第39話 侍、蟹、吝嗇
与四郎は下級武士、坂田家の十四男である。
当然、坂田家は家計が火の車で、与四郎に巡ってくる物はみな使い古しか貰い物だった。
与四郎が元服を済ませ三年過ぎた今なお、長男から十三男の兄たちは健在で、あまつさえ無心をしてくる奴さえいる。
与四郎はそれが腹立たしく悲しくもあった。
だが彼は侍である。
泣いて良いときでもひそやかに涙を落とさねばならない。
与四郎にとって、幼少期から感情を面に出さずに十八を迎えられたことは第一等に兄らよりも優れていると確信していた。
前述の理由により与四郎が吝嗇家に育ったことを疑うものはないだろう。
たとえば彼が腰にさす刀は貧相な
侍である以上、刀をささず出歩くわけにはいかない。
しかし、毎日の手入れを考えるとどうしようもなく刀は金を食う。
ゆえに竹光なのである。
仮に襲われるようなことがあればどうするのか、と問う向きもあるだろうが、そのときは古い弓を素にした杖を振って抵抗する。
常日頃から弓杖を持ち歩くので、与四郎のことを
また飯も川の生き物や野草、芋が中心で、米は一月に一合食うか食わないかという有様である。
それでも与四郎は侍である。貧しくとも、行いは侍なのだ。
ある日、与四郎は川で蟹を取って夕飯にしようとした帰り、己の家とさして貧しさの変わらぬ菩提寺の前を通ると和尚と出会った。
年寄りの和尚もまた金に苦しんでいた。
境内の様子は見た目こそ新しく整っているものの、却って維持に金をひょいひょいと持っていかれるのだ。
「近頃はなおのことひもじくての、餓鬼道に落ちたかのようだわい」
言って和尚は笑った。いや、目は笑っていなかった。死んだ魚の眼である。
与四郎はこの老人の顔を見てどうするべきか迷った。
今、布施をしようと思ったのは確かだ。
助けを出さないなら侍の顔に泥を塗る。
しかし、銭がない今、布施は出せない。
あるのは蟹ばかりである。
仏門に殺生をさせるわけにもいかない。
仕方なく、挨拶をして与四郎は帰ろうとした。
門を出て少し進んだとき、思いついた。
与四郎は手に持った
沢蟹が詰まっている魚籠である。
そして門の近くまで戻ってキッとあたりを睨みつける。
誰も寺へと入れまいとする心構えだ。
するうち、寺のほうから蟹を煮たような匂いがしてきた。
殺生は悪事である。
仏門の者による殺生ならばなおのことである。
しかし、今飢えそうな者が助かるための殺生ならば、どうなのか。
きっと許されるだろう。
与四郎はそう思いつつ、誰も寺に入れないよう見守り続けた。
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