第53話 正しい選択のために



 片付けをしてくると言って出て行った暗丘さんを追いかけるように、僕はふらふらと外に出た。

 階段を下りて、潔子さんの部屋に向かう。

 こんな時だけど、僕も彼女も怪我を負っているけれど、それでも今、虚についてきいておくべきだと思ったから。

 暗丘さんはすでに潔子さんは自室に戻っていると言っていた。その通りなら、と二階で僕は立ち止まる。

 彼女の部屋が見えた。そこで突然その扉が勝手に開いていく。

 こういう現象、つい最近まで頻繁ひんぱんに僕の部屋で起きていた。


「どうぞ。お入りになって」


 そんな言葉が、奥から聞こえてきた。

 恐る恐る僕は部屋の中に入る。

 しんとした部屋には誰もいないような気さえした。この寒さには覚えがあって、僕は軽く身ぶるいする。

 つい先日まで、僕の部屋はこんな風に寒くて恐ろしいほど暗かった。

 暗闇の中靴を脱いで居間に到着すると、潔子さんは布団の上に体を預けているのが、月明かりに照らされて見えた。眠っているようにも見える。

 そう思った僕だったけど、すぐに潔子さんが顔をあげてくれる。


「潔子さん」


 ぼくは心細い気分になりながら呼びかけた。

 潔子さんは微笑んで、僕を迎えてくれる。いざなわれるように彼女の手元に歩いて行って、そうしてどうにか僕はそばに膝をついた。

 潔子さんはゆっくりと体を起こして、正座して向かい合ってくれる。


「怪我、大丈夫ですか?」


「ええ、大丈夫。突然襲われて驚きましたわ」


 それはそうだろう。みんな驚いたが、おそらく最初に襲われたのは彼女だ。何もわからないうちに襲われて、驚いただろう。

 それも刃物を持った女とは、驚くというよりも恐ろしかったのではないだろうか。

 僕が慎重に言葉を選ぼうとしているのを彼女は理解しているのだろう。再び「大丈夫ですよ」と僕を安心させるように繰り返した。

 それから彼女は小さく首を振ると、「ご用件は?」と尋ねてきた。

 心配は不要ということだろう。

 僕は逡巡して「聞きたいことがあって」と切り出す。


「はい」


「前に、虚が現れなくなったのは、僕が彼を否定したからと言ってましたよね」


「ええ」


「……虚と話したいんです。僕は、彼に聞かなきゃいけないことがある……」


 虚との会い方なんてわからない。この先ずっと出てこないのではないかと思うと、胸が苦しい。不安になる。僕が否定しなければ、いてほしいと願えば、僕のそばにいてくれるのだろうか。

 潔子さんはしばらく沈黙していたが、やがてぽつりぽつりと話だした。


「わたくしは霊を見ることはできます。対話も可能です。けれど、人格となると別です。そこには個別の魂があるわけではない。あくまでも、あなたの心の形なのです。それが消えてしまった理由をわたくしの持つ知識で表すならば、あなたが拒絶したことが原因なのではないか。そう考えられるということです」


 たしかに、彼女は脳科学者でも、精神分析専門家でも、心理学者でもない。わからないのは当然なのかもしれない。けれど……。


「それでも、今お力になれるのは、わたくしだけ。なのですね」


 僕は頷く。

 彼女は再び沈黙した。何事かを考えているようだが、彼女のほほ笑んだ表情からは察することはできない。重々しく、彼女は唇を開いた。


「一つ、お伺いしたいのですが……真山美穂さんのこと。どう思っていらっしゃいますか?」


 虚を突かれた僕は瞬きをしてそれに答える。

 真山美穂。

 虚が、僕が殺した人。

 思わずうつむいて、僕は言葉を選ぶ。彼女がどんな答えを求めているのか、それがわからないが、僕の正直な気持ちを言うしかない。でも、僕は彼女に特別な感情を持っていない。

 僕たちが、殺したというのに。

 

「虚が殺したのか、僕が殺したのか、もうわからないです。僕は彼女のことを知らない。そしてきっと虚も……」


 それで殺してしまった。


「僕たちは一人ではない。確かに存在しなかったけれど、確かに二人だったんです。でも僕が殺したわけじゃないなんて言えない。もう、殺したくはない。と思います。虚にも、殺してほしくない」


 潔子さんは無言でうなづく。

 僕は、どうしても聞きたかったことを切り出した。


「もう一度、虚に会うことはできないんでしょうか。虚は成仏してしまった?」


「彼は霊ではありません。あなたの中にいる別の人格。それは決して成仏という形で還ることはできないのです。ただ、消し去る方法はあります。あなたが彼を思い出さなければ」


 僕は虚に会いたい。でも……。


「ただ――誰も殺したくないのでしょう? それでも会いたいのですか?」


 語気を強めた潔子さんに僕はたじろいだ。

 僕は虚がいたら、虚は人を殺してしまう?

 虚に会いたいからといって、彼に再び会ってしまったら、僕はまた誰かを殺してしまうのだろうか。

 虚は変わらず誰かを殺すのだろうか。

 いや、たとえ彼がいなくても。僕はこの手で人を殺してしまうかもしれない。今日のように。僕は考えている。最悪の可能性を。



 狂った僕が母さんを殺し、それからずっと僕が同じ過ちを犯さないように虚が代わりに殺した。



 そんな恐ろしい想像が僕を縛り付ける。

 僕は首を振ってうなだれた。どうしていいのか判断ができないのは、怪我のせいだろうか。それとも答えをだすことを僕自身が拒んでいるのだろうか。

 虚と話して真実を知りたい。

 それを僕は無意識に拒否しているのだろうか。

 わからない。


「消してしまうのか?」


 唐突にそんな言葉が聞こえた。

 僕は振り返って声の主を探す。玄関先、月明かりに照らされて立ちすくんでいる少女。僕は目を見張って少女の名前を呼んだ


「八重子ちゃん……」


「消してしまうのか?」


 八重子ちゃんは再び同じ問いを繰り返した。

 僕はその言葉に返事ができず、ただ戸惑う。

 玄関先でたたずむ八重子ちゃんは傷ついた手をかばうように立っている。僕を見る表情は無機質だ。


「虚を消してしまうのか」


 繰り返す八重子ちゃんの声音は僕を責めているようだった。


「八重子は虚とあったことはないが、かわいそうだ」


 あの少女の霊の事を思いだしているのだろうか、八重子ちゃんの表情が曇った。

 気づけば無機質だと思っていた彼女の表情は、泣き出しそうな様子に代わっていた。

 

 僕には答えにくいことだ。

 なぜならその子が死んだのは、僕のせいなのだから。

 八重子ちゃんが数歩踏み出して言い募る。


「八重子はずっと一人だった。ずっとずっと一人だった。違うから。周りと違うから。人を呪うことができるから。ずっと一人だった。だから、八重子は友達が欲しかった。それが人でないものでもよかった。みんな、みんなから忘れられることを恐れていたぞ。八重子はそのことを知っている」


 畳みかけるような八重子ちゃんの言葉に僕は言葉を失う。

 彼女の本心が飾らない言葉によって強く伝わってくる。彼女にとって唯一の友達だった少女。彼女がきえてしまった今、彼女はさみしいのだろう。

 傷ついていたのは、僕だけじゃなかった。

 それはそうだ。 


 やがて八重子ちゃんは僕の目の前にくると、悲しそうに眉を下げて、僕に訴えかけてくる。

 

「お前にとっても、その虚というやつはそういう存在だったんじゃないのか?」


 と。

 そうだ。たしかに、でも……。


「その存在が、罪を犯させるならば、それはあってはいけない。それが世の中です。社会で生きていくつもりがあるのなら、そうであってはいけないのです。あなたが、どこで生きていきたいのか、そこかもしれません」


 潔子さんがそういう。それも間違っていない気がした。

 彼と再び会うことも、永遠に離れることも、どちらも簡単には選べない。


 

「表屋くん。ちょっと無茶すんなって今日は寝てな」


 と八重子ちゃんの後ろからひょっこりと顔を出した暗丘さんに呼ばれる。

 いつからいたんだろう。全然気づかなかった。

 ていうか、あなたが聞いてみたらといったんじゃないか。あの場でたたされたら、今から聞けに行けって言われていると思って何が悪い。

 いつのまにか僕は普段通りの気分に戻ってぐちぐちと考えていた。

 こうやってすぐに僕は物事をたいしたことのない話に変えてしまう。悪い癖だ。


「今、行きます」


 これ以上ここにいても潔子さんは答えを教えてくれない気がした。

 彼女は僕が虚とあってまた人を殺すことに反対なんだ。

 めずらしいくらい普通の考えだろう。当然の結果だ。


 僕は立ち上がって、潔子さんにお礼を言う。

 潔子さんは僕を見て「決めるのはあなたです」とささやいた。


 靴を履いて、玄関をでる。

 八重子ちゃんはすれ違う瞬間僕に視線をよこしたけれど、何も言わなかった。


「どっかの誰かが部屋中血まみれにしやがったから、片付けが大変でな。あちこち歩きまわってないで、おとなしくしててくれや」


「はい」


 気軽な様子の暗丘さんにしたがって階段をのぼる。どうやら付き添って3階まで送ってくれるらしい。


 男手が必要ないのだろうか。

 いや、必要でも無理か。そりゃそうだ。進士くんはもともと折れた腕が悪化してそれどころではないし、白塗沢さんは重傷。管理人さんはわからないけれど……。

 そして僕も多分重症。

 そんなことを考えていると、階段の途中で暗丘さんが振り返りもせずに言った。


「真実を明らかにしたいなら、そうすりゃいい。どちらにしてもお前さんが決めたことに、兄貴は文句いわねーんじゃねーか」


 どこに根拠があるのか知らないが、暗丘さんがそういった。

 どうしてそう思えるのだろう。

 うつむいて考える。僕は普通だったはずなのに、そうではなくて、でもこのままなら普通になれるのだろうか。

 いや、潔子さんは知らない。

 僕こそが、恐ろしい化け物なのかもしれないという可能性を。

 

 でも確証がない。


 僕は、ただひたすら階段を登りながら、歯噛みした。

 


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