リトル・ミセスと
和泉瑠璃
Chapter1 Henry
1
つまるところ、うら若き青年ヘンリーに対する、社交界の一般的な評価は、ひどく風変わりで人嫌い、ということだった。
家は、新興のそれとは違って由緒正しい正真正銘の貴族の一つで、父は公爵であり、その嫡男かつ長子である彼にも伯爵と名乗ることを許されていたけれど、本人はそのことをちっとも喜ばしく感じていないようだった。
彼の家とその父に対する敬意から、たくさんの招待があったものの、それに応えることはごくわずかだったので(出席したとしても話そうとしなかったにちがいないけれど)、ハワード家におけるヘンリーの立場を知ることはできなかったが、そもそも国内にいることすら稀で、一年のほとんどを旅行して過ごし、たまに帰国しても
エドワードという弟が一人おり、こちらは兄とうってかわって非常に社交的で、しかも母親譲りと評判高い美しい顔立ちのうるわしい貴公子なので、世間からはあたたかく迎えられてはいたけれど、こと兄のことを尋ねられると、普段の冴えわたる饒舌さが影をひそめるのだった。
寡婦となって久しい叔母のオーガスタが、風邪をこじらせたという一報を受けて、ヘンリーはいつもの長期旅行をいったん切り上げて、出来得る限りのはやさで帰国した。これが家族の誰かであったら、見舞いの手紙すら出さずに済ませるところだったが、父の弟の夫人にあたるこの女性に関しては特別だった。
とはいえ、訪問するのはずいぶん久方ぶりのことだった。招き入れられた邸のなかで変わった装束を身に纏った浅黒い肌の見慣れない召使を目にして、その異様な風体に驚くとともに、だいぶ毛色の変わった者を召し抱えたのだな、としばらく会わない間の叔母の趣味の変化を疑った。
ヘンリーに気がついた異国の男が、うやうやしく額に手をあてて礼をするのを物珍しく眺めながら、「奥様はご体調が優れないので寝室においでです」と案内する
寝台の上でクッションにもたれて身体を起こしたオーガスタの前に、一人の紳士がいたのだ。それでヘンリーは、見舞客が自分一人でないことを知った。しかし、病身を見舞うほどの間柄であるらしいその紳士を、ヘンリーは今まで見かけたことがなかった。
「あら、ヘンリー・ハワード! まさか本当に来てくれるとは思いませんでしたよ」
ヘンリーは、若々しい顔には似つかわしくない苦笑を浮かべて見せた。
「あれほど悲痛に帰国して顔を見せてほしい、と訴える手紙を寄越しておきながら、そんなふうにおっしゃることはないでしょう、叔母上」
「日ごろの行いということですよ。とにかく、こちらへいらっしゃい。私の甥っ子の顔を、近くでよく見せてちょうだい」
手を差し伸ばしたオーガスタに向かって、ヘンリーは素直に近付いてその手をかるく握った。喜びにかがやいた顔に免じて、初対面の紳士の前でまるで子供のように、オーガスタが頬を撫でるのも許した。
「想像していたよりずっとお元気そうで安心しましたよ」
オーガスタにむかって屈んでいた身体を戻しながら言うと、彼女はつんと顎を上げた。
「あなたが来る前に体調が戻ってきたからですよ。身内だというのに、親切な私のお友達よりも駆けつけるのが遅いのだもの」
オーガスタの視線を受けて、それまで二人の再会を見守っていた紳士が静かに立ち上がった。
「こちら、ミスタ・トム・カリスフォード。亡くなったエドマンドの古くからのお友達なのよ。イートン校からのお付き合いだったの。そういう意味では、あなたにとっては同窓の先輩にもあたるのね。——それで、こちらがわたくしの薄情な甥っ子です。ハワード家の長男ヘンリーですの」
「では、ロードとお呼びしなければ。どうもお会い出来て光栄ですよ。あなたの叔父上はたいへん素晴らしい人だった」
気安い訪ね先として叔母のもとにやってきたヘンリーは、目の前の紳士がいかに礼儀正しくとも、長く会話をする気にはならなかった。とはいえ、たしなみとして表情には表さず、握手のために手を差しだした。
握手を交わしながらカリスフォード氏は、不躾ではない程度に、しかしヘンリーの顔を旧友の面影を探すように見つめた。
「なるほど、眉のあたりに懐かしさをかすかに感じますな。やはりお血筋か。あなたのお父上にはまだお会いしたことはありませんが、やはり立派な方なのでしょうね?」
カリスフォード氏にとっては、当たり前の社交辞令だったかもしれないけれど、ヘンリーにとっては国に寄りつかない不愉快な理由を思い出させるのに十分だった。
その様子を敏感に察したオーガスタは、とりなそうと口を開きかけたが、それよりも早くヘンリーは顔を背けた。
「エドマンド叔父上のことで、積もる話もあるでしょう。私はしばらく席を外させて頂きます。どうぞごゆっくり」
唐突なヘンリーの言葉に、カリスフォード氏は怪訝な顔を向けた。
「いえいえ、お気遣いなく。たしかに思い出話は尽きませんが、ぜひご同席願いたいものです」
かんばしい返答をする気のないヘンリーを見て取り、オーガスタはひそかにため息をつくと、あえて明るい声をだした。
「そうね、せっかくなら二人にしてもらおうかしら。その間はヘンリー、庭の方へ行ってらっしゃい。そこにリトル・ミセスがいらっしゃるから、ご挨拶をしているといいわ。素晴らしいレディですよ。お若いのにしっかりとした分別をお持ちで。わたくしは、あの方が大好きなの」
そのときヘンリーは、目の端でカリスフォード氏がほんの少しかたい表情になったのをとらえた。オーガスタは、そちらに目をむけるとにっこりと微笑んで見せた。
「どうかご心配なく、カリスフォードさん。この子は礼儀をわきまえておりますから、リトル・ミセスがご経験なさった類の無礼は働きませんわ。ご覧の通りの人見知りではありますけれど」
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