渚-なぎ-

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第1話 忘れないで、思い出さないで。

甲高く耳障りな鳥の声が僕に朝を告げる。

昼前まで寝ていた僕を責めるようなその声に僅かな苛立ちを感じ、僕の初めての休日は始まった。

自分よりもちっぽけな生き物に1日の開始を決め付けられてしまった僕は時計の針が午前11時を過ぎている事に気が付く。


カーテンの向こうには陽の光は無く、灰色の空が街を覆っていた。

ふと携帯を見ると数件の着信が入っていた。

僕の知らない数字の羅列。


その番号の持ち主、折角の休日を邪魔しようとしている犯人はおおよそ予想が付いている…楠木穂乃果だ。

新学期が始まり、初めて僕に話しかけて来たクラスメイトだ。折り返しをしようかと思ったがそのまま僕は家を出る身支度を整えた。渋々と。


城郷高校。横浜市にある片倉町駅から15分程小山を登った所にある校舎。辺りにはキャベツ畑が広がり収穫期には緑の玉が地面から等間隔に顔を出す。

2年生。平均的な身長で痩せている僕の格好はとても良いものではない。だか顔は整っている方であろう。好かれも嫌われもしない代表的な容姿をしていると自己評価している。

新学期が始まり、友達を必死になって作ろうとするクラスの雰囲気に嫌気がさし、1人でいる僕は周りからすれば空気のような存在だ。誰の邪魔もせず注目を受けることが無い。同学年の生徒からしたら耐え難い状況だろうが、作り笑顔と偽りの感情でどうにか友達を作ろうとしているクラスメイトと少しでも違う点を作ることで自分の正当性を自分に知らしめる事が今の僕には重要だ。

自分の四方に見えない壁を作り、周りを寄せ付けない。この壁の建築こそが毎年この時期の僕の恒例であり、今年も同じように完璧な壁を作る事に成功した。

しかし、壁の建設から4日。相変わらず傷1つない壁に事件が起きた。


昼休みになりクラスメイトがそれぞれのグループで昼食を取り始めると僕はいつものようにオアシスへ向かう。もちろん図書室の事だ。通い始めて2年。今日もまたそこには静寂と独特な紙の匂いが充満し、僕はそれに高揚感を覚える。本を手に取り、いつもの角の席へ向かうと見慣れぬ人影があった。その席は毎日図書室へ通う僕の専用であると暗黙の了解があるものと思っていたがそうでは無かったようだ。腕を枕の様にし机に倒れるようにして寝ているその生徒は女子用の制服を着ていた。短い髪の毛が邪魔をしてこちらからは顔が見えない。イレギュラーなその存在に僕は本能的に恐れ、離れた席に腰を落ち着かせた。40分の休み時間。本を読み慣れている僕は数十ページ程物語を進め教室へ戻ろうとすると、この頃には図書室に彼女と僕の二人だけだった。チャイムが鳴り、安息の時間が終わりを告げる。授業開始のチャイムまであと5分。準備を考えるともう戻らなければならない。

「このまま彼女の存在に目を瞑り教室へ向かうんだ」僕の中の天使が囁く。

「彼女を起こして共に図書室を出よう」悪魔が呟く。

天使の言う事に賛成したが自然と体は悪魔に従った。

彼女の席に近づく。本来であれば僕の席だが毎日何気なく座るその席が今日は違って見えた。

透き通るような寝息を立てるその生徒は僕の存在に気が付かない。肩を揺すり、声をかける。

「おはよう…昼休みが終わるよ。」

間違えた。この時間は「こんにちは」が適切だ。この4日間、誰とも話さず挨拶すらせずに過ごしていたが故のミスに頬を赤らめた。そのミスに彼女が気付き指摘されたらと思うとますます恥ずかしさに襲われてしまう。と危惧したがそんな心配を他所に彼女は寝息を立て続ける。

「こんにちは、授業が始まるよ。」

先程よりも大きな声で適切な挨拶を見舞った。反省は生かされた。

「いやだ。」

彼女はその一言を残し再び眠りに就こうとしたが僕の悪魔はそれを許さない。起こすと決めた相手の肩を悪魔に憑かれた僕の身体は再度揺する。

少し乱暴に目をこすり、顔を上げたその女子生徒に僕は見覚えがあった。同じクラスの楠木穂乃果。クラス内で最も大きなグループの中心人物であり、自分から友達を作ると言うよりかは自然と周りに人が寄って来ている印象だ。

僕の存在を気付いた楠木穂乃果はいきなり目を輝かせた。

「あ!同じクラスの!えっと…家光君!」

違う。そんな徳川家のような名前ではない。

心の中で反論したがそれを口にする前に彼女の追撃が先だった。

「家光君がいつも図書室に行ってるって聞いて先回りしたの!でも私、本の匂いを嗅ぐと眠くなっちゃうんだよね!ほら、本屋さんに行くとトイレに行きたくなる人とかいるじゃない?それみたいな!」

「家光じゃない。それにもうすぐ授業が始まるよ。教室に戻らなくちゃ。」

僕はこの時間を最速でやり過ごす為に彼女の特性には触れず、無愛想に振る舞った。

「そんな時間!?なんでもっと早く起こしてくれなかったの!早く教室に戻るよ!」

勢いよく立ち上がり走り出す彼女を見てもう二度と関わらないと決めた。が、その時には既に僕の壁は崩壊を始めていた。

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