第31話 そして、それから
あれから、四ヶ月が過ぎた。
季節は秋の終わり。そろそろ、村を挙げてのオリーブの収穫の季節が始まる。外へ出稼ぎに出ていたり、他所の町に嫁いでいった村人たちも、この季節だけは帰郷して、村で収穫を手伝うのだ。フィブレ村に帰ってきて以来、何だかんだと依頼を受けては近隣の村や町を忙しく往復していたロードも、しばらくは村にいるつもりだった。
今年も手伝いに来るのかとニコロに声をかけるため、ポルテの港町を訪れてみると、ニコロは留守で、祖父のアゴスティニ曰く、しばらく戻っていないという。
「釣りの穴場?」
「そうなんじゃ、わしも知らんところだとか言って場所も教えてくれんわい。何処に行ってるのかは知らんが、よっぽど気に入ったのかねぇ」
「…はあ」
ニコロの船の姿は、桟橋に残されたままだった。一人で操船するのは厳しいためか、乗り捨てていったものらしい。だからなのか、アゴスティニは行き先は近場の浜か入り江と決め込んで、特に心配もしていないようだった。
港に立って、きらめく海を眺める。
<影憑き>の脅威が去った今、港には以前のように頻繁に漁船が出入りし、大型の定期船も元通り、行き来するようになっていた。
<王立>による徹底した<影憑き>狩りが始まったのは、事件の後、間もなくしてのことだった。
白ローブの魔法使いたちにも手に負えないような大物が相手の時には、ロードも何度か呼び出されて手伝ったことがある。実際はレヴィやフィオの手も大いに借りたのだが、二人がそれを内緒にしておいて欲しいと言ったせいで、必然的に手柄はロード一人のものになってしまい、いつのまにか彼は<影憑き>狩りのスペシャリストということにされてしまった。そのせいもあってか、スウェンやシャロットからは何度も<王立>への勧誘を受けているが、今のところ、なんとか断り続けている。ただし、最後にジャスティンでシャロットに会った二週間前には、ずいぶん長いことカフェに引き止められたが。
――それは国境近くに出た大イノシシの<影憑き>を退治して戻った、翌日のことだった。
「えーー、もう帰っちゃうのお? ざーんねーんー」
真っ白な柱に囲まれた、ホールのようなカフェの中にシャロットの声が響き渡る。誰も振り返らないのは、もう慣れっこになっているからだろう。
場所は、ジャスティンの"王立魔道研究院"の一階にある、職員専用だというカフェ――そこでロードは、シャロットの奢りだという三段トレイのティーセットを前にしていた。一人では三段セットは注文出来ないからと誘われたのだが、それは半ば口実だとロードにも分かっていた。もっとも、そこで報酬を渡すと言われては、付き合わざるを得なかったのだが。
「もうすぐ村でオリーブの収穫なんですよ。準備もあるし、その期間は大変ですから」
「そーいう仕事もするのね。つまーんないなー。最近フィオちゃんも来てくれないしぃ」
「…あいつは故郷で忙しいみたいですよ。」
「そーなんだぁ~」
相変わらずの派手なリボンで結んだ髪をふわふわと揺らしながら、シャロットはトレイの上から丸い小麦粉菓子をつまんで口に放りこむ。
「そういえば、入り口の兵士いなくなりましたね」
「あーあれね。戦時下の緊急対応みたいなものだし。っていうかねー、もうビックリよ。ノルデンの軍があっさり引くなんて。聞いたー? あの噂」
「噂?」
「主席魔法使いが進軍に反対してたのに、将軍が押し切って軍を出そうとしたら、なんと軍の一部隊が丸ごと違う町に飛ばされちゃったんだって! それもフューレンからシュルテンよ、どのくらい離れてると思う? そんなことできる魔法使いがいるなんて、信じられないでっしょー」
「……。」
「噂じゃあ、"賢者"がやったなんて話もあるんだけど、まさかね。"三賢者"なんて伝説だし、わざわざアステリアの味方なんてしてくれないわよね~」
「そりゃそうですよ」
ロードは、誤魔化すように一気にお茶を飲み込んだ。「あのあと、ほら。色々あったから、それでじゃないですか。」
「そうよねほんと。色々あったものね…」
シャロットも、しみじみと同調しながらティーカップを傾けた。
"色々"は、本当に色々だった。
空が一面、闇に塗りつぶされるのを見た人がいれば、大地が突如割れて、奈落に吸い込まれそうになった人もいる。海が干上がるのを見た人や、山が消えるのを見た人もいれば、空と大地が逆さまに浮かぶのを見た人もいる。ただそれはほんの一瞬のことで、気が付いたときには、世界は元通りに戻って、嘘のように晴れ渡る空の下にみんな倒れていたのだった。
「まるで、世界中が魔法にかけられてしまったようだった」
と、スウェンは言っていた。何が起きたのかは誰にも分からなかった。――当事者の一人だったロードには分かっていたが。
「"人間、そは光の子の名"」
ぎょっとして、ロードは思わず手を止めた。シャロットは、自分の考えに夢中なようで、そんなロードの狼狽に気づいた様子はない。
「確かにそう聞こえたのねぇー。あれはなんだったのかしら…あの言葉と一緒に光が生まれて…それが太陽になった…」
フォークを振りながら上の空だ。
「世界の終わりと始まりを見た気分。伝説なんて信じちゃいなかったけど、もしかしたら…って、最近ちょっとだけ思うようになったの。ねー、ロード君はどう思う?」
「どうって。おれには、そういう難しいことは分かりませんよ。目の前にあることしか、理解できませんし」
「そう…かぁ~」
いつしか、トレイは空になっていた。残念そうな溜息とともにフォークを皿に置くと、シャロットは、観念したようにポケットから小さな包みを取り出した。
「それじゃ、そろそろおひらきね。はい、これ。今回の報酬。院長からのおまけつき。」
「院長?」
「スウェンさん。」
あっけにとられて、ロードは思わず口を開きかけた。シャロットが目をしばたかせる。
「え、あら。何その顔。やだーもしかして知らなかったんだっけ?」
「いや知りませんよ。院長って偉い人じゃないですか」
「そうよ~、うちの最高責任者。」
「……。」
ロードは額に手を当てた。いつか会議室で見た、あの議長席のような座席位置は、そういうことだったのか。
「というわけでぇ、お金に困ったらーまた来てね、ロード君! いつでも歓迎しちゃうからっ」
「…はい…。」
玄関前の大階段を降りて、通りから真っ白な建物を振り返る。
あの事件の後、ノルデンとアステリアの間で戦争になりそうだというような、不穏な噂は聞いていない。ただ、レヴィが考えていたように理由は何でも良かったのなら、いずれまた衝突する日がくるかもしれない。
その時は、その時だ、とロードは思った。
それが人の棲む世界なのだから。
ポルテの町から戻ってきたロードは、家のドアを開けてすぐ、中で人の気配がすることに気づいた。鍵は閉まったままだった。ということは、別の入り口から入ってきたということだ。
居間を覗き込むと、予想通り、ソファを占拠してのんびり本を広げているレヴィの姿がある。このところ、ちょくちょくやってきては勝手に居間でくつろいでいるのだ。
「よ、お帰り」
「…お前、また勝手に。」
ロードは小さく溜息をつきながら、上着を脱いで椅子の背にかけた。
「そのソファ、そんなに気に入ったんならやるぞ」
「いいよ。ロードん家で使うからいいんだし」
「…何だそれ。サボってていいのか。こんなとこで」
「いつものハル待ちだよ。あと、部屋の掃除するからってリスティに追い出された。そうそう、それと――今、ユルヴィが塔に住んでるぜ。」
お茶でもいれようと台所へ行きかけていたロードの足が止まる。
「…ユルヴィが? 何で。」
「フューレンの砦の一件でぼくらとの関係を疑われて問い詰められた挙句、めんどくさいことになりそうだったんで仕事辞めて逃げ出したらしい」
本のページをめくりながら、レヴィはくすくすと笑う。
「ちょっと前に、森で遭難しかかってるの見つけたんだ。で、そのまま塔に住み着いてる。まぁリスティは人手が増えて楽だって喜んでるからいいかなって」
ロードは、思わず口元に手をやった。あの時、ユルヴィと知り合いであることをバラしてしまったのは、確かに彼だった。
「そりゃ、悪いことしたな…」
「そうだぞ。お前があの時、"青い森"とか何とか余計なこと口走ったせいで、うちの場所がバレたんだからな」
「……。」
「ま、うちでの暮らしは気に入ってるみたいだし、案外悪くないのかもな。今度会いに来いよ、大張り切りで塔の中走り回ってるからさ。」
言うだけ言って、再び手元の本に視線を戻すと、あとはもう話を聞くつもりもないようだった。言っても無駄なことは分かっているし、今更すぎる。諦めて、ロードは廊下に出た。
そのとたん、ふわりと風が吹いてくる。
廊下の突き当たりの扉が半開きで固定されている。その先は、どこか別の場所に通じているようだ。
「あいつまた、人ん家に勝手に出入り口作って。今度は一体どこに繋げたんだよ…」
ぶつぶつ言いながらドアを押し開くと、薄暗い中から、ざあっと潮風が押し寄せてきた。ついさっきまで居た、ポルテの町に良く似た香りがする。少し先に、まばゆい日差しに照らされた、白い砂浜が見えていた。
――海だ。
そこは、崖をくりぬいた先の通路の奥にハメ殺しの扉をとりつけた、移動のためだけの通路だった。通路を出ると、後ろにはマルセリョートの入り江の崖が聳え立っている。眩しい日差しに手をかざしながら砂浜の上を歩いていくと、向こうのほうで、フィオが真剣な顔でハルと何かを話し合っているのが見えた。
「あ。ロード!」
こちらを振り返って、少女が大きく手を振る。
「やあ。」
フィオの隣にいたハルが微笑みかける。あれから何度か話す機会はあったが、いまだにまだ少し気まずさがある。照れもあって、ロードは、少しぶっきらぼうな口調で言った。
「…今、レヴィがうちに来てるんだよ。勝手に扉が繋がれてたもんだから、どこに通じてるのかと思って。」
「ああ、今ちょうど、修正の必要そうな歪みを探していたところだからね。あとは、フィオの魔法の練習。」
「空を飛ぶ練習、海でやれば墜落しても痛くないでしょ?」
フィオは、力いっぱいそう言って胸を張る。どうやら本気で、空を飛ぶ魔法を覚えるつもりらしい。だが彼女が砂まみれでびしょぬれなのは、多分、そういうことなのだろう。
「…シンさんにも挨拶してくる」
「あ、ロード」
去りかけたロードを、ハルが呼び止める。
「今ね、ロードのお友達っていう子が来ているよ」
「友達?」
「うん。最近よく来る子だね。多分、桟橋で釣りをしてるんじゃないかな」
引き潮で干上がった砂浜を渡って行くと、どこかから聞き覚えのある鼻歌が聞こえてくる。船乗りの歌だ。見上げると、共有の大きなボートが繋がれた桟橋の先に腰掛けて釣り糸を垂れている、日焼けした赤毛の若者の後姿がある。
まさか、と思いながら、ロードは、波打ち際に作られた梯子を上って桟橋によじ登った。
「…ニコロ?」
「うわっ」
驚いて振り返ったのは、間違いなくポルテの港町のニコロだ。
「ロード?! マジかよ、どっから出てきた」
「それはこっちの台詞だ。なんでお前がここにいるんだよ」
「いやー…いっぺんお前らをこの辺に送って来たときにさあ、めちゃくちゃ釣れたのが忘れられなくて、通ってるうちに、気がついたらここの人たちと仲良くなっちゃってさー」
言いながら、彼は照れくさそうに頭をかく。ロードは呆れるしかなかった。
「アゴスティニさんが知ったら、どんな顔するだろうな」
「いやーまあ、そろそろ一回、うちに帰ろうかなーとは思ってたんだ。」
屈託なく笑い、ニコロは棹のほうに視線を戻した。
「そういや、お前の親父さんってここに住んでたんだな? 見た目めちゃくちゃ若いじゃん。人探しなんて誤魔化してさ、そういうことなら早く言ってくれれば良かっ…」
去りかけていたロードは足を止め、大急ぎでニコロの肩を掴む。
「おい。あの人に余計なこと言ってないだろうな」
「どうしたんだよ急に。余計なことって?」
ニコロは、きょとんとしている。はあ、と溜息をついてロードは小さく首を振った。
「…何でもないよ」
おそらく、既に手遅れだ。諦めるしかない、
桟橋の先では、シンが魚とりの網を干している。
「おお、何だ、来てたのか」
「ええ。…あの、ニコロは、いつからここに?」
「二ヶ月くらい前かなあ。最近ほとんど住み着いてるな」
言いながら網を広げる。「お前の友達なんだってな。隣の家の娘が彼を気に入っている。漁の腕もいいし、このまま婿になって住めばいいのに」
「…はあ」
それはそれで、ニコロにとっては幸せな人生かもしれない、と思った。何しろここには、ニコロの大好きな釣りを一日中やっていられるような、美しい浅瀬の海と、のんびりとした時間がある。
ロードは、桟橋の端に立って、陸のほうを眺めた。ハルのような千里眼ではない彼の眼では、ポルテの町は勿論のこと、村の丘の上にある家も、ここからでは見えない。
けれど、――この眼は、普通の人々が見ることのない沢山のものを見てきた。そしてたぶんこれからも、見続けることになるのだろう。
彼は眼尻に指をやると、少し笑って、また歩き出した。
白い浜辺の向こうでは、手を振っているフィオと、ポケットに手をつっこんだレヴィとが、ロードの戻ってくるのを待っていた。
triad theōria - mains cenarioⅠ/了
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