アピアンを探せ(5)──穴の奥
ガットはポケットからバンダナを取りだし、三角に折って顔に巻き鼻から下を隠した。さらにサングラスをしっかりかけ直すことも忘れず、砂の丘にのぼっていく。
ベラスケスが落ちたことに気づいた妻のサンディーが穴のそばで泣き崩れていた。「ああっ、ダニエル……ダニエール!」
「じぃじー!」とペピタも穴に向かって叫ぶ。耳をすませてもベラスケスからの返事は届かない。
「こんにちは、先ほどはお電話をどうも。オプアートです」ガットは声色を調整しながら話しかけた。「騒ぐ声が聴こえて……どうかなさいましたか?」
「ちょうどいいところに。私の夫がこの穴に落ちてしまったのですよぉ」
ガットは縁に残った木の枝を足で払いのけて、穴を調べるふりをした。「随分深い穴のようですね。熊の巣穴でしょうか?」
「く、熊!」震えだすサンディー。
「いや、まだ熊と決まったわけでは。かなり深い穴であることは間違いないようです」ガットは真面目くさって言った。
「ロープを持ってきましょう」ガットの背後からのぼってきたアミアンスが神妙に助言する。「みんなで引っ張りあげれば助けだせますよ、奥さん」
「ああ、ありがとう、ありがとうございます。夫を助けてください」サンディーはペピタを抱きしめ声を絞って泣く。
アミアンスが山をおりていったのと入れ替わりに、キッパータックが戻ってきた。
「皆さん、どうかしたんですか?」
「キッパータックさん、ダニエルが──」サンディーが目を真っ赤にして事の次第を話す。
数分もしないうちにアミアンスがロープを持って引き返してきた。話しているキッパータックとサンディーを尻目にガットはアミアンスへ意思を伝える。顔半分はバンダナに隠れ、眼差しさえもサングラスが覆う──それでも彼の顎がキッパータックを指したこと、その目が残忍な計画を浮かばせていることをアミアンスは瞬時に読み取った。だてに二人して緑のマントをつけてきたわけではない。マジック・ケーヴを使ったとはいえ、エレベーターにシュールストレミングを仕掛けるのもコーギーのおやつを酒のツマミと間違えて盗んでくるのもいつでも易々と行ってきたわけではない。その苦労が二人を強くしたのだ──。アミアンスは無言で頷くと、ロープをガットの手に渡した。
「このロープの長さでは向こうの木に結びつけるのは無理だな」言いながらガットはキッパータックへ近づき、腰のベルトにすばやくロープを通す。
「え?」キッパータックはその行為の意味がうまく飲み込めず、戸惑いを浮かべる。
「キッパータックさん」ガットはサングラスを押さえて言った。「あなたは小柄で体重も軽そうだ。なので適任です。穴の中におりてダニエルさんを引っ張りあげる役をお願いしたい」
「僕が?」
「キッパータックさん!」サンディーも必死の形相で胸の前で両手を組み合わせる。
キッパータックはゴーグルをはずすと、改めて穴を覗き込んだ。そっと近づいただけで縁の砂が崩れ、パラパラと流れ落ちていく。一体深さは何メートルあるのか、底はどうなっているのか想像もつかなかった。穴の側面は垂直ではなく滑り台のように斜めになっているものの、足や手を引っかけるような凹凸がない。そのままズルッと落ちていってしまいそうに見えた。
「これは、すごく危ないかも……」
「大丈夫ですよ。救助隊を呼ぶまでもないと思う。我々がしっかりロープを握っておきますから」
ガットが〝我々〟と言ったので、アミアンスも慌ててロープ支え要員に加わる。「なにかあれば叫んでもらえばすぐに引きあげますし」
「私も支えるわ!」とサンディーがロープに飛びついてぐっと握る。ペピタまでもが「あたしもー」と腕を伸ばしてロープを握ろうとする。
後に引けなくなってしまったキッパータック。「じゃ、じゃあ、ゆっくりおりて行ってみます」と穴に向かって体を縮こませる。
「気をつけてー」とサンディー。
「私は一番力を持っているから、後ろから支えるとしよう」ガットは紳士ぶってそう言うと、ロープ伝いにそろそろと移動をはじめた。
キッパータックは穴の縁に体をべったりつけて、足先を奥へ伸ばしているところだった。
「うわっ」
靴の裏が側面を数十センチメートル滑って、大量の砂とともに暗がりへと飲み込まれていきそうになる。
それを見たガット。歯を食いしばってロープを握っているサンディーの背中に思い切り体当たりする。「ぎゃあ!」と言って前のめりに倒れるサンディー。ロープが宙で波打つ。アミアンスがダメ押しで蹴りを入れ、小さなペピタの体まで一緒に突き飛ばした。
全員が落ちたのを確認すると、ガットはしんみり言った。
「結局、全員落としちまったな」
アミアンスが額の汗を拭う。「まあ、しょうがないよね。あの男がクッションになって女と子どもはケガせずに済めばいいわね」
「やさしいじゃねぇか」ガットが微笑む。
「アピアンはまた日を改めて探すとしようよ」肩をすくめるアミアンス。
「そうだな」
泥棒コンビは山をおりることにした。
「あー、つまみ食いしすぎた。夕方までなにも食べなくていいかも……」
しばらく留守にしていた砂の丘──誰の姿もない。あちこち見回して、やがて一か所、砂の波状がやけに乱れている場所があることに気づく。足跡もそこでタップダンスが行われたみたいに集中している。大きな穴が口を覗かせ叶を見ていた。
「あっ」
穴のそばでゴーグルとダウジングのコインを発見した。キッパータックが皆のために用意したスイミングゴーグルは安物で、店にあるものを手当たり次第買ってきたようにそれぞれバンドの色が違った。紫色のバンドのゴーグルをはめていたのはキッパータックだったと記憶している。叶は自分のゴーグルをおでこに押しあげると、キッパータックが脱ぎ捨てたらしいゴーグルを拾いあげ、もう一度魔界への入口のような穴に注目した。
「どういう理由で?」と叶は唖然としながら声を洩らした。叶の頭には不届き者の人数は含まれていなかったので、キッパータックとベラスケス一家で劇を組み立てるしかなかった。
──この穴の奥にアピアンがあるようです!
興奮したベラスケスがキッパータックたちに教える絵が浮かぶ。反応するコイン。そうでなければ、危険を顧みずこんな穴に潜ろうとはしないはず。
「大丈夫なの? もぉー」叶は大きなため息をついた。
叶は再び事務所を訪れると、穴のことを白水に話した。
「いくらなんでもそんな穴に潜るなんて、危険窮まりない!」と白水は蒼ざめて言った。「あの、小さいお子さんも一緒に? 猪とか蛇とかがいたらどうするの!」
「そんなこと私に言われても……」弱り果てる叶。「私だったら『やめましょう』って言いますよ。でも全員、なんていうか……好奇心が強い?」
「ったく」白水はエプロンを脱ぎ捨て、作業をしていた調理場から出てくる。「けがしたってうちは責任取りませんから。皆さん、スポーツ保険はちゃんと加入してるんでしょうね?」
「これってスポーツなの?」
白水とともに穴へと向かう。白水は穴の前にしゃがむと、声を張りあげてキッパータックたちの名前を呼んだ。
「かなり深い穴みたいだな……」
耳をすませると、奥からかすかな人声がした。
叶が声を震わせて言った。「潜り込んだのはいいものの、戻ってこられなくなっちゃった、とか?」
「救助隊に来てもらうか……」考え込む白水。
「ロープとか、ありません?」と叶は慌てて言った。「長いロープをおろして、道場のほかの従業員の人たちにも手伝ってもらって、みんなで引っ張りあげられませんかね?」
「おれたち、暇じゃないんだ」白水はぼそっと吐いた。
「はい……」
「アピアンだかなんだか知らないけど、人んちの山で勝手に探したいって言ってきて、勝手に穴ん中に入っちゃって、勝手に出られなくなって」
「すみません」恐縮し、しゅんとする叶。
「とはいえ、小さい子どももいるし、うちの宿泊客には違いないし」
白水は事務所へ引き返し、ロープと紙とペン、救急箱などを抱えて戻ってくる。そして穴のそばにどっかと腰をおろすと、なにやら作業をはじめた。
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