということ、"戦争のための力"ということの意味を、今更のように理解する。この魔法は、戦場において人と戦うことを目的としたものであって、それ以外の何物でもない。
厩のほうで、ヒルデの声が上がった。
「準備できたわ!」
馬を引いて外に出てくる。だが、同時にロードの眼は、視界の端にこちらに向かって急速に近づいて来る、大きな魔石の輝きを捉えている。
(…まずい)
「ヴァーデが来るぞ」
「え?」
ヒルデから手綱を受け取ろうとしていたユルヴィが振り返る。「もうすぐそこだ。急がないと…」
言いかけたその瞬間だった。
夜の闇の中から、松明とは違った輝きが、ふわりと近づいて来た。それが目の前で数度、瞬いたと思った途端、体の力が抜けて膝をついていた。
「ロード!」
ユルヴィが駆け寄るより早く、ずしりと重たい足音がロードの側に立った。髪を掴んで首が持ち上げられる。目の前に、ヴァーデの恐ろしい顔があった。その胸元にある石から漏れるちらちらと輝く黄色い光は、あの時に見た催眠の魔法なのだ。この輝きは視界に入れるべきではなかった――、今更のように気が付いたが、もう遅い。
「母上に生かして尋問しろとは言われたが、やはり、早めに始末しておくべきだったな」
ヴァーデは、腰から剣を抜き、その切っ先をロードの喉に当てた。
「貴様のせいで、弟は変わってしまった。あれの正気を取り戻させるには、これしかない――」
「止めろ!」
どこか遠くから、ユルヴィとヒルデの悲鳴が聞こえてくる。殺されるんだな、とロードはぼんやりした頭で思った。頭の中が痺れたようになって、不思議と恐怖は感じない。松明の灯りに照らされた鈍い切っ先が、ぼやけて見える――
と、ふいに、体が何かに掴み挙げられる感覚があった。
目の前で地面が回転し、どこか硬い場所にどさっと投げ出さる。パチンという音が耳元で聞こえた瞬間、彼は意識を取り戻した。
「何者だ?!」
眼下でヴァーデが、腕を押さえながらこちらを見上げて叫んでいる。起き上がるのと同時に、隣で呆れたようなため息が聞こえた。
「ったく、どうしてお前はいつもいつも、ぼくの目の前で死にかける。狙ってるのか?」
「…レヴィ」
月明かりの下で、上着のポケットに手を突っ込んで立つその姿は、間違いなく、見慣れた"風の塔"の主だった。レヴィは、じっとヴァーデと睨みあっている。こんな風景は前にも見たな、とロードは思った。あれは…、そう、シュルテンで、魔女テセラと対峙した時だ。あの時と違うのは、口調に随分と余裕があることだ。
「黒髪の魔法使い…、そうか、貴様がリドワン様を襲った三人組の一人か」
「襲った? そりゃ誤解だな。だがまあ、あの時の三人の一人には違いないよ。」
「ならば貴様も、そのアステリアの男の仲間ということだな。」
「んーまあ、仲間っちゃ仲間なんだが…ぼくはノルデン人でもアステリア人でもないぜ?」
周囲を見回したロードは、今更のように、自分の今いる場所が城壁の上なのだと気が付いた。ヴァーデの持っていた剣は、男の周囲には見当たらない。レヴィがどこかへ吹っ飛ばしてしまったのだろうか。ばらばらと駆け寄ってきた家来たちはヴァーデを遠巻きにしているばかりで、近づいて来ようとはしない。どうしていいのか分からず右往左往しているのが、上から見るとはっきり分かった。
ふいにレヴィは、ヴァーデから視線を逸らして、足元の壁際でぽかんとしているユルヴィのほうに視線を投げた。
「何だか取り込み中に来ちまったみたいだが、そっちは無事か?」
「あ…はい…」
「何がどうなってんだか分からない。あの大男、お前の身内か何かか」
「…兄です」
俯きながら、ユルヴィは答える。「…すいません。」
レヴィはちょっと肩をすくめる。
「なるほど。世の中、説得して分かってくれる家族ばっかりじゃないってことか。」
その時、人ごみを掻き分けるようにして銀髪の老婦人が近づいて来るのが見えた。
「ヴァーデ、何をしているのです! 館に賊が侵入しているのですよ?!」
左右の使用人たちをしかりつけるようにしながら、最前列まで進み出てくる。ユルヴィの母、インゲルドだ。彼女はきっとした目で塀の上を見上げると、胸元に手をやって何か口を動かす。
「おっと」
途端に、レヴィが少し真面目な顔になった。
「…な」
インゲルドの顔色が変わった。
「わたくしの術を打ち消した…ですって? …そんな。ヴァーデ!」
「あー、無駄だと思うぜ」
レヴィが飄々とした声で言うのと同時に、さっきから一歩も動いていなかったヴァーデの巨体が前につんのめった。いつの間にか、額には脂汗が流れている。
「拘束の呪文…馬鹿な…なぜ解除できん…」
「残念ながら、拘束したわけじゃないんだよな。」レヴィは頭の後ろで指を組みながら、にやにやと笑っている。「お前の動きは何一つ縛っていない。なのに動けないのは何でかって? さーて。正体の分からない魔法は打ち消せないよなー。」
「おのれ…」
なるほど、さっき見詰め合っていた一瞬で、レヴィはヴァーデの魔法を押し切って逆に相手を術にかけていたのだ。「上級な魔法使いの戦いは術の打ち消しあいになる」「たとえ何もしていないように見えても戦っている」とは、かつてハルがロードに言ったことだ。
「この私が…、国を守るべき、騎士であるこの私が、こんな得体の知れない魔法使いに…!」
呻くように行ったヴァーデを見下ろしながら、レヴィは、肩をすくめた。
「それがどうした。ぼくの仕事は、この世界を守ることだ。」
「な、」
ヴァーデの眼が大きく見開かれるのを無視して、レヴィは、既に視線を再び足元に向けていた。
「ユルヴィ!」
「は、はいっ」
名を呼ばれた青年は、真顔で見上げる。
「今のお前じゃ、ぼくの助手を務めるには力不足だ。死ぬ気で頑張ってもらわないとモノにならないわけだが、――それでもまだ、来る気があるのか?」
「はい!」
彼は即座に叫んだ。
「そっか。…なら、しょうがないな」
ポケットから手を出すと、レヴィはふわりと手を振った。その瞬間、頭がくらっとして世界が反転する感覚がある。何度も体験した感覚。
空間転移だ。
気が付いた時、目の前には、白み始めた空の下に広がる静かな湖があった。
「え、あ…あれ?」
隣でユルヴィがあたふたと周りを見回していた。馬二頭も同じように、戸惑ったように嘶いている。
「ここは、ロスワイル?」
「だな。」
朝の冷たく張り詰めた空気が、足元を流れていく。昼間は観光客でごった返している丘の上も、夜明け前の早い時間にはまだ誰も居ない。
「そういえば、どうしておれたちの居場所が?」
「ハルに探して貰ったんだよ。お前たちが、あんまりにも戻ってこないからさあ。で、何やら大変なことになってるらしいってハルがパニクってたんで、仕方なく迎えに来たってわけ」
「…そっか。悪かったよ」
「まったくだ。」
そう言って、レヴィはじろりとロードを睨んだ。「お前に何かあるとハルが色々メンドクサイことになるんだからな、毎回毎回、妙なシチュエーションで死に掛けるのやめろよ。こっちだって色々仕事があるんだぞ。」
むっとして、ロードも言い返す。
「今回は仕方ないだろ。だいたい、家族を説得して来いってユルヴィに言ったのはそっちじゃないか」
「ぼくのせいだっていうのか? こいつの家が城で、私兵団がいたり家族がおっそろしい魔法使いだったりするなんて知らなかったんだから、仕方ないだろ」
じっと視線を合わせて睨みあった数秒後、二人はどちらからともなく笑い出す。それを断ち切ったのは、二人の視界に入った少女の姿だった。ユルヴィの後ろに立って、ぽかんとした顔でこちらを見つめている。
「あ」
「あー…」
レヴィは頭をかいた。「やべ、座標設定に失敗した。余計なもんまで連れて来ちまった」
「余計とはどういう意味ですか」
ヒルデは一瞬で不機嫌そうな顔になった。「その――兄とそのご友人を助けてくれたことには感謝します、が、あなたは一体?」
「あーうん。面倒だから説明は省略な。ユルヴィ、適当に誤魔化しといてくれ」
「適当に…って…。何なんですか、この生意気な子供!」
「ヒルデ、違うんだ、この方はその…」
大慌てでヒルデを嗜めながら、ユルヴィは深刻な顔で振り返った。
「レヴィさん…すいません、妹も連れていってはいけないでしょうか。このまま館に帰すことは出来ないんです」
「えー? 何が出来るんだよ、この子。イモの皮むきとか絶対出来ないじゃん」
「仰るとおりですが…」
ユルヴィの表情を見ていたレヴィは、やがて、小さく溜息をついた。
「まあ、さっきの様子からして、お前ん家が大変なのは分かったよ…。仕方ないな、なんか出来そうな仕事見つけるか。」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げる兄と、そしらぬ顔をしているレヴィとを見比べて、ヒルデは首をかしげている。
「あの、一体?」
「”世界のはじまりの物語”だよ。」
代わりに、ロードが答えた。「きっと、最初は信じられないと思うけどね。…”むかし、むかし”の話は、終わらずに今も続いてるってことさ。」
東の山脈を越えた太陽の光が湖面を照らし出し、世界が夜明けの色に染まっていく。水面に反射した光が朝靄の中で輝きながら、丘の上にも届こうとしていた。
その数日後、ロードは、隣町に出かけた帰り道にいた。
北の地に比べ、東の海沿いの春は早い。若草に覆われた村の周辺は既に春の花で一杯で、森の新緑は生き生きと輝いて見える。何もなくても、なんとなく気分が浮き立つような季節だ。そのせいか、今日は仕事の手を休めて家の外に出ている村人が多い。
村の入り口で回っている水車を横目に広場を通り過ぎようとしたとき、立ち話をしていた男が目ざとく彼を見つけて手を挙げた。
「おうい、ロード! お前ん家に客が来てるぞ」
「はい?」
「お前も隅におけねぇなあ、ははは」
男たちは笑いながら、何やら遠くから茶化している。わけも分からず首をかしげながら、ロードは広場を通り過ぎて行く。また、レヴィか誰かが勝手に家を使っているのだろうか。オリーブの木の植えられた道を登ってゆくと、丘の上に建つ自宅のクリーム色の壁が見えてきた。その前で、誰かがうろうろしている。見覚えの無い後姿だ。一体――
「あら」
その人物が、こちらに気づいて振り返った。顔を見ても数秒は誰なのか思い出せなかった。「ごきげんよう。今、お帰り?」
「………あ」
ようやく思い出したのは、その声と口調からだった。そうだ。彼女は――
「ユルヴィの妹の…」
「ヒルデ・ド・シャールです。ひどい、もう忘れてたんですか。」
「あ、いや…あんまりにも格好が違うから… その」
慌てて言い訳しながら、ロードはそれとなく、少女の格好を一通り確かめた。あの時は確かドレス姿でいかにもお嬢様だったが、今は…随分ボーイッシュな、駆け出し冒険者のような格好をしている。それに、腰に下げた剣。それがただの飾りでないことは、あの夜に起きた出来事で知っている。
「なんで、あんたがここにいる」
「お役目を言いつかったんです。」
と、ヒルデは首を傾げた。それと一緒に、リボンで一つにまとめた長い髪が揺れる。「あなたの"護衛"をしろと。」
「はぁ?」
「"何かと厄介ごとに首を突っ込んでは死にかけるので、危なっかしくて見ていられない"だそうです。」
「誰が言ったんだ。レヴィ?」
「ええ」
「……。」
ロードは額に手を当てた。ユルヴィと一緒に"風の塔"へ飛んだ後は、すぐに別れてここへ戻ってきたから、その後のことは何も知らないが、おおよその見当はつく。
(…あいつめ、厄介払いしやがったな)
どうせ、塔では彼女にやらせられる仕事が見つけられなかったのだ。或いは、こまごまとした説明が面倒臭かったか。
そんな彼の内心には気づかず、ヒルデは目を輝かせて興奮したように語り続けている。
「でもびっくりです。兄さんが"風の賢者"様の助手をやってたなんて。あなたのお側にいれば、他の"賢者"様にも会えるんですよね? 楽しみ!」
「あーまぁ、一人はすぐ会いにいけるけどさ…」
「本当ですか? わたし、初めて見るものばかりで――なんだかわくわくしますね! あ、ちなみにこの木って何でしょう?」
「はあ…」
溜息をつきながら、ロードは家の玄関を開けた。
「とりあえず中入って…」
「お邪魔します!」
こうして、物語は続いていく。
人と人の繋がりが生まれ、交差しあい、変化しながら、…流れてゆく時の中、彼は目の前で起きるそれらを眺めている。
季節が巡る時、また次の物語が始まる。
魔法使いの助手/了.
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