第20話 302号室のアナザーナイト






 それは多分、表屋空おもてやそらにある、何かのスイッチを押したんだ。

 




 初めて話してみた表屋空おもてやそらという人物は、俺が調べた情報で見たとおり普通の奴で、それから想像よりずっとつまらない奴だった。

 オッサンが偵察するほどのやつでもないじゃん。

 何の変哲もない。

 そう言っていい。

 だって、何一つおかしな様子はない。本人はこれでも警戒しているつもりなのかもしれないけど、俺や暗丘、なにより初対面で見た目から明らかに怪しい白塗沢しらぬりざわに簡単に背中を見せる。その時点で警戒が足りない。


 ひとつ奇妙だと思ったのは、オッサンが買って、俺が渡したビールを飲まないで、自分が買ってきたビールをわざわざあけてたこと。そのくらい。

 こいつは暗丘の言うとおり、戦闘タイプじゃない。

 そんな、漫画みたいな感想を、表屋に対していだいただけだった。


 だから表屋空おもてやそらが盗聴器を取り出そうと立ち上がったその時、俺はただ面白いなと思っただけだった。

本当に他意はなく、なんの警戒もせずに、表屋をただ見ているだけだった。

 

 咄嗟に、体が動かなかった。

 突然誰かが俺の腕を掴んで、俺は勢い良く前のめりになる。

 そして自分がそういう体制になっていると気づいたときには、顔の横を空き缶が後ろから掠めていった。


「っはあ!?」


 カンッ!と音がして、俺の腕を掴んているやつの反対の手から何かが吹っ飛ぶ。

 次の瞬間には襟首を後ろから掴まれて、後ろ向きに引きずり倒されていた。


「っ! なにすっ……」


 盛大に打ち付けた背中が痛い。

 痛みに顔を歪めてあらゆることにまとめて抗議したが、そんな場合ではないことは目を開けてすぐにわかった。

 俺をかばうように立つ暗丘くらおか

 対峙しているのはブラリと手を下ろして立っている表屋。

 足元にはビールの空き缶と大量の文房具。

 

「……は……なに?」


 混乱に一瞬思考が停止するけど、すぐに高速に回転し始めた。


──表屋に、俺、襲われた?


 そしてそれを、暗丘が防いだ。細かいことはわからないが、大雑把に言えばそういうことじゃないだろうか。


「なんのつもりだ?」


 低く尋ねたのは暗丘。

 俺から見えないけど、たぶん相当険しい顔をしているはず。


「…………こちらの、セリフだと思うが?」


 表屋が言った。

 低い声だ。今までで一番低く、敵意に満ちていることがわかる。肌がピリピリするのは、暗丘と表屋の間に殺気みたいなものが飛び交っているからかもしれない。


「余計なことをするな」


 再び表屋が続ける。

 余計なこと?


「さあ、なんのことだ?」


 戯けたような口調で暗丘が言う。

 それはいつもどおりのようで、しかしいつもとは違う、仕事前に聞くそれに似ていた。


「そんなことより、お前、今進士の腕をボールペンで刺そうとしたろ」


 と暗丘が軽薄さを表すように笑いながら言った。

 暗丘の言葉に、俺は咄嗟に自分の腕を庇うように掴む。

 暗丘がビールの空き缶を投げて、表屋が持っていたペンを叩き落とした。そういうことだろうか。

 

「だったらなんだ」


 なんだじゃねーだろ、あぶねーな。

 と突っ込みたいところは山々なのだが、いかんせん暗丘の背中に守られている状況で強気に出るほど俺は喧嘩に慣れてない。

 てか俺はそういうの専門外だっつの。


「ボクは網村くんの腕がだめになると仕事ができなくなって困ると思います。だからだめですよ」


 と、こんな緊迫した状況で相変わらずのんきにビール飲んで座ってる白塗沢が言う。

 こいつやっぱ危機感ってのを持ってない。

 変。

 絶対変。


 そして表屋空も変!


「盗聴器、仕掛けたのはそこの子供だろう。はずせ」


「だったらそう頼めばいい。わざわざ怪我させようとするなんて、普通じゃない」


 ここに普通のやつはいない。

 それをわかっていて暗丘が言う。

 そうだ。普通のやつなんていない。この新しい隣人も。


「勝手に盗聴器を仕掛けるのも、普通じゃない」


 普通に関しては話題に出すだけ無駄だって。


 表屋も暗丘も素手だけど、武器ならそこらに転がっている。ハサミ、ボールペン、カッター。

 紙コップ、は無理でもたぶん暗丘ならビールの空き缶で表屋を殺せるだろう。

 なにせ本物の殺し屋。それも暗殺に特化してるタイプだから。


 今、そうしないのは多分、様子をみてる。


 さっきとは明らかに表屋の様子が違う。

 何が違うかと言われると、見た目は何も変わってないんだけど、なんていうか纏っている空気?が違う気がする。

 そんなことを思ってる俺をよそに、二人の睨み合いはこう着状態だ。


「そりゃ、悪かった。でもまあここはそういう所なんだよな」


 と暗丘が事も無げに言った。


「初耳だな」


 と表屋もなんでもないことのように返す。

 初耳なら、もうすこし驚けよ。感情表現下手すぎかよ。

 俺の精神状態おかしくなってる。絶対。

 不意に、暗丘が姿勢を変える。俺を守るような姿勢から、はすに構えたような立ち方に。表屋の方は変わらず両手を脱力させているように見える。

 どちらも無駄な力が入っていない姿勢、というやつになっている。


 俺からすれば、暗丘さっさとこいつをやっちまえ!って感じなんだけど、そういうわけにいかないんだろうか。

 その辺は殺し屋の事情とかよくわからないから何も言えない。

 

「お前さん、それは演技か?」


「なんのことだ」


「さっきまでとまるで違う」


「さあな」


 どうやら表屋は何も話す気は無いらしい。

 演技上手にもほどがある。そう俺が思った時、後ろで白塗沢がビールの飲み干す気配がして、一瞬表屋の視線がそちらにそれた。

 こいつ今、完全に暗丘から視線を逸らした。

 そう思った時には、暗丘が動いていた。


 一瞬、風が俺の髪を暴れさせる。

 驚いて思わず目をつぶって、開けて、そして暗丘が表屋の右手を握っている姿が視界に飛び込んできた。

 その表屋の手には、ハサミ。

 いつの間に……。


「やるねえ」


 と暗丘。

 表屋が目を逸らしたから暗丘が動いたのか、それとも、もしや一瞬白塗沢に視線をやったのは、こっちの隙を作る為?

 そして、とっさにハサミを手にして俺、あるいは暗丘にでも襲いかかろうとしたと? そんなこと普通のやつにはできない。少なくとも俺には無理。


「けど、この狭い部屋で戦おうってのは無理があるぜ」


 確かにここは畳部屋で、天井も低いし、部屋自体がそもそも広くない。そこに4人もいるのだから、狭いことこのうえない。ここで戦うなんて俺には無謀に思えた。

 暗丘にとっても同じかはわからないが、おそらく暗丘は戦いは無駄だと表屋に言いたいだけなのだろうと俺は推測する。


 ぎりぎりと音がしそうなほどの強さで、暗丘は表屋の腕を掴んでいるらしい。二人の手は力が拮抗しているのか震えていた。

 って、力が拮抗? 表屋と、暗丘? 暗丘はプロの殺し屋だぞ。こいつ何者……。


「戦わない。ここは空の部屋だから」


「は?」


 暗丘が間抜けな声を出す。

 

「空って……」


 自分の呼び方名前呼びかよ。って思わず苦笑いしながら呟くと、表屋が首をわずかに振った。


「弟の部屋を壊すつもりはない」


「あ?」


 今度は俺が間抜けな声を出す番。

 


 最初、俺は表屋空には妄想癖があるんだと思ったんだ。

 一人で二役をしている。そんな風にも思った。

 盗聴器から聞こえた声が二つあったから。ちゃんと会話していたから。

 でも、それはある意味あっていて、あっていない。そういうことらしい。 

 つまるところ。


「お前さん、空のお兄さんか」


「だったらなんだ。この手を離せ。そして盗聴器を外せ」


 本気で言っている。

 つまるところ。こいつは。 


「俺の弟の部屋で、勝手なことをするな」


 二重人格だ。





 ◇ ◇ ◇




 暗丘に促されて、俺は盗聴器を外し、急いで元いた場所に戻った。

 その間、暗丘は表屋の兄らしき人物の腕を離さなかったが、俺が戻ると腕をさっと離して距離をとった。

 てっきり、表屋の兄がまた暗丘に襲いかかるかと思いきや、そいつは持っていたハサミを棚の上に置いた。

 他の文房具が散らばっているのに目をよこして、深くため息を吐く。


「こんなに散らかしたら、空がこまる」


 などとほざく。

 やっぱり、こいつは二重人格なのだ。

 そしてさっきまでのが表屋空で、こっちが。


「お前さん名前は」


うつろ


 暗丘の問に短く答えた。

 うつろ。とおれは口の中でつぶやく。空っぽ、虚無。そういうことか?

 

「盗聴器、二度とするな。次見つけたら、殺す」


 まっすぐ目を向けられてたじろぐ。殺すとか言われるとはさすがに思わなかった。

 させると思うか?なんていつもなら言いそうな暗丘が深刻そうに黙って頷く。そして俺を振り返って。


「いいな」


 と念をおしてくる。そのマジな顔を見れば、どうやら表屋の兄、うつろは、本気らしかった。

 こいつ人殺し系かよ。俺だけは殺すなよ本当に。

 びびったわけじゃない。わけじゃないが、とりあえず。頷く。


 その時、うつろが動いた。

 警戒する俺達を前にひて、悠長に前髪をかき分けて、一言。


「寝る」


 と。

 

「は?」


 思わずぽかんと口を開けた俺達の前で、虚が目を閉じる。

 そして次の瞬間、キョトンとした顔で……。




「……………どう、しました?」




 と、つぶやいた。


 なんだ、それ。


 今目の前にいるのは、さっきまで見ていた表屋空?


 あっけになって思わず口を開ける俺たちを前に、表屋空はオロオロと視線を彷徨わせて、文房具に驚いたり、盗聴器に驚いたりしている。


 マジで二重人格かよ。と今更思う。


「僕、何かしました?」


 不安そうに、表屋空が言った。


 さすがに警戒していたらしい暗丘は、今目の前にいるのが本当に弟の空らしいと判断したのか、ようやく肩の力を抜いて、ふーっと息をはいた。

 困った時、面倒な時、いつもやる癖で、頭をガシガシとかき回して、それから腰に手を当てて、暗丘はため息まじりに。


「いいや、お前さんじゃないよ」


 と言った。


「え? あ、そう、ですか」


 と表屋がどこか安心したように深呼吸をする。


 俺たちは顔を合わせて小さく頷いた。


「間違いない」


 暗丘の言葉を受けて、俺はその続きをもらう。

 表屋空に聞こえないようにひっそりと。


「表屋空は、二重人格」



 まるで、害のないように見えた男だったのに。

 おそらく暗丘と匹敵する強さをもつ、別の人格を有している。




 やはりこのオトギリ荘には、変なやつしかいない。


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●302号室 表屋空おもてやそら23歳

 大学生。

 三回アパートを変えている。

 普通の感性の普通の大学生?

 

ps.人からもらったものは決して食べない。

  虚という兄、空という弟の2つの人格が存在する、二重人学者。


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