第44話 脅迫者

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 さて、その日の展示会がどうなったのか。

 結論からいえば、大盛況のうちに幕を下ろした、といえるだろう。

 もっともこのトラブルがなければ、いうことはなかったかもしれない。でも、そのおかげで例のムカデ競争の写真については、展示会の中でもなかなか評判の作品になった。

 どういうことかというと、作品タイトルとキャプションを差し替え、写真のイメージをがらりと変えてしまったのだ。もともと『激闘』というタイトルがつけられていて、集落ごとの威信をかけた戦い、という説明からとても闘争的なイメージをもっていた写真を、『分身の術?』というタイトルに変えることで、コメディっぽさがでるように印象操作をしたのだ。

 キャプションも急遽作り直したものに差し替えた。


『おなじ集落で育った仲良し六人組は倒れるときも息ぴったり

 レースは負けてもゴールの喜びはみんなで六倍』


 おれが考えた文言だからいい出来か、と問われればもっといいキャッチコピーはいくらでもあっただろうとは思う。

 でも、あの写真を見ただれもが「本当に分身の術みたいだ」といって笑っていたんだから、あながち間違っていたわけでもなかったのだろう。

 もっとも、おれがいいたかったのはそこではなく、あのときのハルナにこれっぽっちの悪意もなかったのだということだけど、とにかく見る人の視点を変えられたという点では成功だろう。


 マコトとハルナは、客入りがひと段落した昼過ぎに会場に来てくれた。落ち着かない様子のマコトだったが、リョウコが彼女のことを見つけて駆け寄り、そしてマコトを抱きしめながら「来てくれてありがとう」といっていたのを見て、おれはあの二人なら大丈夫だろうと安心した。ちなみに、ちょっとだけウルっときたのはみんなには内緒だ。


 行方不明騒ぎを起こしたリョウコについて、ワタルからさんざんたずねられたが、おれは勝手に「深夜まであしびばでマコトとおしゃべりしていて寝過ごした」ということにしておいた。

 リョウコの不注意のようで彼女には悪いが、彼女なら事情を察してくれるだろう。

 なにせ、ワタルはこの島を守る正義の味方、警察官なのだ。


 ただ、マコトがリョウコを軟禁していたことと、写真を汚したことについてはコウジにだけは耳に入れておいた。やつはいい加減なように見えて、口は堅いし信頼ができるやつだ。それにあしびばの常連でもあるし、変な勘繰りをさせたくなかったというのもある。しかし、おれがコウジにその話をしたのにはもっと別の目的があったのだ。


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 その日の夕方、市内のホテルで打ち上げのパーティーが開催された。おれたちもマコトの写真展のスタッフとしてパーティーに招待されたのでありがたく出席をさせてもらった。

 高い天井に輝くきらびやかなシャンデリアが印象的なこの会場は、以前に怪しげなマルチ商法のセミナーが開かれていた会場でもある。こういう妙な接点があるのがなんでも屋の面白いところ。

 パーティには二百人近くの関係者が出席しており、あのプレゼンテーションにこれほど多くの人間がかかわっていたのか、と今更ながらに感心させられた。

 長たらしい役人の挨拶がようやく終わり、パーティが始まったところで、おれは会場で役場の職員たちと談笑するコウジを見つけて少し離れた場所から呼びかけた。


「コウジ、ちょっといいか」


 コウジは盛り上がっている輪を離れ、おれに近寄った。


「なんだ?」

「少し二人で話したいんだ。一緒に来てくれないか」


 おれはやつをつれてホテルの宴会場を抜け出した。そのままホテルのロビーをでると、道路を渡って埠頭へとむかう。コウジはおれが呼び出したことになんの疑問もないようかのように、だまっておれの後をついてきていた。


「ここならだれもいないか」


 埠頭の中ほどで立ち止まると、おれはコウジとむきあった。岸壁に寄せる波がコンクリートを打つ音が一定のリズムで刻まれている。

 コンテナヤードに停泊している本土への大型船にコンテナが積み込まれるたびに重々しい音がナトリウムランプのにじむ夜暗に響いた。


「今日は大変だったけど、アキオは今回も期待通りに活躍してくれたな。朝の遅刻がなけりゃ、もう少しスムーズな解決だったかもしれんが。しかし、お前が遅刻とは珍しいこともあるんだな」


 コウジは機を制するようにそう切り出した。おれにとっては苦い出来事だったが、それについても思うところはある。


「これは想像でしかないが、マコトに睡眠薬を飲まされたのかもしれない。前の日、あしびばでマコトにハーブティーを入れてもらったんだが、その後、事務所で気を失うように眠っていたんだ。リョウコもおれが発見したときは、あしびばのソファ席に横になっていたしな」

「マコトも随分と手の込んだことをしたもんだな」

「どうかな?」


 おれは肩をすくめてみせた。


「前にマコトと外で会ったときに、彼女が黒い袋を下げていたのを見て、ひょっとして薬局に行っていたんじゃないかとは気になっていた。しかも、商店街の薬局じゃなくて、わざわざ遠くのスーパーマーケットに歩いて行ってたみたいだったから、もしかしたらそのときに睡眠薬を買っていたのかもしれない。あのときもマコトはハルナのことでいろいろ気を揉んでいたからな」

「なるほど、さすがに睡眠薬は近所の薬局じゃ買えないな。商店街のみんなが余計な心配をしそうだ」


 マコトが睡眠薬を購入していたのか、実際にそれをおれやリョウコに使ったのか。それについては確認する必要もない。もう過ぎたことだ。

 それよりも、おれはコウジにどうしても確認しておきたいことがあった。やつとまっすぐにむきあい真剣な声でたずねる。


「単刀直入にきく。リョウコに脅迫状をだしたのは、コウジだな」

「なぜ、そう思った?」


 コウジは否定も肯定もせず、おれにその理由を求めた。


「まず、おかしいと思ったのは脅迫状の犯人が、リョウコと一切コンタクトを取らなかったことだ。普通ならば、中止をするのかどうかの結果を確認するはずだし、実際に中止されないとわかれば、別の脅迫手段を使ってきてもおかしくない。けど、そんな様子はなかった。だから、犯人は写真展を中止することが目的じゃない、と考えた」

「なるほど。だけど、それだけの理由では俺を特定できないはずだ」

「もちろん、それは考える一つのきっかけに過ぎない。おそらく、犯人がその後の状況を気にしなかったのは、逐一情報を知りえたからだ」

「つまりお前やリョウコの周辺の人間に絞ったというわけか」


 おれはうなずく。コウジはまるで推理小説の結末を楽しむような薄い笑みを浮かべておれの話の続きを待っていた。


「おれはなぜ犯人が脅迫状を出したのか、それがずっと引っかかっていた。あんな脅迫状を送りつければ、写真展を妨害しようと思っていても、かえって警備を厳重にされてしまい、実行困難になってしまう。それに、脅迫状を出すならば普通はなにかしらの取引を持ち掛けるはずだ。例えば、コウジが裏で仕事を斡旋していることを役所にばらされたくなかったら、おれに酒をおごれ、という風に相手の不利益と自分の利益を交換するものだ。けれど、今回の脅迫状は『個展を中止しろ』だけ。そもそも、今回の展示会は世界遺産登録プレゼンテーションの一環として行われていて、リョウコ一人で中止や延期ができるはずはなかったんだ」

「リョウコのことを個人的に恨んでいた、というのは?」

「最初はどちらかといえば恨みの線を疑った。けど、リョウコについての話を聞けばどこでも彼女の評価は高かった。反対派ですら、リョウコのことを高く買っていたぐらいで、一方的に恨みを買うような人じゃない。第一、リョウコ本人に恨みを持っているならば、脅迫状なんて回りくどいことをせずに、直接彼女に危害を加えればいい。しかし、それもなかった」

「つまり、アキオは写真展の中止が目的ではなく、リョウコ個人への恨みでもないと考えた」

「おれが違和感を覚えたのは、お前が『役場の人間が関わっているから大事おおごとにしたくない』といっていた割には、そのあとで妙に現場のレイアウトや警備計画を気にしたことだ」

「なにかおかしいか?」

「今回のシンポジウムで一枚かんでいたのは市役所の環境対策課だ。おまえの働く保護課とは全くといっていいほど畑違いだ。わざわざおまえが出張る必要もない仕事だが、おまえは『準備にかり出されるかもしれないから』といって、おれにレイアウトをきいただろ? でも、あのレイアウトは最終的には主催者であるそっちの環境対策課にいくものだ。もし準備の応援要請があるなら正式なレイアウトは環境対策課が用意をするはずだ」

「アキオからきくほうが早い、それだけの理由だろ」

「でも、コウジは準備の日はあの場にいなかった。もっと別の理由があってあのレイアウトを知りたかったんだ、違うか?」


 コウジはニヤリと口元を吊り上げ「例えば?」と短く聞き返す。おそらく、おれの考えは間違っていないだろう。やつからこれ以上の情報を引き出す必要もなさそうだ。


「コウジはイベントを妨害しようとしている犯人を知っていた。しかも、それが役場にバレるとおまえの仕事に悪影響がある人物、例えば仕事の同僚なんかが過激な反対派だったとかな。環境省の下部組織ですら反対派はいるぐらいだから、役場に反対派がいても別に不思議じゃない。それで、コウジはおれの警備計画に便乗して、自分自身でその犯人の妨害を阻止しようとした、というところか。そう考えたとき、すべてが繋がったんだ。なぜわざわざ脅迫状を出したのか、そして脅迫状の主からそれ以来コンタクトがなかったのか。それはリョウコに写真展での警戒をさせるためにあの脅迫状を送りつけたたからだ」

「別にアキオを見くびっているつもりはなかったけれど、そこまで考えていたとは意外だった」


 コウジは「守秘義務があるからな、詳しいことはいえないけど」と前置きをしてから話し始めた。


「俺の受け持つ保護世帯にはワケアリなのもあってな、在留外国人も担当しているんだ。そいつらの中にちょっとぶっ飛んだ思想のやつもいる。ほら、ついこの前、沖縄で世界遺産に油ぶちまけた奴がいたろう。ああいうニュースをみて喜んでるような異常な連中だ」


 コウジは困ったもんだ、といいたげに手のひらを天にむけてみせる。


「やつらはこの島に住んで、保護を受けているにもかかわらず、この島が世界自然遺産に認定されるのを必死に阻止しようとしている。まあ、母国のロビイストがしきりに世界遺産に登録されることへの反対キャンペーンをしまくっているから、そういうのに触発されるんだろうな。そいつらが、今回のシンポジウムや写真展を妨害しようとしているって情報を耳にした」

「だったら直接、環境対策課か警察に相談すればいいんじゃないのか?」

「不確実な情報でよそのシマの連中を動かしたくなかったし、俺のほうでなんとか食い止めたかったんだよ。大事おおごとにして、あとで面倒に巻き込まれるのはごめんだからな。けど、妨害しようとしてるやつらは複数人いて連帯感もあるし、俺ひとりじゃコントロールしきれなかった。だから、アキオを巻き込むことにした」


 やつは悪びれる様子もなく平然といってのけた。おれは心底迷惑だといわんばかりに声のトーンを一段上げる。


「おれを巻き込むなよ。そもそも、なぜ直接おれに手伝ってくれって依頼しなかったんだ?」

スジってもんがある。今回、俺はあくまで外野だし、役場がらみの案件でおれが守秘義務を破って外部に相談をしたとかいわれたくなかったんだよ」


 なるほどな、それであの電話か。やつがいった「お前がいいんだよ」の言葉の意味にこのとき納得がいった。

 コウジはまずリョウコの事務所に脅迫状を送りつけて、彼女からのトラブル解決の依頼をおれに押しつけた。おれはやつにまんまと乗せられてリョウコのトラブル解決に首を突っ込み、結果的にこの世界遺産登録のシンポジウム全体の警備に力を貸したというわけだ。こんなひどいマッチポンプがあるか?

 おれが不機嫌な声をあげて抗議すると、コウジは少しだけ表情を引き締めた。


「でも、アキオのおかげでイベントは無事終えることができた。大成功だったといってもいい。もっとも、マコトのあの行動だけは予想外だったけれど、でも結果的には妨害工作をしようとしていたやつらも、予定外の妨害に混乱したのは確かだ」

「仲間内のだれかがすでに実行してしまったと思い込んだってことか。どうりでお前がやけにオーバーアクションだったと思ったよ。開場待ちの列にその連中がいたんだな」

「正解」と、コウジは頭の後ろに手を組んでヘラっと薄い笑いを浮かべた。


「アキオ、マコトのことは責めないでやってくれ。おれがあんなことをしなければ、そもそも起こりえなかったかもしれない事件だ。それとこれは俺からの正式な依頼なんだが、マコトとリョウコの間を取り持ってやってくれないか」

「わかってるよ、おれもマコトを責めるつもりなんてないさ。でもお前の依頼は受けられないな」


 おれの答えにほんの少しだけ顔をしかめたコウジだったが、おれのノーの答えの理由がすぐにわかったようで「まあ、それもそうだな」とふっと鼻で笑うように短く息を吐き出した。

 おれはやり遂げられないと思う仕事はしない主義だが、マコトとリョウコの間にはしっかりと強い絆が結ばれているんだから、おれの入り込む余地なんてないわけだ。そんな仕事をやり遂げるのは無理ってこと。


「じゃあ、俺は戻る。アキオはゆっくりとしていきな」

「おい、コウジ」


 おれの呼びかけに応じる様子もなくコウジは夜のカーテンのむこうへ姿を消した。なんでやつが「ゆっくりしてな」といったのか、わからずにいると、やつと入れ替わるように、後ろで一つに束ねた長い髪を揺らしながら、こちらにむかって歩いてくるシルエットが浮かび上がった。

 港に灯るオレンジ色のナトリウムランプをスポットライトのように浴びて立ち止まったのは、リョウコだった。

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