週イチ三題噺
木倉兵馬
第1話 風、暦、枠
尋常ならぬ冷気を感じ、目覚めた。
いつの間にか寝てしまっていたらしい。
誰ぞ毛布なり布団なりかけてくれれば、と思うものの、独り身の自分には過ぎた願いだ。
窓は開いたまま。
徹夜で執筆しようとしたものの、どうやら締切には間に合わないようだ。
冷え冷えとした空気の侵入に気づかず眠りこけていれば、そういうことにもなろう。
もう秋も終わろうとしている。
窓から見えるイチョウ並木も、葉のひとひらも残さない。
夜は明けようとしている。
朝日のほのかな光が禿げ上がった木々を照らすのは、毎年のこととはいえ今は見るに忍びない。
しかし、なぜ耐えられないのか。
今まで幾らでも見てきたはずの光景を。
これまで見過ごしてきた風景を。
なぜ今は見るに見られないのか。
考えてみよう、と思った。
だが今は締切への対処が先だ。
せっかくアンソロジーの仕事を得られたのだ。
このままでは、偶然だったとはいえ復活のチャンスを逃してしまう。
幸い、作品のほうはクライマックスを迎え、禍福の形に目鼻をつけてやるだけ。
担当編集に電話をかけた。
すぐに出てくれた彼は、私の状況説明を聞いて納得してくれた。
「実のところですね」
彼は苦笑いしつつ、
「皆さん、今回のアンソロジーには手こずっているようなんですよ。
たとえばK先生はあと一ヶ月待って欲しい、なんておっしゃってます。
そういう状態ですから、二、三日程度のばすのは簡単……いえ、癖になってもらっては困りますがね。
失礼ながら、J先生(私のことだ)は遅筆だと聞いていましたが、それほどでもないようで助かります」
私も苦笑した。
K御大がそうなのなら、私など可愛いほうなのだろう。
伝えるべきことは言い終えたので、電話を切った。
見上げる先にカレンダーがある。
しばらくの間めくっていないので、八月で時は止まっていた。
クリップで留めた写真を見てようやく、イチョウの哀しさがわかった。
私の、最初の失恋。
あれは窓の外の並木の下で。
彼が去ってゆくのは止めようもなく。
お互いが決めた、許し合う領域を、私が超えてしまったから。
哀しい冷気が一段と鳴り渡る。
いっそ、この風にのせて写真を失くしてしまおうか。
彼と私の写った、今となっては胸を締め付ける幸福な過去。
窓を閉めた。
写真はカレンダーに留めたまま。
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