第24話 草花、王、弁当

 霧降る早朝のことである。

 鹿背山しかせやまに下級役人の薬狩衆くすりがりしゅうが出向いていた。

 まだ日も出ていないうちに探さねばならぬのは、特に大王おおきみに召し上がっていただく薬草があったためだ。

 西の大国、震胆しんたんの医術では解関かいかんと呼ばれる薬草である。


 解関、本朝では露紅花つゆべにばなと呼ばれる生花をさっと煎じて飲む。

 しかる後、上半身の不調、特に頭痛が快方に向かうとされる。

 

 しかして露紅花は厄介なものである。

 第一に、花の咲く期間が短い。早朝に咲き、昼になる前にはもう散っている。

 第二に、必要量が多い。最低でも二十本の花が入り用である。

 第三に、


「一人落ちたぞ」

「落ちたか」

「まあいい、まだ足りぬ。探せ、探せ」


 と、このように崖の側面に咲く花なのである。それゆえ、落ちて命を失くす者が後を絶たない。


 先に筆者は薬狩衆を下級役人と呼んだ。

 それはそれで間違いではない。

 しかして実態を十分に表したものではない。

 薬狩衆はほとんどが罪人の類であると述べ忘れている。


 罪人を役人にするとはどういうことか、述べなくてはなるまい。

 本朝の刑の一つにろうというものがある。

 殺人以下の罪人で反省の色がある者に対し適用される罰である。

 朝廷に安い対価で使役される刑、それが労。

 薬狩衆は労の中の一つだった。


 いつもより早い段階で露紅花が集まったので、休憩に入る。

 いつもより早い弁当の時間である。

 話題は常に一つ。

 今日は十人が崖より落ち、九人が死んだ。

 大王のために死んだのだから黄泉津沼よみつぬまに溺れずに済むだろう。

 幸いなことだ。

 それだけである。


 明日も取りに来なければならない。

 労の刑はいつ終わるのか。

 家族が心配だ。

 それより逃げ出さないか。

 

 そのような話はしない。

 してはならない。

 本来ならばしたいのである。

 しかして、死後に待つ黄泉津沼はより恐ろしい。

 しかれば、無用な語らいはせず、他者の黄泉での幸福を祝うほかないのである。


 震胆でいう解関が本朝の露紅花ではないとわかる三年前のことだった。


 解関を採り始めてから三十四年、実に九千六百の玉の緒が散ったとされる。

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