隣人サイコパス 〜オトギリ荘の者達〜

日向はび

はじめまして、オトギリ荘

第1話 302号室の僕






「お隣同士、仲良くしましょう」


 そう言ってタッパーに入った肉じゃがをお裾分けしにきたという隣人を、母は笑顔で見送った。

 そして、扉がしまった直後にゴミ箱にタッパーごと捨ててしまった。


「きもちわるい」


 母は真っ赤な口紅をつけた唇で吐き捨てて、僕にコンビニで買った菓子パンを投げつけた。


「人からもらったものなんか、食べられないわ」


 真っ赤なマニキュアをした爪を噛む母の姿をながめながら、僕は母からもらったなぜか開封済みの菓子パンを握りしめていた。



◇◇◇



 僕は人からもらったものを食べられない。


 それは幼少期に何度も繰り返し聞かされた「人からもらったものは食べるな」という母の言葉の影響かもしれない。


 あるいは、母自身が僕に与える食べ物が、食べるべきではないものだったからかもしれない。

 どちらにしても、僕はもらったものを食べられない。

 けれど、もらったものを母のように笑顔で受け取って、裏で捨てるのは申し訳ない。

 僕はそう思う質だった。

 なので。


「すいません。そういうのは貰わないことにしてるんです」


 隣人が持ってきたりんごを前に、僕は明らかに申し訳なさそうに見えるよう眉を下げて言った。

 こういうことを言うと、普通どういう反応をされるのか、僕は知っている。

 前のアパートのときは苦笑いされ、その日以来、禄に話もしなかった。

 前の前のアパートのときはあからさまに嫌な顔をされ、その日以来、毎日棘のある言葉を言われた。

 前の前のそのまた前のアパートのときは「そう言わずに」なんて強引に渡されたので、そのまま相手の部屋の扉に手付かずのまま引っ掛けておいたら。その日以来、近所中からひそひそと遠巻きにされた。


 大袈裟な反応だろうと思う僕もいる反面、なるほど、と納得する僕もいた。

 つまり、相手にはおそらく不快感や違和感を与えるのだ。

 この人はどんな反応をするのだろうと不安になる。

 僕はおずおずと隣人の顔を見やった。


 隣人は若い女性だった。

 ピンクに染まった長い髪をツインテールにして、睫毛までピンク色の、女性というより少女という年齢の女の子。

 可愛らしい顔つきなのに、両耳のピアスは髑髏どくろとコウモリ。全身真っ黒の服。腰には金色のキツネの尻尾風飾りをつけて、靴はピンクの厚底サンダル。

 そんな、僕の主観的にはとても奇抜な格好をしている隣人は、キョトンとした顔で首をかしげた。


「なんでえ?」


 快活な、それでいて妙に間延びした少女の声で隣人が尋ねてくる。

 僕は少し迷って、いつもの言い訳を答えた。


「……家訓で」


「へえ、家訓。それはしょーがないねぇ、アタシにもあるもん家訓的なの。ごめんね」


 苦し紛れの答えに聞こえただろうが、少女は気にした様子もなくあっけらかんと笑う。


「でもさあ、アタシ達お隣同士じゃなぁい? 仲良くしましょうよ」


 そう言って少女は僕に右手を差し出す。

 多分握手を求めているのだろうけれど、なんとなく、指についた蛇の指輪が気になって、握り返す気にはならなかった。


「──僕は多分、ずっと大学かバイトだから、今後君と会わないと思うし……。仲良くなっても意味ないと思うけど」


「えー? そっかなあ、オトギリ荘に住むなら、隣の人がどんな人かって知らないとぉ、危ないと思うけどぉ?」


 僕は目を瞬かせる。

 奇妙な言い方をするなと思った。


「危ない?」


「うん。危ない」


 少女はなんとも言い難い奇妙な表情をして、僕の問いにうなづく。

 楽しそうな、困ったような、あざ笑うような、怪しげな、それらが混ざったような表情だった。



 そういえば友人から聞いたことがあるが、田舎とか、一軒家が立ち並ぶ地域などでは、隣人関係はとても密接なのだという。

 みんな顔見知りだから、見慣れない人がいるとすぐ噂になる。それで防犯にもなるし、何かあったときの助け合いがスムーズにできるとか、なんとか。

 そういう意味で言っているのかなとも思うけど、しかし、彼女の言い方はそういう感じじゃない気がした。

 どちらかというと、このアパート、オトギリ荘だからこそのルールがあるような……。


 僕はなんだか不審感が頭をもたげて来て、つい一歩部屋の中へ後ずさった。

 早くお引き取り願おうという思いが僕にそのように行動させたのだろうか。

 それを見たからか、少女は「ま、いっか」と言って唐突に右手を下げる。

 

「自己紹介だけさせてよ。アタシ、隣の301号室の毒島一笑ぶすじまかずえ、よろしくねー」


 彼女はにっこりと笑って、りんごが入っていた紙袋を両手ごと背中に回した。

 どうやら、握手もりんごも諦めてくれたようだ。

 いままでの態度が誠実じゃない、と決めつける要因は特にないけれど、僕は初めて少女が誠実な対応をしてくれた気がして、表情を緩めた。


「どうも。僕は302号室の表屋空(おもてやそら)です。……一応、大学生だから」


 だから年上は敬え。

 僕はそんなみみっちいことを思ったが、もちろん少女は僕の内心など知らないから、「よろしくー」とさっきと同じ言葉を繰り返すのみだった。






 ——2018年4月。


 僕は【オトギリ荘】の異常な住人との最初の出会いをはたす。

 そして、これから始まる異常な日常の幕開けだった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




●302号室 表屋空おもてやそら 23歳

 大学生。

 三回アパートを変えている。

 普通の大学生。


ps.人からもらったものは決して食べない。




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