第8話 蜘蛛を数える(1)

 穹沙きゅうさ市・海鳥女セイレーン地区は、その南側に大きな港を抱えるいわゆる海の玄関口であり、飛行場がある鳳凰ほうおう地区、八脚馬スレイプニル地区と、中心地である半人半馬ケンタウロス地区とも隣接しているため、非常に人口が多く賑やかしい、観光としても人気の高い地区である。


 大庭だいていは自然物が前提となっているために、灰色のコンクリートジャングルである半人半馬地区には一つもなかったし、海鳥女地区とお隣の八脚馬地区はたった一つの大庭を仲良く共有しているだけであった。つまり、申し訳程度に「半分」持っているというわけだ。

 その二つの地区にまたがる第八番大庭──森林庭園。ここにあった林産業りんさんぎょうは近代化に押され大幅に縮小していき、現在は企業が管理し、それでも細々ほそぼそとなっている。ただ、すぐそばに古くからある寺院が舞台の映画が作られ、「嘆きの翡翠鳥ひすいどり」と言われ名をせた女優がジョルジュ・デ・キリコの『通りの神秘と憂鬱』ばりの、細長い、可憐な、漆黒の飴細工とも言うべきシルエットを石の階段に落とし、そのシーンが二十年経った今も語り継がれるほど有名になってしまった。「彼女のあの影はなによりも美しかった」と絶賛された。もちろん寺院の階段があってこそ描出できた影なのかもしれない。ただ照明の加減じゃないのか、とも言われた。また、あれは実は女優の代わりに監督が立たせた、芸術家に造らせたオブジェの影なのだと言う者もいた。影がここまで物議をかもしたのは東味亜ひがしみあでははじめてのことだった。

 このいきさつの末、寺院の横に茂っているだけの森林がオマケ的に大庭に選定されることになった。寺院も森林も海鳥女地区のはずれにあるので、ひたすら海を眺めている観光客には背中に目を持ってもらうか振り向いてもらうしかなかったし、寺院しかないと不満を言われぬためにはこうするよりほかはなかったのである。


 第八番大庭の現庭主ていしゅ馴鹿布なれかっぷ義実よしみが外出先から戻ってきた。六十七歳、元私立探偵である。シルバーの軽自動車を駐車場に入れると、荷物を手に取り洋館建ての自宅兼事務所の玄関に向かう。森林に沿って作られた散歩道の入口には、いかにも釣り合いそうな少女が遊びに来ても乗るのを見送りそうな色の剥げた木製のブランコがあり、なんとか見物客を喜ばせようと観光局の担当者とともにかなり頑張って育てている鉢植えの花が小風に揺れている。大庭人気ランキングでは下から数えた方が早く、キッパータックの大庭「砂の滝がある日本庭園」を抜いただけの第十七位が昨年の成績(?)であった。


 家に入ると、リビングのテーブルで、事務員のさかいかないが画像のチェックを行っていた。手元のタブレットを指サック式コントローラーで操作して、壁掛け大型テレビに映しだされている写真を真剣な表情で睨んだりニヤニヤしたり──。


 馴鹿布は彼女の後ろに突っ立ったまま、画面の写真をさっと目でなでると、「叶君」と声をかけた。

「うわっ、先生……びっくりした」振り返った叶は大口を開けていた。「お帰りだったんですね」

「熱心だな」馴鹿布はかばんを肩からおろすと大きな正方形の木製のベンチの上に載せた。「君がいつになく熱心なのはありがたいんだが、もう、彼の写真は全部削除してくれて構わない」

「えええ!」叶は険しい表情に変わった。「私が頑張って撮った写真、こんなにあるのに……」

 馴鹿布は改めてその、叶が「頑張った」という写真を吟味した。


 砂漠のような砂地に立つ建造物に寄りかかってポーズを取るピッポ・ガルフォネオージ。寸胴の鍋を抱えるコック服を着たピッポ。鉢植えの花を手に──きっと包帯の下は微笑んでいるのだろう──こちらを向いているピッポ。公園で若い女性と握手をしているピッポ。

「君は真面目にやる気があるのか?」馴鹿布は冷蔵庫からプラスティックボトルの緑茶を出すと飲みながら言った。

「もぉー」叶は頬を膨らませた。「私の仕事は彼の日常を写真に収めるだけ──先生がそうおっしゃったんじゃないですか。実によく撮れてません?」

「ホームページに載せたいから一枚くれないか? と言われそうな写真だな」

「全然言われなかったですけど……」

「どうやって声をかけた? 変装はしたんだろうな?」

「もちろん。言いつけどおり、軽ーく変装して近づきました」

 部下が部下なりに察してれなく傷ついてくれるような、失望の色の長い息を老先生は吐くと、正方形のベンチの荷物をずらして腰をおろす。「これは極秘の任務なんだよ、わかってるだろ、そんなことくらいは。……とにかく、彼の調査は終了した。写真は要らん」

「ほ、ほんとですか?」

「うむ。思ったより手こずったが、彼の素顔を見てきた。私の記憶が薄まらないうちにと帰りに穹沙きゅうさ署に寄って、似顔絵を作成してもらった。二本松君にも会ってきたよ」

 あまりのことに、叶はしばらく語を失い口をあんぐり開けていたが、指のコントローラーをはずすと、席を立って馴鹿布のすぐ前にやってきた。

「で、で、ガルフォネオージさんの素顔って、どっどっ、どんな感じだったんです?」

 馴鹿布はあきれ返って目に皺を寄せるとつぶやいた。「どんなってな。普通の青年だよ」

「いや、あの謎の包帯王子の素顔ですよ? そんな『普通の青年』なんてつまらなさ極まる言葉で済ませないでくださいよ。嫌だわ、先生ったら」

 

 叶は再びテーブルに飛び戻り、タブレットやらノートやらをさっと片づけると、椅子を引っ張ってきて尊敬する「大先生」の前にえ、そこに腰をおろしてかしこまった。

「さあ、じっくり聴かせてください。彼の素顔をどうやって暴いたのか。それと大庭ファンの女性たちの憧れ、ピッポ・ガルフォネオージ氏の素顔をどうかどうか──」

「なにを興奮しとるんだ、アイドルじゃあるまいし」

「立派なアイドルでしょう!」叶は声を大にした。「彼は庭こそ荒野みたいなものでそれほど人気はないですが、『注目の大庭主特集』ではあの鳥飼とりかい世央せお氏と並ぶほどの反響だったんです」

「彼が作るスープは絶品らしいね」片足をもう一方のももにあげ、ふくらはぎを揉みだす馴鹿布。

 拳をぶんぶん振って不満を表す叶。「スープがなんだって言うんです。彼自身の人物の魅力でしょう?」

「まったく」馴鹿布は呆れて天井を仰いだ。


 

 六十歳の誕生日を機に探偵業から引退した。迷子の猫を探す依頼をもらったきっかけで知り合った人物が、「第八番大庭の庭主になってくれる人物を観光局が探している」という情報を教えてくれ、馴鹿布さえよければ推薦すると言ってくれた。体もあちこちガタがきていたし、管理に手がかかってはと念のため調べてみると、第八番大庭は森林庭園という名称で、文字どおりただの森だった。前庭主もその前も比較的若い男だったから、この庭の張り合いのなさと懐に入ってくる観光手当の少なさにやる気をなくし投げだしたらしい。

 馴鹿布は自分にふさわしい仕事だと思った。第二の人生を、家庭のはみだし者や脱走癖のあるペットを追いかけることなく、自然にただ静かに抱かれて過ごすのである。見物客の少なさなどどうでもいいことだった。森は森として、海鳥女地区の北東のはずれに、人間が眩しすぎる光から自らを守るために頭上に乗せておく小さな帽子のように、街の一端をやさしく保護する機能をすればいいだけだ。その帽子は馴鹿布にも安らぎの木陰を与えてくれるだろう──。


 しかし、テレビや携帯端末上のニュースに小悪党タム・ゼブラスソーンが躍りでてくることになる。手に入れた平和な生活はたしかに脅かされているだろうが、自分が思った以上に恐怖を感じていることを知る。あの泥棒(?)が森林庭園にやってきたとして、一体なにが盗まれるというのか。が、穹沙市の大庭主はほとんど大庭と関係のない個人の品を盗まれている。「あれ」は盗みよりも嫌がらせに力を入れているのだ。それが怖いのか? いや……。

 馴鹿布は六十年生きた勘で、この心の小さな悲鳴には大きな振動元が存在することを見抜いた。そして居ても立ってもいられなくなり、体は半人半馬地区の「犯罪記念館」に走っていた。


「穹沙市犯罪記念館」は、東味亜で起こった有名な犯罪を記録・展示し、無料で開放することで国民に周知と防犯意識を高めることを目的とした施設だ。そこにはタム・ゼブラスソーン関連の展示ももちろんあった。彼はその一角を舐めるように観て、ほとんど味わって、一階ロビーにあるカフェに移動した。

 そこに穹沙署の二本松にほんまつ亨治きょうじを呼び出す。穹沙署の数名の刑事とは顔見知りだった。探偵として情報提供や捜査協力をしたこともある。

 彼は二本松がやってくると、言い放った。


「私は大庭主の中に、タムに情報を流している裏切り者がおるんじゃないかと思っている……」



 


 

 

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