追加シナリオ 魔女の棲む森(1)
深い緑の森の入り口にひっそりと営まれている村、そこはかつて一度訪れた見覚えのある場所だった。
あの時は夏だというのに異常な寒波が押し寄せて、村人は誰も見かけなかったが、今日は家の外に人がいる。ただし、あれから半年が過ぎて、今はごく普通の冬だ。見慣れない旅人の姿に、白い息を吐きながら馬にブラシをかけていた老人が顔を上げる。
「…あんた、どこへ行きなさる。ここから先は道はない。」
「森を通り抜けるだけです。」
「危ないぞ」
と、男は声を低くする。「あそこは魔女の森だ」
「知ってますよ」
ロードは、同じように白い息を吐きながら答えた。「魔女には気をつけますよ」
「ああ、おい――」
説明するのも面倒だ。悪いとは思ったが、ロードは何も答えずに村人の脇を通り過ぎた。不審と警戒。噂通り、シルヴェスタの森は近隣の住人から恐れられている。
"魔女の森"。
その深い森には何百年も生きている恐ろしい魔女が住んでいて、迂闊に踏み込むと二度と出てこられない。
西の地方を訪れてから、そんな噂を何度も聞かされた。そんな話をするのは、大抵は昼間から酒場にたむろっているような連中だった。そして、決まって訳ありげな顔で「だが」と続ける。「森の奥には、魔女が守っているすごいお宝があるらしいぜ」と。
(…ま、噂はだいたい本当なんだけどな)
確かにシルヴェスタには魔女がいて、この世界に二つとないものを守っている。だが「魔女」も「宝」も、あの酒場の連中が想像しているものとは全く違う。
左右から圧し掛かるような威圧感を持つ巨樹が守る細い道に踏み込むと、靴底に柔らかい落ち葉の感触が伝わってくる。人の歩いた形跡はほとんどない、苔が一筋だけ剥がれた獣道のような細い踏み跡は、ともすれば見失ってしまいそうになる。一度通ったことがあるのでなければ、迷ってしまいそうだ。
しばらく歩いていると、微かな水音が聞こえてきた。行く手に岩の間を流れる小川がある。どうやら道は合っていたようだ。
ほっとした時、突然、足元の落ち葉が勢い良く跳ね上がった。
「うわっ、と」
咄嗟に後ろへ大きく跳んでかわす。見れば足元に、落ち葉に隠されていたらしいロープがぴんと張られている。何事かと見つめていたとき、今度は頭上から網が降ってくる。網と言っても上半身を辛うじて覆うくらいの大きさで、しかも、すっぽり包み込むにはやや狙いが外れて、顔の前にぺらりと垂れる。
「…何だ、これ」
「動くなー!」
声がしたかと思うと、木陰から子供が二人、姿を現した。顔を隠しているつもりなのか、目の部分だけ切り抜いた麻袋のようなものを被っている。そして手には、木の枝を削って組み合わせた…、たぶん剣のつもりだと思われるシロモノを健気に構えている。
「帰れ、ここから先は魔女の森だぞ」
「だぞー」
「…は?」
中途半端に顔にかかった網を取ろうと片手を頭のほうへやったとたん、背の高いほうの子供が必死で叫ぶ。
「う、動くな!」
「いや動かないと帰れないだろ」
「あっ… えっと…」
「どっち?」
背の低いほうが振り返る。
「う、うご…手を挙げろ!」
「はいはい」
おかしなことになったな、と内心思いながら、ロードは大人しく両手を挙げた。子供相手にムキになるほどのこともない。「…で、お前たちフィオの知り合い?」
「?! お前、魔女様の名前、しってんのか」
「ってことは、少なくともフィオも、お前たちのことは知ってるわけだな。」
ロードは、ちらりと森の奥に眼をやった。確か、小屋は小川のすぐ向こうだったはずだ。そのあたりに、青白い光がちらついているのも見える。
「直接聞いたほうが早そうだ」
網をひょいと外して、川に突き出した岩の上を飛び渡る。
「あっこら! 待てー」
子供たちの声が追いかけてくるが、歩幅の差だ。やがて行く手に、見覚えのある広場と、丸木で作った小屋が見えてきた。小屋の前の畑に、見覚えのある後姿がある。
「フィオ」
声をかけると、籠を抱えて何か摘んでいた少女が、ぱっと顔を上げた。
「ロード?! なんでここにいるの」
「こっちのほうに来る仕事があったら、ついでに足を伸ばしてみたんだ。元気そうだな」
「もちもち! びっくりしたー、遠かったでしょ」
「まあね。けど、途中まで船だったからな」
話していると、追いついてきた子供たちが足を止め、なにやらもじもじした様子で離れたところから様子を伺っている。ロードは、ちらりと視線をそちらに向けた。
「…で、あいつらは?」
「あーうん、近所の村の子供…。なんか懐かれちゃって、何度言っても来ちゃうのよねぇ。何かされた?」
「まあ罠にかけられたくらい」
「ごめんなさいっ!」
子供たちは、被っていた麻袋を脱ぎ捨てて頭を下げた。というより、頭を下げた勢いで袋が吹っ飛んで落ちた。
フィオは二人の前に立って、それぞれ一発ずつ軽くげんこつを入れる。
「もー、あんたたち、見境なく人を襲っちゃダメって言ってるでしょ。そんな子たちに教える魔法なんてありません」
「だって、だって。悪い奴だとばっかり…武器持ってるし」
「悪い奴?」
「最近、森に入ってくる盗掘者が多くて。…丁度いいわ、あとでその話する。とりあえず…」
きっと子供たちのほうを睨みつけて、フィオは威厳たっぷりに言い放った。
「あんたたちは、罰としてイモ洗いと畑の草抜きよ! いいわね」
「ふええ…」
なんだか楽しそうだな、とロードは思った。の中でたった一人で暮らしていて、寂しくないのかと心配していたが、そうでもなかったようだ。
「あの子たちはヨハンとカルル。お兄ちゃんのほうがヨハンで、弟のほうがカルルね。村で酪農してる一家の子よ」
ハーブティーを運びながら、フィオはそう言った。小屋の中の内装は、前回来た時とほとんど変わっていない。懐かしい感じだ。
「いつから森に?」
「あの後すぐかなー、ほら、あたし半人前だから、良くハルさんとこに魔法教えてもらいに行ってたでしょ? その不在の間に森に入り込んで、たまたまココを見つけちゃったらしいのよねえ」
「…へえ」
「今までは多分、お母様がそういうの追い返してたんだと思うんだけど。」
と、彼女は苦笑する。先代の"森の魔女"テセラに代わって、今のこの森の主は彼女自身だ。
「で、さっきの悪者っていうのは?」
「こないだレヴィが来たから、レヴィにもちょっと相談したんだけど…。ほら、水晶の谷。覚えてるでしょ? 魔石が一杯あったじゃない」
「ああ」
「それを狙ってきてるのよ。盗掘者っていうの? 良い値段で売れるらしくって。」
ティーカップを取り上げながら、フィオは小さく溜息をつく。
「見つけるたびに脅してはいるんだけど、殺すわけにもいかなくてね。一度はレヴィにまとめてどっか飛ばしてもらったんたけど、毎回レヴィにお願いするわけにもいかないでしょ。なんかこう、二度と手を出す気なくすようなヤバめの魔法でも覚えないとダメかも」
「フィオ、炎の魔法、使えるじゃないか」
「ダメよー。向こうも魔法使い連れてきてるんだもの。ちょっとした魔法なんて打ち返されちゃうし、かといって手加減ナシでやったら丸焦げでしょ」
「……。」
それは十分ヤバい魔法だろう、と内心思ったが、ロードは黙ってお茶をすすった。不思議な味のするお茶だ。レヴィもこれを飲んだのだとしたら、果たして気に入ったのかどうか、今度聞いてみよう。
「そういやハルが、フィオの魔法、だいぶ上達したって言ってたぞ」
「うん。前よりはね。でも全然、まだまだ。お母様には遠く及ばない」
「そりゃ向こうは四百年だからな。あと三百年は修行しないと」
「そうね」
ちらりと戸口のほうに目をやったフィオは、ティーカップを置くと、足音を忍ばせて立ち上がる。ドアにそろそろと近づくと、一気に内側に引っ張って開いた。ドアに張り付いていたらしい二人の少年が一緒に転がり込んでくる。
「こら、あんたたち! 誰がサボっていいって言ったの」
「ひゃ、ごめんなさいー」
転がるようにして走り去っていく。
「ったく。」
溜息をついて、ドアを閉めなおした。
「楽しそうじゃないか」
「まあね。魔法教えてくれって、しつこいのよ。でも、あたしまだ自分のことで手一杯だから。…」
そう言って、微かに遠い目をする。
「ロード、しばらくこっちにいられるの?」
「特に予定はないよ」
「丁度いいわ。じゃあ、手伝ってくれないかしら。あいつらをちょっぴり痛い目に合わせてやりたいの」
「分かった」
ティーカップを置いて、ロードは立ち上がった。「ところで、」それとなくドアの外の気配を伺い、誰も聞き耳をたてていないことを確かめながら尋ねる。「水晶の谷が盗掘者に狙われてるってことは、呪文、どこに隠したんだ?」
「木の上よ。ロードならすぐ見つけられるんじゃない?」
そう言って、フィオは意味ありげに笑った。
「探してみるよ。」
ドアを開けると、鳥たちのやかましい声が押し寄せてくる。冬は冬だが、以前来た時の異常な冬とは違って、森に活気がある。木々の緑の向こうからは明るい日差しが射して、長い複雑な影を落ち葉の上に描き出している。この森も、<影憑き>はほとんど居なくなっているようだ。畑の側で鼻をひくつかせていた兎が、ロードに気づいて大慌てで森の奥へと駆け込んでいく。微笑んで、ロードは歩き出した。"創世の呪文"の青白い特徴的な輝きは、確かに木立の上のほうに視える。
しばらく歩いていくと、やがて木立が途切れて、草原が現れた。真っ直ぐ正面には、壁のような太い幹がある。それを辿って視線を頭上に向けると、枝の間から、ちらちらと輝きが見えた。
「へえ、これは…」
思わず声を上げた。真っ直ぐに空に向かって伸びる大樹の上の方に呪文が隠されているのだ。登れなくはないかもしれないが、一苦労だろう。最善ではないかもしれないが、少なくとも、森に迷い込んだ誰かが偶然見つけられる場所ではなさそうだ。
背後で小さな足音がして、誰かが背中をひっぱる。
「なーなー、兄ちゃん」
「ん?」
振り返ると、幼い兄弟、ヨハンとカルルがじっと彼を見上げている。背中を引っ張ったのは、ヨハンのほうだ。
「あんたも魔法使いなのか? ていうか、魔女様の仲間なの?」
「ああ、まあ… 仲間だけど、魔法使いとはちょっと違うかも」
「そのナイフ何に使うの?」
カルルが舌たらずな声で言って、ロードが腰ベルトに提げているナイフを指差す。
「これ? これは、こうやって」
ナイフを一本引き抜くと、彼は、それを無造作に宙に放り投げる。と、軌道がくるりと変わって、直ぐ側の細い木の幹に真っ直ぐに突き立った。
「うわああ! すごーい」
「…魔法使いだ」
少年たちが歓声を上げる。
「いや、そんな大したものじゃ…」
「へー、ロード、そういうのも出来るようになったんだ」
少年たちの後からフィオもやって来る。ナイフを手元に引き戻しながら、彼はちょっと肩をすくめる。
「ハルにアドバイス貰ってね。最近なんとか使いこなせるようになってきたとこ」
「凄いじゃない。」
笑ったフィオの胸元には、さっきまで無かった小さな花の形のブローチがある。
「…それは?」
「ああ、これ? 見てて」
フィオがブローチに触れると、それは手の中でするりと伸びて、細い杖の形に変わった。子供たちが声を上げる。
「もしかして、それがハルの作ってたやつ?」
「知ってたんだ。そう、こないだレヴィが来た時に渡してくれたの。なかなかいいでしょ」
嬉しそうに、杖をくるくると回してみせる。 「…ま、特に何の効果もなんだけどね。」
「そうらしいな。」
「でも、これが結構使えるんだー。あとで見せるわね、ふふふ」
意味深に笑うと、フィオは、左右の子供たちを見た。
「というわけで、あたしこれからロードと一緒に出かける用事があるの。あんたたちはもう帰りなさい」
「えー」
「魔法使うところ見たいよ」
「だめ。言うこと聞かないと、あんたたち魔法で蛙に変えちゃうからね」
「…それはやだ」
「なら今日はもう帰りなさい。じゃないと二度と森に入れないよ」
しゅんとして振り返り、振り返り去っていく少年たちを見送りながら、ロードは苦笑している。
「何よ」
「いや。別に。…で、これから水晶の谷へ?」
「ええ。とりあえず様子見ね。そっちは準備いい?」
「問題ない」
「じゃ、行きましょ」
フィオが先に立って歩き出した。以前来た時には森の焼け跡だった場所は低い下草に覆われ、木々が芽生え始めている。
「森、ずいぶん元に戻ったんだな」
「でしょ? 頑張ったんだからねー。」
「活性化、…だっけ。フィオの魔法は」
「うん。だから、いきなり植物を育てることは出来ないのよ。あくまで成長を早めるだけ。今は冬だから元々あんまり成長しない季節だし、ちょっとお休みね。」
草を掻き分けながら言う。
「苦労して戻してるのに、それなのにあいつらときたら…!」
行く手で、微かな地響きの音がした。フィオが顔を上げるのと同時に、結ったふわふわした癖っ毛が兎の耳のようにぴんと跳ね上がる。
「あいつら!」
駆け出す少女の後を、ロードも慌てて追いかけた。行く手には、表面の大きく崩れた崖が見えている。
――半年前、先代の"森の賢者"と戦った場所。
そして、世界が一度破壊され、再生された場所、だ。
もっとも、盗掘者たちはそんなことを知るよしもないのだが。
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