こんばんは、クロユリな日々
第21話 302号室のポルターガイスト
ひやりと冷たい風が頬に触れた。
部屋の隅、そこから流れてきた気がして、その方向に視線をやる。
少女がいた。
細い手足と痩けた頬。
眼球のある場所は痩せているがゆえにか、大きく窪み、目は影の中に沈みこんでよく見えない。
それに反して小さな唇は強い赤みをおびている。
それが、血の赤であると気づいた時、僕の心臓は波打ち、血潮が急激に流れるのを感じた。
戦慄という感覚。
痩せた真っ赤な唇が動く。
僕は目を離すこともできずそれを見つめる。
『ゆ る さ な い』
その少女は確かにそう音もなく口にした。
次の瞬間、瞬きの一瞬の合間に、少女は
その日から、僕の部屋に誰かがいる気がする。
◇ ◇ ◇
「はあ」
カフェでのバイトを終えての帰り道。 とぼとぼと重い足取りで【オトギリ荘】への道のりを進みながら、僕は無意識にため息をはきだしてした。
あの日、僕の家で行われた謎のパーティは、よく分からない不思議な違和感を持って終了した。
微妙な詮索はされていたけど、結局それだけ。僕も、情報をなにか手に入れられたかというと、そういうわけでもない。
ただ適当にビールを飲んで、適当にツマミをつまんで、適当に談笑して、なんのトラブルもなく「じゃあ」と言って彼らは部屋を出て行った。
逆に不気味だ。
それからの僕は相変わらず大学にバイトにと勤しんでいる。
相変わらず毎日ゴミ捨て場で
何もなかった。何もなかったはずなんだけど。
でもあの日からやっぱりなにかが変だ。
僕はようやく見えてきたオトギリ荘を見上げた。
チカチカと街灯が点いたり消えたり。【オトギリ荘】の前に唯一ある明かりはいつかブツリと切れてつかなくなってしまいそう。
そうなったら、この周辺は真っ暗になる。
実際すでに随分と暗い。
古いアパートだからなのか足元灯もなく、階段を上る僕の足音もカンカンガッカッッカン、みたいに不規則な音になっていた。
音は良く響くから、帰ってきたことをアパート中に叫んでいるようで、気がひける。
また僕はため息を吐き出す。
変だと感じることはいろいろあるけれど、一つ、大きな問題があるとすればそれは――。
「
あれからずっとだ。
たまに帰ってきてもすぐどっかに行ってしまう。
おかげで僕は夜うまく眠れず。僕としてはあまり楽しくない夜が続いているわけだ。
ああ、嫌だ嫌だ。
それから変わったことと言えば、オトギリ荘の住人によく会うようになった、というところだろうか。
そんなことを思っていたからか、やはり今日も遭遇することになった。
「暗丘さん?」
「おお。表屋くん。どうも」
軽い様子で挨拶を返してくれたのは、全身黒ずくめの暗丘さんだった。今日もいつもと同じ服を着ている。一張羅というやつだろうか。
「よく、あいますね」
「そうか?」
よく会うよ。
夜にバイトから帰宅すると結構な頻度で遭遇するじゃないか。
たとえば、外階段を上がって部屋に入る前、暗丘さんが暗丘さん自身の部屋に入る瞬間に遭遇したり、あるいは彼が部屋を出て行くときに遭遇したり。階段ですれ違ったり。とにかくそんなことが多くなった。
いい感じで帰宅時間がかぶったりするものだから、わざとではないかと
そして今日は、外出の予定らしい。
「今から外出ですか?」
「まあな。表屋君はバイト? 精が出るな」
穏やかに笑う姿を見ていると、おそらくこれから裏社会の仕事にいくだろうということを忘れさせる。
こういう気を抜かせるところがうまいのが、この人の武器なんだろーなぁ。
「じゃあ」
「おう」
僕は彼の後姿を見送る。
そういえば、進士くんともよく会うようになった。
主にこれも夜だけど、僕のバイト帰り、ゴミ捨て場で遭遇することが増えた。彼はやはりゴミ捨ては夜にやるタイプのようだ。
まあ、それは置いといて。
進士くんもわざとなんじゃないかな。
だって今まで本当に会わなかったのに、いきなり会うようになるなんておかしな話じゃないか。
疑って当然だと思うんだ。
ただ進士くんは年も近いからなのか比較的話しやすいし、それはうれしいな。
毎日会えばそれなりに仲良くなるもので、最近はゲームや漫画の話をしたりもする。彼に促されてテレビも買ったくらいだしね。
僕としてはすでにいい友達と言えるかもしれない。
多分。きっと。
いや、やっぱりこの【オトギリ荘】の人への警戒は怠らないようにするべきだ。
できてないけど。
僕は悶々としながら、自分の部屋の扉を開ける。
そして、やけにひんやりとした廊下をつっきって襖をあけたところで、ぴたりと止まった。
少女がいた。
ああ。
と声にならない声が漏れて、僕はすっかり忘れていたこの怪奇現象にガクリと肩を落とした。
ひとつ一番大きな変化を忘れていた。
ある夜から、僕の部屋は幽霊部屋になってしまったらしい。
電気がチカチカと明滅して、ちゃぶ台がズリッと音を立てて奇妙に動く。あちこちの物がカタカタと音を立てて揺れて、まるで地震だ。
でも地震じゃない。
実際に足元が揺れているわけではないので、それだけが地震じゃないと言える根拠だけど、僕はこういう現象に心当たりがある。
多分これはいわゆる……。
僕は部屋の隅に立つ少女に恐る恐る視線を向けてみた。
何故か目の辺りが暗く窪んでいて、その目はよくみえないのに、彼女がこちらをじっと見ている。そんな気がして落ち着かない。
てゆうか怖い。
襖を無言で閉じると、僕は部屋を出た。鍵をかけ、外階段をカンッカンッと鳴らしてかけ降り、地面にたどり着いてすぐに、オトギリ荘のボロボロな外壁に寄りかかって深い深いため息を吐きだした。
ゆっくり頭を抱えて。
「はああああああ」
なんっでこんなことになっているのか知らないが、あれは最近は、ああして部屋の中にあらわれる。
怪奇現象が最初に起きたときは、さしもの僕も驚いて部屋を慌てて飛び出たりしたものだが、最近はまあ、慣れた。あれに慣れてしまった自分がこわい。
それでも一度は部屋をあとにして落ち着く必要がある時もある。
今日みたいに。
「はあああ……」
僕はもう一度ため息を吐き出して、ずるずると背中を外壁に預けたまま座り込む。
ため息が増えた?
そりゃあ増える。こんなことが起きてるんだから。
まあ、帰ってくるまですっかり忘れていたくらいなのだけどね。
ともかく。
「どうしよう……多分帰ってもいるんだろうな。今日も外食かな。だってあんなのがいる部屋で食事作ったり食べたりしたくない。背中向けたくない。目も合わせたくないよ……」
嫌すぎる。
そうして項垂れていると、突然声をかけられた。
「大丈夫ですか?
顔を上げて、僕はぎょっとした。
女性だった。しかも着物。
年齢はおそらく僕より上だ。
髪は短く、パーマがかかっていて、多分染めているのか、暗闇ではっきりはしないが、黒髪ではないように見える。
つまり決して、日本人形のような、とは表現できない外見だが、このタイミングでこの格好の女性に声をかけられるのは心臓に悪い。
硬直する僕に、彼女は再び同じ言葉を唱えた。
「大丈夫ですか? 表屋さん」
大丈夫じゃないです。
何で僕の名前を知っているんでしょうか。
「えっと……」
困惑を隠しきれないよ。
「ああ、申し遅れました。わたくし、201号室の
そう言って、呆然とする僕をよそに、彼女は穏やかに微笑んだ。
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