第9話 カジノへ行ってみませんか?(1)

 第八番大庭だいてい・森林庭園の庭主ていしゅ馴鹿布なれかっぷ義実よしみに雇われている事務員・さかいかないは、その日、鳳凰ほうおう地区にある第九番大庭・イタリア式庭園で休日を過ごしていた。


 東味亜ひがしみあ警察・穹沙きゅうさ署のタム・ゼブラスソーン逮捕に協力するために、裏切り者捜査の日々で老先生並びに彼女も大忙しで、まともな休日などずっとあったためしがなかった。大庭主だいていしゅがそもそもサービス業であり、ほとんど毎日観光客のために庭管理や案内をやっているため、彼らにつきっきりとなると仕方がない話だった。

 ピッポ・ガルフォネオージの疑いが晴れ、ヒューゴ・カミヤマ・キッパータックへの尾行が失敗となってから、馴鹿布は別の大庭主に狙いを変えたのでやっと少し時間ができた。まあ、ターゲットの変更というのは、駅で列車を乗り換えるようなささやかな移動時間に過ぎないのかもしれないけれど。

「たまにはのんびりしてきたらどうだ?」と老先生から温かな言葉が出た。「君のプライベートだって東味亜の平和と同じくらい大事なはずだからな」

「このまま私が見事に婚期を逃した場合、先生の口利きで立派で素敵な誰かに犠牲になってもらうってことも考えなければならなくなりますからねえ。大庭主もいいですよね。国選ホストですもの」

 その返事に対して馴鹿布は顎に手を当てて真剣に考えた。「大庭主で独身男性といったら……ガルフォネオージ氏とキッパータック氏くらいしか知らんな」

「どっちも元調査対象者じゃないですか」と叶は怒った。「そういうのを知り合いとは呼ばないんですよ」


 恋をする暇もない──叶の悲しい現実であったが、たった一日の自由時間で相手が見つかるわけもない。

 森林庭園にほど近いイタリア式庭園は、別名「草原庭園」と言われているとおり、約五十ヘクタールある敷地の半分以上が草原であった。見所は草原に設置してある七つのフォリー(装飾目的以外に用途のない建造物のこと)と、入口付近にある常緑樹の並木と噴水の壁に仕切られた公園。またホテルとレストランも有名であった。叶はそのレストランの「デザートビュッフェ」でたらふく食べ、さすがに腹ごなしが必要かと草原に散歩に出たところだった。


 十二月の冷たい空気はさえぎるもののない陽光と交じり合ったおかげか厳しさを和らげ、それに気を良くした観光客が多く詰めかけていた。彼らが乗るゴルフカートが広い草原の上を縦横無尽に──とろとろと走っていた。叶は、どうせならフォリーを見て回ろうかと思った。自分の家と勤め先の隣近所の大庭ではあるが、まだここへは二、三度来たくらいで、もっと昔、子どものころに遊びに来たときにはフォリーなんてものは存在していなかった。

 草原の面積を思えば徒歩で回るのは大変である。誰もがカートの上にいる。叶も管理事務所の窓口へ行って二人乗りのゴルフカートを借りると、ハンドルを握って草の上をうねりはじめた。


 一番はじめに目に見えてきたのは、雪の家を模した「イグルー」だった。もちろん雪ではなく白い石でできている。丸いドーム型で、記念のスタンプを押して中から出てきた家族連れの子どもが、屋根にのぼろうとして親に怒られていた。またのぼれそうなほどの大きさであった。

 たしか、七つのフォリーに備えてあるスタンプはそれぞれがパーツとなっていて、全部を押すと「ユニコーン」ができあがると聞いていた。それを事務所に持っていくと庭園ゆかりのグッズがもらえるのだ。

 叶は観光客ではなく穹沙市民だったので、スタンプは集めなくてもいいか、と思った。カートから降りてイグルーを見物すると、すぐさま次のフォリーへ向かう。

 あとは気ままに、人が少なそうな方へとハンドルを切り、走った。ときどきロッジ型の休憩所が現れる。ほかは風と揺れる短いイネ科の草本そうほんとフォリーと観光客が乗るゴルフカートだけ。そこにある平和な眺めは、ホイップクリームやナッツや濃いソースなどの消化を手助けしてくれ、緊張の多い探偵業(の助手の)日々を頭から追いだしてくれた。

 とても穏やかな気分だった。叶はカートから降り、しばらく車の屋根を支えるポールにもたれて眩しい緑の風景を眺めた。どれくらい時が経っただろう。午前からここへ来ているので、お昼を少し過ぎたくらいだろうか。時計をいちいち気にしなくてもいい一日というのは本当にありがたい──。

 そろそろ帰ろうかとカートのステップに足をかけたとき、遠くに俯いてとぼとぼ歩いていく一人の女性が目に入った。女性は鍔広の帽子を被り、ブルーのニットワンピースという格好だった。どういう理由からか、穹沙市の人間は東味亜住民と、そうではない日本やほかからの観光客のことを容易に見分けることができるのだ。顔も格好もそう違いがないのにどこでわかるのかと言われたら「なんとなく、雰囲気で」としか答えようがない世界の話である。なので、その女性が観光客なんだろう、ということだけ、叶にははっきりわかった。違和感は、辺りに見渡すかぎり休憩所も停車中のゴルフカートもないということだった。

 叶もそぞろにカートを転がしてきて、来ている場所は草原エリアの奥の方、といってもいい。こんなところからまさか歩いて管理事務所まで戻るつもりだろうか。叶は、そのどこか悄然とした様子が気になってしまい、近づいてみることにした。


 叶がゴルフカートを寄せると、女性は立ち止まり振り向いた。叶よりは一回りくらい年上に見えた。

 話しかけてみる。「ここから歩いてどちらまで? ゴルフカートで来られたのではないのですか?」

「実は、」と女性は困った様子の表情を他人向けにやや緩めて言った。「私が借りたゴルフカートが突然エンジンがかからなくなってしまったんですよ。管理事務所に電話もしたんですが、話し中で通じなくて。なので、向こうのトンネルのフォリーのところに置いてきました。フォリーでバスを待っていようかとも思ったのですが……」

 ゴルフカートのスピードはのんびりなので、時間に余裕がない観光客向けに小型バスも運行されている。しかしこれが結構気まぐれということで、あまり評判がよくないのだった。

「それは災難でしたね」叶は考えた。「日本の方ですよね? こっち(東味亜)ではすでにクリスマス休暇に入っている人もいますから、この時期はどこもお客さんが多いんですよね。事務所も忙しいのかもしれません」

「そうなんでしょうね。ゴルフカートも大盛況で、残り少なかったですもの。代わりのものは頼んでも借りられないかもしれないですね」

「よろしかったら隣に乗られませんか? 目的地までお連れしますよ」

「いいんですか?」女性は喜びの声をあげた。「助かります。歩き疲れちゃって」


 叶の予想通り、女性は日本からの観光客で、名前を美鶏みどりと言った。フォリー見物も終わって戻るところだったらしく、叶もちょうど帰る頃合いだったので、カートの返却口である管理事務所を目指しながらおしゃべりをした。

 美鶏は東味亜の大庭のファンで、今日も第十一番大庭・池泉回遊ちせんかいゆう式庭園、第十番大庭・フランス式庭園をすでに観賞した足でここへ来ているということだった。

「それはまた、すごいスケジュールをこなしてますね」叶はまっすぐ進行方向を向いたまま驚きに目を見開いた。

「せっかくですので回れるだけ回ろうと思って」と美鶏は笑った。「旅行は三日間を予定していて、今日は二日目なんですけどね。ちょっと問題が発生して。その上ゴルフカートにも故障されてしまうという不運にも見舞われたわけです」

「ゴルフカート以外にもなにかあったんですか?」

「ええ。那珂戸なかとさんって、私の友人ご夫婦がいるんですけど、私は今回そのご家族の旅行にくっついてきた形なんですよね。奥さんの方が私の友人で、旦那さんの那珂戸さんは日本でレストランチェーンを経営してるんです。外食産業ですから年末はいつも忙しくて、家族サービスをしたくてもなかなかできないからと言って、今年は思いきって海外旅行にって、みんなでわいわいやってきたのはよかったんですが──」

 美鶏はバッグから携帯端末を取りだすと叶に見せた。「友人の香織かおりは今ここです」

 運転しながら、叶は首を横に向け差しだされた画面を確認した。ジェットコースターに乗車している、美鶏と同い年くらいの女性と十代の娘が笑顔で並んでいる写真だ。

「多分、〈ミリンダ・ランド〉ですね」と叶は言った。

「そうです。早朝からご家族のうち三人は張り切って中央都へ出かけていきました。そして旦那さんの方はというと、ここです」美鶏は画面を指で送って別の画像を取りだしてから、再び見せた。

 黒のアウトドア・ベストにサファリハットを被った中年男が、大型電子画面に映しだされたアニメのキャラクターを指差して笑っている。

「これは──どこですかね?」叶は首を傾げた。「商業施設か映画館ですか?」

「カジノです」と美鶏は、こちらはとても笑顔にはなれない、という風情で答えた。「本当は那珂戸さんは、奥さんと娘さんたちが遊園地で遊んでいる間、私と一緒に大庭巡りをやる予定だったんです。自分は遊園地は嫌いだから、とか言って。でも香織たちが出発した後、突然、ちょっと大事な用があるから別の場所に行ってもいいかって私に訊くので、『どちらへ?』って尋ねたんですよ。そしたら、『家族に内緒で人生賭けてるんです』とか、急に真剣な面持ちで語りはじめて……。香織をびっくりさせたいから秘密にしてほしいって頼んできました。私、賭け事にはくわしくないから知らないんですけど、東味亜のカジノってチップを電子でやりとりしてるんですよね? 那珂戸さん、以前からオンラインカジノをこっそり楽しんでたらしくて。専用の口座を作って、『東味亜一の天才美人ギャンブラー』とかいう人に投資していたらしいんです。有名なギャンブラーたちが集まって勝負するイベントが頻繁に行われているらしくてですね。自分がチップを預けた人物が勝負に勝つとパトロンにも還元される──ということらしいんですが、それが、驚くほど増えて、味を占めちゃったんでしょうね……。その人に直接会って御礼が言いたいとかなんとか──結局、自分もオンラインじゃないカジノをやりたかったんじゃないですか? 行ってしまったんですよ。サンタクロースに会いにいく少年のように喜び勇んでホテルを飛びだしていきました。私に、香織には一緒に大庭を観光していることにしてほしい、夕方には戻ってくるから──そう言い残して。それから、予定より早く船を買えるかもしれないぞ! と叫んでいました」

「船!」叶も叫びそうになった。「ヨットじゃなくて船ですか?」

「レストランのオーナーですからね、プラモデルの話じゃないでしょうね。私もさすがに船は簡単に買えるものじゃないと思っていますよ。以前、十万円のマッサージ・チェアーを買ったときにも夫婦喧嘩になったと聞いているのに。叶さんにお見せした画像が先ほど那珂戸さんから送られてきたもので、このキャラクターがなんなのかさっぱりわかりませんけど、この様子だと順調をキープしているということだとは思います。着実に船に近づいているのかもしれません」

「それ、やばいですよね、きっと」叶は他人事とはいえ震えあがりながら言った。

「香織はまったく知らないだろうと思います」美鶏は頷いた。「……今、香織から『旦那と連絡取れないけど、どこにいるの?』ってメールが来てるんですよ。どうも、知り合いにお土産を買おうとして、確認したいことがあるみたい。仕方がないので、『今、フランス式庭園の立体迷路の中で迷子になってる』と言っておきました。実際、先ほどちょっと迷子になったんですよね……私が。向こうも今のところ遊園地に夢中なので、しばらくはごまかせると思うのですが、このまま返事をしないでいるなら誘拐されたことにするしか手がない気がします」

「誘拐されたとなると奥さん、遊園地から飛んで帰ってきそうですが。帰ってこなかったらこないで、やばいですよね……」

「那珂戸さんと連絡取りたいんですけど、どこのカジノにいるのかがわからないんです。インターネットで調べたところ、穹沙市にはカジノが三か所あるそうですね。天才美人ギャンブラーって人、穹沙市が活動の拠点らしいですから、那珂戸さんも穹沙市内にいるんだとは思います。叶さん、穹沙市の方ですよね? この写真を見て、どこのカジノかわかりませんかね?」

「いやー」叶は困ることしかできなかった。「私もギャンブルには疎くてですね。その方面にはまったく精通していないですね。私の先生──雇い主がいて、高齢な方で知識も豊富なので、訊いてみましょうか?」

「どなたでも構いません、情報をください」美鶏は真剣に頼んできた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る