ダレヨリモキミガスキ

イツミキトテカ

第1話 ダレヨリモキミガスキ

「リナってクリヤマくんと仲良いよね」


 お昼の焼きそばパンを口一杯に頬張る私に、お弁当の卵焼きを箸でつまみながら、マリが突然訳のわからないことを言い出した。マリとは1年の時から同じクラスで、名字が一文字違いで席が前後だったため、高校に入って1番最初に仲良くなり、それ以来、いつもこうして一緒につるんでいる。思いがけないマリの言葉に、パック牛乳で焼きそばパンを流し込み、慌てたせいで喉に詰まらせ、足をじたばたさせながら鎖骨の下を必死に叩いた。


「そんなに動揺しなくて良いじゃん!」


 マリが驚いて立ち上がり背中をさすってくれた。焼きそばパンが力ずくで食道を通っていく。死ぬかと思った。私は深く息を吐き、目の前の席に戻るマリを軽く睨み付けた。


「マリが変なこと言うからだよ」


「別に変じゃないよ。ただ、仲良いよねって言っただけ。下の名前で呼びあってるし」


 ミートボールをぱくりと口に放り込みながらマリは何食わぬ顔で反論した。言われてみたら確かにそうだ。別に変なことではない。何を動揺しているんだ。私はショートボブの襟足を指で弄りながら、教室の窓側の席のクリヤマカンシロウに視線をやった。カンシロウはすでにお弁当を食べ終え、なにやら本を読んでいる。


「カンシロウとは幼なじみってだけ。幼稚園から一緒だし、家も近所だし、母親同士も仲良くて。腐れ縁ってやつかな」


「ふーん」


 マリが片眉を上げ、探るような目で私を見つめた。なんとなく気まずくて目を合わせられない。マリは、はぁ、とため息をついて、緩く2つ結びした髪の片方を両手で撫でつけ始めた。


「だってさ、リナ全然男っ気ないから心配しちゃうよ。好きな人の話すらでてこないじゃん」


 口を尖らせて言うマリに私は目を細めて苦笑いした。


「なんかそういうの分かんないだよねー。それに?私には?マリがいるし?」


「あたし彼氏できたから」


 今なんと?


「えっ、聞いてない!いつの間に?てか誰?てか…いつの間に??」


 ショックでさっき飲んだ牛乳が鼻から出そうだった。驚く私をよそに、マリは頬を紅く染めブリブリしはじめた。


「昨日塾で告白されたんだー。他校の子なんだけど、前からカッコいいと思ってたんだよねー。でもまさか私のこと好きだったなんて」


 ついこの前までサッカー部の3年生がカッコいいと熱をあげていたのは何だったのだろうか。マリの惚れっぽさには恐れ入る。私とマリの性格は全く似てない。でも、いや、だからこそ?一緒にいるととっても楽しい。私はマリに微笑んだ。


「彼氏欲しいって言ってたから良かったね」


 マリは屈託のない笑みを浮かべた。


「ありがと!リナも彼氏できたら言ってよね。まぁ、まずは好きな人をつくるところからだけど」


「はいはい、私のことはいいから!…それより、あれ見て」


 私はカンシロウを指差した。開け放たれた窓から春の陽射しをまとう風が吹き込み、モスグリーンのカーテンが大きくはためいた。窓辺のカンシロウがカーテンの向こうに消える。風が収まった後もカンシロウはカーテンの中から出てこようとせず、その席のところだけカーテンがもこっとしていた。私はなんだかおかしくなって口を抑えて必死に笑いをこらえた。


「カンシロウなんで出てこないんだろ。ふふっ。しかも無反応だし。カーテン気づいてないのかなぁ。ふふ」


「ふーん」


 マリが目を細めて怪しむようにこちらを見ている。私はカーテンに包まれるカンシロウでずっと笑えた。



 それは、雨が激しく降る日のことだった。下校時間のチャイムがなり、私は荷物をまとめて帰る準備をしていた。テニス部の練習は休みになった。マリが突然抱きついてきた。


「リナーまた明日!チャオ!」


 そう言うと、マリは勢いよく教室を出ていった。今日は彼氏とデートらしい。こんなどしゃぶりの雨だけど、それでもマリは嬉しそうだ。恋ってすごい。そう感心しながら鞄に教科書を詰めていると、教室前方の入り口から声がした。


「クリヤマくん。ちょっと時間貰えない?」


 隣のクラスの女子がカンシロウを呼んでいた。長い黒髪の少し大人びた綺麗な子だった。その時カンシロウはクラスの男子とババ抜きをしていた。呼ばれた声に反応して、よそ見をした瞬間に手札を覗き見られていた。


「はい、あがりー。カンシロウの奢りな!」


 カンシロウが最後にババを持っていたようだった。ジュースでも賭けていたのだろうか。カンシロウは再戦を要求したが、男子の1人が入り口を顎でしゃくった。


「行ってやれよ。戻ってきてからまた相手してやるよ」


 カンシロウは、絶対待ってろよ、と男子たちを指差し、黒髪美人のもとへ歩いていく。その途中、カンシロウが教室後ろの私の方を振り向いたので、がっつり目が合ってしまった。私はとっさに目を反らし、いつの間にか止まっていた手を動かして帰り支度を続けた。この胸騒ぎは何だろう。私は黒髪美人のあの表情を知っている。ほんのり紅く染まった頬に、伏せられた睫毛から覗く潤んだ瞳。マリが彼氏の話をするときとおんなじ顔だ。だったらなんだ。私には関係ない。


 鞄を提げ、さぁ帰ろうと立ち上がった時、カンシロウと黒髪美人の後をこっそりつけていた一人の男子が、にやにやしながら教室に駆け戻ってきた。


「カンシロウ告白されてる」


 その瞬間、男子グループからどっと歓声が沸き起こった。指笛をならすヤツもいる。私はすたすたと教室を出ていった。


 カンシロウはあの子と付き合うだろうか。美人だったし付き合うかもな。でもあの子ならカンシロウじゃなくても誰とでも付き合えそうなのに。そもそもカンシロウとの接点はなんだろう。カンシロウは帰宅部だし塾も行ってない。中学校も違う…。そういえば、1年の時カンシロウのクラスにあの子いたかも。でもそんなに仲良かったかな。たった1年一緒にいただけでしょ?私はずっと、ずっと一緒だったのに…


「あらお帰り…ってびしょ濡れじゃない!何で傘差さないの!」


 私はいつの間にか家に帰りついていた。出迎える母に気の抜けたただいまを返し、2階の自分の部屋へと上がる。前髪から足元へぽたぽたと雫が落ちた。


 私は、本当は知っている。出会って1年だろうと1ヵ月だろうと恋が始まるのに年月は関係ない。マリは出会って2週間で今の彼氏と付き合った。


 その日の晩、私は38度5分の熱にうなされた。窓の外では雷が轟き、大粒の雨が激しく窓を打ち付けていた。



 しとしとと降る雨音で私はゆっくり目を覚ました。弱まってはいるが、昨日からの雨が夕方になってもまだ降り続いている。昨晩、熱が出たので今日は学校を休んだ。一日中ベッドで大人しくしていたので体調はかなり良くなった。体が頑丈なだけが私の取り柄だ。明日にはいつも通り学校に行けるだろう。腕を上げ大きく伸びをしたところで、1階からタイミング良く母親の声が聞こえてきた。


「リナー、プリンあるけど食べるー?」


「食べるー」


 プリンは私の大好物だ。ベッドから勢いをつけて飛び起きる。作詞作曲『私』のプリン賛歌を歌いながら階段を駆け降り、リビングに飛び込むと、思わぬ先客との遭遇に体がびくっと硬直した。


「なんだ元気そうじゃん」


「カンシロウ!なんでうちに?!」


「ん?先生に家近いからプリント持ってけって言われて」


 私はキッチンにいる母に怒りの念を送った。カンシロウが居るなら先に言ってよ。私はパジャマの上にストールを羽織り、寝癖を手で押さえつけながらカンシロウの前の椅子におずおずと座った。カンシロウは紅茶を片手に新聞を読んでいる。正確には、毎週水曜日に新聞に載っているクロスワードパズルを解いている。正面から新聞を覗きこむと、ちょうど最後の縦のマスを埋め終わったところだった。カンシロウがアルファベットの書かれているマスをAから順に読み上げていく。


「サ、イ、オ、ウ、ガ、ウ、マ…答えは塞翁が馬か。一丁上がり」


 その時、母が2人分のお手製プリンをお盆に載せてリビングにやってきた。


「あら、もう出来たの?早いわねー。さっすが秀才」


「こういうの好きなだけです」


 カンシロウは母に誉められ恥ずかしそうに頭を掻いた。カンシロウは頭が良い。学年でも成績はいつも10番以内だ。幼馴染みの私が言うのもなんだが、頭だけでなく、顔も良いし、性格も良い。私はプリンをつつきながら昨日の黒髪美人のことを思い出していた。母が目を細めてカンシロウに言った。


「それにしても少し見ないうちに立派になっちゃって。…彼女とかできた?」


 ガシャンっとスプーンが皿にぶつかる音が私と、そしてカンシロウの方からした。私はそのまま何事も無かったかのようにすましてプリンを一口食べた。カラメルがほんのり苦い。カンシロウは少しまごつきながら、大きな音をたててしまったことを母に謝った。カンシロウは昨日の告白になんて返事をしたのだろう。私の心臓は早鐘を打ち始めた。聞きたいけど、聞きたくない。心臓が口から飛び出しそうだ。カンシロウの口が開き始める。返事を待つ間がやけに長く感じた。私はそれほど厚くはない彼の唇に目が釘付けになった。


「彼女とかいないですよ」


 私はスプーンを咥えたまま手が止まった。そして正面のカンシロウと目が合った。はっとし慌てて目を反らす。なんで私が目を反らさなきゃいけないんだ。でも、少しほっとする自分に驚いた。カンシロウは彼女はいないと言った。ということは、昨日の黒髪美人は振られたのだ。


「またまたそんなこと言ってー。絶対モテてるって。カンちゃんのお母さんには内緒にしとくからぁ」


 母はカンシロウの返事に納得が行かなかったようだ。顔の前で手を合わせ、教えて?ポーズで懲りずに押しまくる。居ないもんは居ないです、とたじたじしながら、カンシロウは逃げるように立ち上がった。


「もう帰ります。おばちゃんプリンご馳走さま!リナもお大事に」


「あっ、プリント…ありがと!」


 勝手知ったるなんとやらで、慣れた足取りで玄関へ向かうカンシロウにお礼を言い、玄関まで見送った。閉まりかけのドアの隙間から少しだけ覗くカンシロウの後ろ姿がきゅうと胸を締め付けた。もう少しゆっくりしていったら良かったのに。そう思いながらも部屋に戻ろうと踵を返したとき、先程閉まったばかりのドアがまた勢いよく開く音がした。


「リナ!ちょっと外出て!」


 戻ってきたカンシロウに促され、外に出た私は思わず驚きの声をあげた。


「きれい…」


「だろ?リナに見せたいと思った」


 雨はいつの間にか止んでいる。見上げる空に大きな虹が架かっていた。笑顔で隣に立つカンシロウは私が思っていたよりも背が高かった。中学生の時は私と同じくらいだったのに。横顔も以前より大人びて見える。顎の下の小さな黒子に初めて気がついた。こんなところに黒子があったんだ…。私の心臓は早鐘を打ち始めた。だけど、さっき感じていたような不安に突き動かされる早鐘ではない。

 玄関先の紫陽花の葉に忘れられた雨粒が優しい太陽の光を浴びてきらきらしていた。



 カンシロウと一緒に虹を見たあの日以来、私は水曜日になると新聞からクロスワードパズルを切り抜いて、放課後カンシロウに渡すのが習慣になっていた。そのせいで、毎週水曜日は朝から私と父の新聞争奪戦が繰り広げられることになった。父もこのクロスワードパズルを楽しみにしていたらしい。だけど、ここは可愛い娘に譲ってほしい。これは私にとって1週間に1度の大切なカンシロウとの接点なのだ。幼なじみという関係は簡単そうに見えて案外複雑だ。クロスワードパズルの水曜日を繰り返すうちに季節はすっかり秋めいていた。


「リナー!これあげる♪」


 マリがリボン付きの小さな紙袋を私の目の前に突き出した。開けて開けてっとマリに促され、私は中身を取り出した。


「色付きリップだよ。私のと色違い」


 マリはそう言って自分の胸ポケットから色違いのリップを覗かせウインクをした。そしてついさっき私にプレゼントしたばかりのリップを私の手から取りあげ、私の唇におもむろに塗り始めた。リップを塗りながらマリの口が半開きになっていくのがなんだか面白かった。


「やっぱり!リナに似合う色だわ」


 杏子色のリップを塗り終え、満足げに頷くマリを私は思わず抱きしめた。


「マリー!我が最愛の友!」


 くすぐったそうに笑いながら、マリは私の背中を優しく叩き、ぎゅっと抱き締め返してくれる。


「知ってた?リナって最近瞳がうるうるしてるんだよ。こんな可愛いリナに惚れられる男が羨ましいよ。だから…がんばれ!」


 マリはそう言い残して教室を出ていった。下校時間が過ぎるにつれて教室からはどんどん人が居なくなった。私は教室の窓側の席に座るカンシロウに声をかけた。


「カンシロウ。はい、今週のクロスワードパズル」


 教室は私とカンシロウの2人だけになっていた。こんなことは珍しい。大抵は誰かしら教室に居残っているものだ。私はクロスワードパズルの神様がいるんじゃないかと思った。

 カンシロウは軽く返事をして紙を受け取ったが、直ぐに首を傾げてこちらを見上げた。


「何これ?どうしたの?」


 カンシロウの手にはクロスワードパズルの紙が握られている。私が作ったクロスワードパズルの書かれた紙が。


「先週で新聞のクロスワードパズルのコーナー無くなっちゃったんだよ。だから私が作った。解いてみてよ!」


「リナが作ったの?すげーな」


 カンシロウは感心した様子で私を見た後、シャーペンを持ち、いつも通りパズルを解き始めた。早くもAのマスに「ダ」の文字が入っている。アルファベットの書かれたマスは全部で10個。我ながら結構な大作だ。そんなことを考えているうちに、Bのマスに「レ」の文字が書き込まれた。このペースだと、カンシロウは5分もすれば私のクロスワードパズルを解き終わってしまう。


 想いが通じる5分前。


 私はポケットの中のリップを握りしめた。唇に色が着いていることが心強い。窓から見える秋の空は高く高くどこまでも続いている。

 カンシロウ、早くこのクロスワードパズルを解いて。そして、キミの「コタエ」を聞かせて。

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