第16話 逃走

 夜が明けて、明らかになった被害は甚大だった。町にいた<王宮付き>魔法使い二十名のうち死者二名、重傷四名。残りも多くが魔法による疲労で、しばらく動けそうも無いとう。街道の封鎖に当たっていた部隊が<影憑き>掃討を終えて次の日にも帰還するという知らせが届いたことだけが、唯一の救いだった。

 町は混乱し、怯えきっていた。街灯もランプも壊されてしまったため、急遽、松明や焚き火の準備に走る人々でおおわらわだ。

 ロードたちは、そんな中を逃げるようにして町を後にした。理由は簡単で、レヴィがそうしてほしいと言ったからだ。

 「なんだか、あたしたちのほうが悪者みたい。ユルヴィのお見舞いもしたかったのに。」

北へ向かう乗合馬車の窓から遠ざかるフューレンの城壁を見上げながら、フィオは名残惜しそうだ。

 「仕方ないだろ。色々聞かれると面倒だし」

 「そうそう。それに、あそこに長居してたらまた来るぜ、あの、男の姿してた影。」

 「…それは困る。」

 「だろ? だからさっさと逃げるが勝ちなんだよ。」

ロードの隣で、レヴィはのんびりと足を組んで、何処からか出したりんごを齧っている。どういうわけか、今回は旅の一行に加わるつもりらしい。

 朝一番の便に乗ったせいだろうか、他の乗客は誰も居ない。朝の眩しい光の中を、馬車は揺れながら走り続けている。

 「レヴィ。今更だけど、あいつらの目的は――」

 「ああ。ぼくを狙って追いかけてきてる」

あっさりと言って、食べ終えたリンゴの芯を窓からぽいと投げ捨てる。

 「ま、それで姿変えてみたり、地図にない道辿ってみたりと色々やってたんだが、どうにもしつっこくてさぁ」

 「ずっと飛んでいけばいいじゃないの。そっちが楽だし早いでしょ?」

と、フィオ。

 「それは前に試してる。西の森から東の海まで――でも、途中で追いつかれてあのザマだ。」

 「西の森…?」

少女が反応した。

 「それ、村の近くの谷にケガして落ちてた時か」

 「そ。鴉の姿だとほとんど魔法使えないしな。鴉じゃ小回り利かないし。せめてハイタカあたりなら、もうちょっとマシだったかも」

 「待ってよ。西の森って? うちに来たってこと?」

レヴィは、ちょっと目を伏せ、なぜか口ごもった。

 「――行ったよ。シルヴェスタ。」

 「いつ!」

 「半年前。まだ森が無事だったとき」

その言い方には何か含みがある、とロードは感じた。今回のレヴィは、何か言いたくないことを隠しているような気がした。そしてそれは、あの<影>たちの言ったこととも、おそらく無関係ではない。

 「つまり、"風の賢者"だけじゃなく、"森の賢者"の居場所も知ってたってことなんだな? …お前、一体何者なんだ。」

二人の視線が、じっと注がれている。レヴィは軽く頭をかくと、ちらりと視線を外に向けた。


 長い沈黙のあと、彼は静かに口を開いた。

 

「――十二年ほど前の話をしよう。"風の塔"には一人の老人と、その手足となる三羽の鳥がいた。ある時、老人は彼らを集めて告げた。海の賢者に何かが起きた、と。状況を知るため、老人は年長の知恵ある鳥たちを世界に向けて放った。――そして待った。何ヶ月も、何年も。けれど、鳥たちは一羽として戻ってはこなかった。<影憑き>が現れるようになったせいで、塔は閉ざされ、迂闊に外にも出られない。塔に残されていたのは、まだ羽根が生え揃ったばかりで長距離を跳んだこともない、若い鴉だけだった。」


一つ区切りを置いて、レヴィは、ちょっと肩をすくめた。


 「…じいさんは年寄りで、もう飛べない。だから、ぼくが行くしかなかった。逃げ回るしかない無様な旅だったけど――でもまあ、何が起きていたのかは、だいたい分かったよ。」


 「ってことは、お前、"風の賢者"の弟子だったのか?!」

ロードの隣で、フィオも目を丸くしている。

 「だから、すごい魔法使えるんだ」

 「あー、…そう期待されても応えられないぜ。まだ修行中なんだから」

 「いや、十分だろ。」

昨夜の戦いぶりは、間近で見ていたから分かる。重力を無視するように自在に飛び回り、光で<影>の動きも封じた。彼一人でも、あの二人組と戦うことは出来たのではないかと思った。むしろ今まで、そうしなかったことが不思議だ。

 「というわけだ。ぼくは塔に戻らなきゃならない。で、そこに同じ目的地で、しかもほっとくと定期的に死にかける面倒な奴を見つけた。」

 「…好きで死にかけてるわけじゃないけどな」

 「一緒に行ってくれるの?」

フィオは明るい声になった。「嬉しい、仲間は多いほうが楽しいもの。よろしくね、レヴィ!」

 「まあ、ぼくと一緒にいると確実に狙われるんだけどな…。」

 「今更だろ。お前が居ても居なくても、どうせ狙われるよ。」

客席の背もたれに体を預けながら、ロードは窓の外を見やった。発ってきたフューレンの町は既に丘の向こうに見えなくなっている。

 「…そういや、言われるままに乗ったけど、この馬車ってどこに向かってるんだっけ」

 「シュルテン。岩山の町さ」

ロードは、膝の上に地図を広げてその地名を探した。街道沿いには無い。目的地のある山はここから北西の方角なのに、向かっているのは北東だ。

 「逆方向じゃないか」

 「いいんだよ。真っ直ぐ向かったりしたら思うツボだ。それに、ちょっとしたアテがある。」

 「アテ?」

 「着いてからのお楽しみ、さ。」

そう言って、レヴィは小さく欠伸をして座席に身を埋めた。「さて。昨夜はほとんど眠れなかったし、一眠りするか…」

 会話はそれで途切れた。寝たふりなのかと最初は思っていたが、ほどなくして、本当に寝息が聞こえてきた。見れば、フィオも眠たそうだ。一晩中走り回って死にそうな思いまでしたのは確かだし、緊張が解けてきたとたん、代わりに疲労感が押し寄せてくる。いつしか、ロードも眠気に襲われて、うつらうつらしていた。

 浅い眠りの中で思い出していたのは、自宅の窓辺に揺れる、虹色の貝殻をつなげて作ったレイ。そして、その向こうに広がる青い空と、緑のオリーブ畑の向こうに遠くきらめいて見える海だった。




 途中、いくつもの宿場町と停車場を通り過ぎて、馬車は、目的地のシュルテンに着いた。

 "岩山の町"の名に相応しく、鍋をひっくり返したような岩山の上に張り付くようにして作られた町だ。町に出入りする馬車や人は、山をぐるりと巻く坂道を上り下りしている。広場の真ん中には大きな井戸が掘られていて、生活のための用水として使われていた。しかもそこかしこに、レヴィが変身するのとまったく同じ、胸の辺りだけが白い大きな鴉が飛びまわっていて、北へ来たということを実感させてくれる。

 「ここも変わった町だなあ。よくこんなところに町を作ろうと思ったもんだ」

 「ノルデンは山地が多いから。それに、歴史が長いぶん戦争も多かったんだ。」

訳知り顔で言いながら、レヴィは一人ですたすたと先に歩いていく。

 「ねえ待ってよ、どこいくの」

 「置いてったりしないよ。ちょっと、そこの店に行くだけ」

停車場の前にあるキオスクに向かっていく。ロードとフィオは顔を見合わせた。道中ずっとそうだったが、レヴィはどこかに着くたびにすぐに食料を買いに行ってしまう。そして道中でほとんど食べきってしまう。残りがどうなっているのかは分からない。ひっきりなしに食べ物が突っ込まれる上着のポケットの中身と、それを消費し続けている胃袋とは、この旅の中で気づいたささやかながら奥深い興味だった。

 視界の端に、レヴィとは違う黒いものが通り過ぎる。

 ちらりとそちらを見ると、もう見慣れた、黒ローブの二人組が通りの向こうを通り過ぎていくところだった。<王室付き>の魔法使いたちだ。街道から離れているというのに、この町にもいるのだ。

 「お待たせ。どうした?」

 「いや、…」

戻ってきたレヴィは、紙袋の中からリンゴを掴みだしながら、ロードの向けた視線の先を追う。

 「ああ、この町は連中の拠点のひとつだから。王家の別荘地なんだよ、ここ。ていうか大昔の首都だな」

 「そうなの? てことは、魔法使いが一杯いるの?」

 「出払っちまってるんじゃなきゃね。んで、宿とるならこっちだな」

リンゴを齧りながら歩き出す。やっぱり食べるんだな、とロードは思った。袋の中身の残りは、あとでポケットに詰め込まれるのだろう。…多分。




 レヴィの話では、ノルデンの北の方にある主要な町は、ほとんど過去に回ったことがあるという。彼が"じいさん"と呼ぶ魔法の師匠、つまり"風の賢者"の命で、近辺の町から外の世界の情報を仕入れていたらしい。それは"飛ぶ"練習でもあり、世間を知るための修行のようなものでもあった。

 「何しろ、塔の周りには村も町もなんもないからな。ほとんどはお使い、時々は抜け出して…って感じで、まあ、この辺なんかもよく来てたよ」

通りの古本屋の前で足を止め、彼は、軒先に積まれている埃まみれの本を取り上げた。かつては金箔だったらしい表紙の文字は、剥げて茶色くなっている。通りの向かいには、かつて王城だったという建物が聳え立ち、警備の兵士が門の前に立っている。レヴィは妙に余裕のある行動をしていて、追われる身だというのに急ぐ気配もない。ロードは、訝しく思った。

 「それはいいんだけどさ、…この町に来た目的は?」

 「ま、そうカリカリすんなって。ほれ」

埃まみれの古い本を、フィオの手にどさりと載せる。

 「なに、これ」

 「魔法書、中古だけどな。ここの古本屋は、意外といいのが出てるぜ。どれか合うのがあるかも。あと、あっちに道具屋もあるんで行ってみよう」

振り返って、レヴィはにやりと笑う。

 「心配すんなって。奴らの片方は無事に消したし、もう片方も手傷は負わせた、そうすぐには追っかけて来られないよ。それに"暈"を剥ぎ取ったから、もう一度張り直すまで、昼の世界では動けないはずさ。」

 「あの、うっすら膜みたいに視えてたやつだよな?」

 「さあ。ぼくには見えないから、どう見えるかは分からないが。」

歩き出すレヴィの隣で歩調を合わせながら、ロードは、二人組みを日傘のように守っていた薄い影を思い出していた。

 「<影>は光のあるところには出てこられない。本来はこの世界では無防備で、月明かりの下でさえ動けないようなシロモノだ。あの"暈"が無ければ、普通の<影憑き>と大差ない」

 「…そこまで分かっててたなら、何で戦わなかったんだ?」

 「無茶言うなよ。ぼくには、あいつらの急所は視えない。それに――」

言いかけて、ぴたりと足を止めた。「ここだ」

 目の前には、軒先までところ狭しとモノが積み上げられた汚い店がある。細い階段が地下へと続いている。

 「ここ、降りるの?」

入り口に張っている蜘蛛の巣を見上げて、フィオは不安そうだ。

 「だいじょうぶだいじょうぶ。魔法道具の店にしちゃ怪しくないほうだから。」

 「魔法道具の店?!」

 「むかし、よくじいさんの使いで仕入れに来てたんだ。」

ポケットに手を突っ込んだまま、レヴィは慣れた足取りで薄暗い階段を下りていく。二人は顔を見合わせ、おっかなびっくりと後を追った。




 階段を降り切った先、薄暗い店内は、外と同じくモノに溢れ、天井まである棚にびっしりと。よく分からない怪しげなものが詰め込まれている。埃っぽい匂いが充満していて、フィオは小さくクシャミをした。その音で、狭いカウンターの向こうにいた分厚い眼鏡の男が顔を上げ、じろりとこちらを睨む。魔法使いというよりは、鍛治屋の親父だ。

 「よう、店長。調子どうだい」

 「ん? あんた確か、"風車村"の」

レヴィは、ロードたちのほうを振り返って唇に指を当てて見せた。余計なことは言うな、という意味だ。

 「しばらく見なかったが、お師匠さんは元気かい」

 「ああ、相変わらず死にかけさ。」

なるほど、"風の賢者"のことは言わずに、どこか辺境の魔法使いの弟子と名乗っているのだなと察した。確かにそれは、嘘では無い。

 カウンターごしに男と話し込んでいるレヴィをよそに、フィオは、棚に並ぶ道具のほうに興味を引かれている。ロードも、ざっと店内を一瞥してみた。銀のランプ、水晶の鏡、赤いドクロ…何に使うのか分からないものばかりだ。ところどころ魔石と同じような輝きも見えるが、ほとんどは何の反応もない。もしかしたら、そのうちの幾つかは、ただ"魔法使いっぽく見せる"ためのインテリアなのかもしれない。

 その中で一点だけ、妙に明るく輝いているものがあった。

 「これは…何だ?」

ロードは、棚の端に無造作に引っ掛けられていたナイフを手に取った。ベルトのついたボロボロの皮鞘に入った短剣だった。引っ張り出してみると、柄は錆だらけなのに、刃は綺麗だ。斜めに傾けると、琥珀金に近いような黄色みを帯びる。

 気づいた店主が、カウンターごしに声をかける。

 「ほう、そいつが分かるか。先ごろ廃業した魔法使いんとこから下取りしてきたやつで、太陽石製だ」

 「太陽石?」

 「魔石ん中でも特殊なやつでよ、ほっといても魔力を光と熱にして放出し続ける。ほれ、触ってみるとちょいとあったけぇだろ?」

 「…ほんとだ」

 「気に入ったんなら買ってけよ、そういうの扱うの得意だろ」

カウンターに持たれかかりながら、レヴィが気軽に言う。

 「いや、でも、おれは…」

 「投げにも使えるぜ」

ロードが腰に投げたナイフを見て、店主はにやりと笑う。「柄は仕立て直しが必要だろうけどな。」

 「どのくらいかかる?」

と、レヴィ。

 「三日もあれば。」

 「なら、お前はそれにしとけ。」

 「はあ?!」

 「で、ぼくのほうは…」

勘定はどうするんだ、と聞きかけて、ロードは、カウンターに向かうレヴィの真剣な表情に気づいて言葉を飲み込んだ。


 フィオには本、ロードには短剣。

 戦力の底上げ。…一人では勝機が薄いことを認識して、レヴィは揃えられるものは揃えてこの先の道に備えるつもりなのだ。この先に待ち受けているだろう妨害から生き残る――ために。

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